どれだけ経験しても…

2019-01-30 18:20:21 | 
しばし…鈍感力が影をひそめ…

ひとり悪態が口をつく日々をやっと乗り越えました(笑)
ひとつじゃ無いんですよ(笑)…3つ(笑)

親族…仕事…保険担当者…ですかね(笑)

全部…言いたいことも言わず…言えず…苛立ちが通り過ぎるのを待って…

乗り越えました(笑)



今日は朝からハイパーサーミア

バスに揺られながら…眩しいばかりの晴天…

車窓の景色に目をやりながら思うことが…

停留所のアナウンスを聞き逃して乗り過ごしそうになった

心配事が2つ…

扁平上皮癌・胸腺癌の肺転移

ひとりは私の親戚の夫…昨年末に医師から余命3ヶ月を告げられ…

抗がん剤を何度か…抗がん剤で癌が小さくなり止めると又増殖し出して…又新たな抗がん剤を…

それを繰り返し…抗がん剤も効かなくなりオブジーボへ…

副作用がきつく、休んでは又トライしたが短期間で中止…

親戚と話す電話の向こうで夫は苦しそうにずっと咳き込んでいた

本人は抗がん剤を続けたいと希望したが…ドクターストップ…

緩和ケアを今考えているとメールの返信…

ハイパーのことを話すのが遅すぎたのと全てを現代医学に委ねるタイプ…かなぁ〜⁈

早くから病気のこと知らなかったし、一度もその夫とは会ったことはない…

でも最近話しを少し聞くと…積極的に自分で調べて…そういうことはしていないし…食材すら気にしていないようだ…

癌に対しての食材制限には諸説あるのでなんとも言えないが…



もうひとりはこの病院でハイパーを受けていたご夫婦…患者は夫

ご主人に付き添い待っていた奥さんと話すようになった

出会った頃…昨年の4月、5月…ハイパーをはじめて受けられたみたいで…ご主人が運転して通って来れるぐらいお元気でした

奥さんとは5分か10分話すぐらいで…ご主人がハイパーが終われば次が私で…

1クール8回が終わる日、奥さんから積極的に電話番号の交換を言って来て…驚いた

情報交換を…ということだった

次のクール…時間がズレて会うことが出来なくなったが…肺に水が溜まり、癌も少し大きくなってきた…
娘さんの運転で…車だと1時間くらいかな⁈…容態が悪くなって来た様だった

手術をした病院では抗がん剤、放射線をして、二度目の抗がん剤を拒否してから経過観察をするだけになった

抗がん剤をしないのならここではやれる治療は無いとまで言い切られた

奥さんは病院を替えようと言ったが本人が拒んだ

9月…最後のハイパーの日…この病院で肺の水を抜いてもらい自宅近くのハイパーが出来る病院の紹介状を書いてもらったと喜んでいた

私も探して予約を入れていた病院で…ただ8月からハイパーをはじめた病院なので施術がどこまでなのか気になってはいた

その病院なら保険+自費で続けて出来る、歩いて行ける…良い方向にいけばと願っていた

今年になってメールをしてみた
近況報告とあちらの近況伺いと…

5日くらいおいて返信があった

あちらの近況が一切ないメールだった

おそらく…


お二人が望んでいることは病気になってお仕事もリタイアして…

抗がん剤も放射線も辛かったのに余り効果がなく少し落ち着いたら家の近くを散歩出来る様になった

癌と共存しながらでいいから穏やかに散歩出来る暮らしがしたい…それだけだと…

新しい病院が出来たことを教えたのは私…

上皮扁平癌でオブジーボが成功した記事を
教えたのも私

親戚の夫がオブジーボを同じ病気で受けた病院を教えたのも私

でも何ひとつ、それに対する結果が語られない…


大きな期待を持たせてしまい…それが何ひとつ良い方向にいかなかったのか…

聞けない…

語らないのが返事か…


どうしていいのか…わからない…

良かれと思って集めた情報…

選択するのはお二人だから…そう思っていたが…

今は少し後悔している

Re,何かあったら…私で良ければいつでも連絡ください…

今私に出来る精一杯だった…


やっぱり病気は自分がいい…

癌を体において余命宣告されたり、癌難民に陥った人の気持ちは計り知れない

癌宣告だけでも思考がフリーズしてしまうのに…

そして津波の様な恐怖が押し寄せてくるけど…

まだ治療に向けて前を向けるけど…


今どうしているのだろう…

ふたつのふたり…