筋子といくら(前回)…の話の中でコインの裏と表という説明をして…
「わしはあほな女がすきなんや」…という顛末を書いた。
それは、それとして…コインの裏と表なんて深く考えもしないで只言っただけなのだが…
今日の話である。
友人の息子の卒論の話題から量子物理学の話になった。
量子物理学は、生理的にというか物理に劣等感のある、私のゆるい脳みそのせいで理解できない。
それはそれとして…自分の都合の良いように聞いている。
量子物理学では場所が「粒子」であり、同時に場所でないもの「波」を観察すると言う。
物理現象の「表」の面、場所を解析した実験と「裏」の面すなわち波の実態を明らかにした実験の話が出た。
この事はコインの裏と表に似ていると思う。
人間である私はこの両面〝場所〟と〝波〟を一度には見られない。
だが、現実の世界は場所であり同時に波である。
つまり場所と波が単体で存在している訳ではない。
コインの裏と表という言葉は、〝認知能力〟という人間の能力の制約から生まれてきた言葉である。
コイン自体は裏でも表でもなくただのコイン(お金)である…のである。
二元論的に裏と表、善と悪、正義と不正、生存と死滅、光と闇などと判断したり、ラベルをはったり…
それは大いなる幻想にすぎない。
量子物理学が理解できなくても人生はただ過ぎていく。
物事は〝そのようにある〟のである。
常識に縛られていると〝それはそれとして…〟という無責任だが反対に自由な発想が生まれない。
エミネムを聞くように話を聞いている。
「あなた 楽な人ですね…解脱してるみたいに感じます」
「いいえ、いい加減な脳みそなんですよ」
二元論の呪縛からは解脱している。
空気力学とか量子物理学、化学はさっぱり。
解らない。
二元論に基ずいて話を進めると…人生の捉え方が狭くなると思う。
自然の摂理で動いていくほうが、間口が広がる。
人生はただ そのようにある ものです。
面白くもおかしくもない時間の搾取って話もあるわ。
そこはポジで塩もみして…ポジで味醂垂らして…ポジ醤油たして…思考の調和をはかる。
研究室の博士は方程式と現実は別物。地図と現地は違うという事が認識できない。
閑している私には、閑している客人が寄る。
人生は過ぎていく。
「わしはあほな女がすきなんや」…という顛末を書いた。
それは、それとして…コインの裏と表なんて深く考えもしないで只言っただけなのだが…
今日の話である。
友人の息子の卒論の話題から量子物理学の話になった。
量子物理学は、生理的にというか物理に劣等感のある、私のゆるい脳みそのせいで理解できない。
それはそれとして…自分の都合の良いように聞いている。
量子物理学では場所が「粒子」であり、同時に場所でないもの「波」を観察すると言う。
物理現象の「表」の面、場所を解析した実験と「裏」の面すなわち波の実態を明らかにした実験の話が出た。
この事はコインの裏と表に似ていると思う。
人間である私はこの両面〝場所〟と〝波〟を一度には見られない。
だが、現実の世界は場所であり同時に波である。
つまり場所と波が単体で存在している訳ではない。
コインの裏と表という言葉は、〝認知能力〟という人間の能力の制約から生まれてきた言葉である。
コイン自体は裏でも表でもなくただのコイン(お金)である…のである。
二元論的に裏と表、善と悪、正義と不正、生存と死滅、光と闇などと判断したり、ラベルをはったり…
それは大いなる幻想にすぎない。
量子物理学が理解できなくても人生はただ過ぎていく。
物事は〝そのようにある〟のである。
常識に縛られていると〝それはそれとして…〟という無責任だが反対に自由な発想が生まれない。
エミネムを聞くように話を聞いている。
「あなた 楽な人ですね…解脱してるみたいに感じます」
「いいえ、いい加減な脳みそなんですよ」
二元論の呪縛からは解脱している。
空気力学とか量子物理学、化学はさっぱり。
解らない。
二元論に基ずいて話を進めると…人生の捉え方が狭くなると思う。
自然の摂理で動いていくほうが、間口が広がる。
人生はただ そのようにある ものです。
面白くもおかしくもない時間の搾取って話もあるわ。
そこはポジで塩もみして…ポジで味醂垂らして…ポジ醤油たして…思考の調和をはかる。
研究室の博士は方程式と現実は別物。地図と現地は違うという事が認識できない。
閑している私には、閑している客人が寄る。
人生は過ぎていく。