カンチャン狂騒曲

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老いと死を伝える子どもの本

2015-10-20 12:09:07 | 本と雑誌
 前回は「大人のための児童文学講座」(ひこ・田中)を読んで妙に感心したものだが、その勢いで子どもの本についての著作をもう一冊読んでみた。

 
 「老いと死を伝える子どもの本」谷出千代子(著)2011.5改訂2刷 大空社(刊)

 「老い」に対して子どもの本の姿勢は、過去から現在へどう変遷してきたのかが主たる内容である。

 「老人と子どもの関わり」「死の描写へのアプローチ」「性役割の視点」「老人を取り巻く環境」といったものを、更に細部にわたって分析している。

 脇役であれ主人公であれ、高齢者が描かれる立場は、家族や地域の中で好々爺で尊敬と畏敬の念の対象として描かれ、子供達の良き話し相手であった。

 しかし、子供達の世界そのものにも厳しい現実が立ちふさがっている今日、こうした老人像は通用しない。

 大人のための児童文学講座でも指摘されたとおり、認知症、高齢者と家族の葛藤、人間の終焉を現実描写でまざまざと描き出すことの緊張感がみなぎった作品が多くなってきたと指摘されている。

 祖父母の「老い・老醜・死に至る過程」「死体そのもの」「家族の対応」など体験することがなくなった子ども達へどう伝えて行くのかは、確かに大切なことなのである。

 私は個人的には6歳のとき母親が死に、裸を他人に委ねて洗われる理不尽さと、無抵抗でなすすべもない母親の無念を、目の当たりに見せられて泣き叫んだことを今でも克明に覚えているし、生きることの認識はその時芽生えたと思っている。

 その後、私が成人したあと祖父母とも相次いで亡くなったが、「老人」と「死」は常にそこにあったわけである。

 翻って、私の子や孫はどうだろう。

 努めて醜いものとして、あるいは経験しなくていいものなら忌諱すべきものとして回避して来なかったか。

 「老い」の領域に立ち至ったいま、胸に応えることばかりである。

 「夭折の母は夢にも出てくれず」

 
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