まんまるログ

融通性か?和・洋・中・無国籍・ジャンクとなんでも食べる胃袋と脳みそ。

コインの裏と表…それはそれとしてしと

2014年10月04日 | 日記
筋子といくら(前回)…の話の中でコインの裏と表という説明をして…
「わしはあほな女がすきなんや」…という顛末を書いた。

それは、それとして…コインの裏と表なんて深く考えもしないで只言っただけなのだが…

今日の話である。
友人の息子の卒論の話題から量子物理学の話になった。

量子物理学は、生理的にというか物理に劣等感のある、私のゆるい脳みそのせいで理解できない。

それはそれとして…自分の都合の良いように聞いている。
量子物理学では場所が「粒子」であり、同時に場所でないもの「波」を観察すると言う。
物理現象の「表」の面、場所を解析した実験と「裏」の面すなわち波の実態を明らかにした実験の話が出た。

この事はコインの裏と表に似ていると思う。
人間である私はこの両面〝場所〟と〝波〟を一度には見られない。
だが、現実の世界は場所であり同時に波である。
つまり場所と波が単体で存在している訳ではない。

コインの裏と表という言葉は、〝認知能力〟という人間の能力の制約から生まれてきた言葉である。

コイン自体は裏でも表でもなくただのコイン(お金)である…のである。

二元論的に裏と表、善と悪、正義と不正、生存と死滅、光と闇などと判断したり、ラベルをはったり…

それは大いなる幻想にすぎない。

量子物理学が理解できなくても人生はただ過ぎていく。
物事は〝そのようにある〟のである。

常識に縛られていると〝それはそれとして…〟という無責任だが反対に自由な発想が生まれない。

エミネムを聞くように話を聞いている。
「あなた 楽な人ですね…解脱してるみたいに感じます」
「いいえ、いい加減な脳みそなんですよ」

二元論の呪縛からは解脱している。
空気力学とか量子物理学、化学はさっぱり。
解らない。
二元論に基ずいて話を進めると…人生の捉え方が狭くなると思う。
自然の摂理で動いていくほうが、間口が広がる。

人生はただ そのようにある ものです。

面白くもおかしくもない時間の搾取って話もあるわ。

そこはポジで塩もみして…ポジで味醂垂らして…ポジ醤油たして…思考の調和をはかる。

研究室の博士は方程式と現実は別物。地図と現地は違うという事が認識できない。

閑している私には、閑している客人が寄る。

人生は過ぎていく。















































コメント
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