南相木村にある常源寺の開基は1550年(天文19年)と言われています
ところが、広瀬系図には隆広は文亀2年(1502年)7月に死去 号 広池大禅定門
佐久郡南相木邨常源寺和尚葬という記述があります
これらの記述が正しいとすれば隆広の死から48年後に常源寺が建てられたことになります
伝えられている開基以前に常源寺があったのか、広瀬系図の記述が違っているのか
研究の課題です
南相木村にある常源寺の開基は1550年(天文19年)と言われています
ところが、広瀬系図には隆広は文亀2年(1502年)7月に死去 号 広池大禅定門
佐久郡南相木邨常源寺和尚葬という記述があります
これらの記述が正しいとすれば隆広の死から48年後に常源寺が建てられたことになります
伝えられている開基以前に常源寺があったのか、広瀬系図の記述が違っているのか
研究の課題です
南牧村広瀬地区に残る「広瀬系図」によると
延徳元年9月(1489年)菊池右内隆広は(駿州)沼津より信陽佐久郡の山中に入り農地を開墾して
その村を広瀬村と命名する三人の子供があり 嫡男隆友は広瀬に、次男隆行は相木に、三男隆照は佐久郡河洒に住すとあります
佐久地域における菊池氏の始祖は菊池右内隆広に始まるというのが現在定説になっています
隆広は1502年7月に死去南相木村常源寺和尚葬という記述が広瀬系図にみられます