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まんまるログ

融通性か?和・洋・中・無国籍・ジャンクとなんでも食べる胃袋と脳みそ。

キム・ギドク…尊敬する監督

2014年08月08日 | 映画
日本という一見平等な社会に住んできた私。
外国人や被差別に対する差別はあるにはある…が。
私の事として感じる事はなかった。
「差別はいけない」「相手の立場を重んじなければいけない」
「同じ人間です。平等に接するのが礼儀だと思う」
私のスタンスであった。
露骨な差別をする人なぞ周りにいなかった。
いないのだから、存在していないと同じという事…になる。
希(まれ)にいても、無知な人か…下品な人達であったし…付き合う必要がなかった。

しかし…私以外でも多くの日本人は、社会的な立場や階級についてほとんど自覚がないと思うのである。

私が差別を自覚し始めたのは30代の頃…合歓さんと住み始めてからで…それもうっすらと…かすかに…弱い自覚であった。
今…現在もうっすらの呆けた状態で暮らしている。
時々スイッチが入って、合歓さん相手に怒りちらすが害はない。…そう思っている。
田舎の生活は平和である。

ところが、お隣の韓国という国は未だに階級社会的が色濃く残っている様に感じる。
この事は、歴史と関係があると思う。朝鮮王朝500年。
両班(武官と文官)との間に良民、中人(常人)。の下に(6段階の職種)があった。
もとに分けられる。
特権階級の両班も地方と都市では異なる。田舎者は軽蔑される…都市(みやこ)よりは低く見られる。
両班の上には王族が存在する。
王族にも階級がある。
日本の二倍強ほどの階級制が存在しているのである。
加えて大戦の後の日帝時代。
朝鮮戦争で南北分断。
朴政権(独裁で軍事政権)
国民の遺伝子の中に階級制度がスティグマとして刷り込まれていても何の不思議もない。

何よりも、大学進学率が75%という大変な学歴社会である。
ほとんどの俳優や映画監督が大学を出ているという国は他にはない…と思うよ。

キム・ギドク監督のファンには今更と思うが…書いておく。
彼は家が貧しく小学校しか卒業できずに終わる。
15歳からは工場で働き(嘆きのピエタ)の舞台である町工場がリアルであるのはその経験があるからこそである。
その後志願兵として海兵隊に入り5年間兵士として過ごした。
見事に軍隊生活に馴染んでいた…という同僚の談話がある。
軍隊生活の過酷さは良く聞く(人間が壊れそうで逃げたという話も多い)
それに馴染むというのは強靭な精神と体力の持ち主というしかない。
家の貧しさから見れば屁でも無かったのかもしれない。(三度の食事の有難さ)
当たり前の事が彼の生活には無かったのかも知れないのであるから。

四作品をみたが、社会的な疎外感と、階級制度に対する激しい憎悪。反骨。
この監督の作品すべてから強く感じる。

どんな環境で生まれてきた人間も、幸せになる権利がある。
人は人を愛する事が出来る。人に愛される資格がある…彼の映画はその事を悲しいほどに訴えてくる。
暴力に歪む顔…で。
あるいは自らの自傷行為で。あるいは整形手術で顔を変えて。

「春夏秋冬…そして春」キム・ギドク監督、主演もしている…美しい風景に色彩られた映画だった。
感覚で撮っているとしか思えない。
深い山の中にある湖。湖の中ほどに庵がある。老僧と子坊主が二人で住んでいる。
詩情あふれる映像美。

...生命のはじまり。
業:いたずら好きの子坊主,殺生の業を始める。
...渇望。
欲望:愛に目覚める青年(療養の為、庵を訪れた娘に恋をする)
...執着。
恨み:恋の病の青年が庵をでる。罪を犯した中年に変わる…庵にもどる。
老僧に諭され、庵の床に般若信教を掘る。
...色即是空。
人世は空…罪を償い中高年の年齢で廃虚になった山寺へ戻った男。
老僧は死んでいない。氷の仏像を創り…冬の山寺。心身を修練して過ごす。
寺を訪れた女が<素性を隠すために顔に麻布をまいている>幼児を残して去る。
捨て去るのである。

そして再びの春...幼子は子坊主になっている。…再び殺生の業が始まる。

人間の業を四季の風景の中で描いている。

映像は芸術的である。

季節は冬…壮年の僧を演じるギドク監督は見事な肉体の持ち主だ。
無駄のない筋肉は彫刻の様に美しい。
芸術である。

「休を動かして働き、生み出したものだけに価値がある。文化というものは余裕と贅沢の産物に過ぎない」
彼の映画の登場人物は正道を歩いていない、もしくは歩けない人間が多い。
演じる俳優達は皆巧い。
俳優の演技を引き出して別の人格に変容させるのは監督の力である。

人間の“心…こころ”と“身体…からだ”は切り離すことができないモノとしてある。

で、反対に言葉は厄介で誤解を生む基であるし、伝えたい事がきちんと伝わらない事の方が多いのも事実。
心情とは対立する物として存在する側面をもつ。

何を書きたいのか解らなくなってきた…それも言葉だからである。
不自由な言葉で…それでも書く。

ギドク監督を知ってから、前以上に韓国映画を見るようになった。

人の世が深くなっていく。



































コメント
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