まんまるログ

融通性か?和・洋・中・無国籍・ジャンクとなんでも食べる胃袋と脳みそ。

言葉の中身と骨がないのは私自身‥ぞっとする

2017年12月08日 | 日記
ブログをかくと決めた時に‥毎日は無理だから、週に2回は書く。
すごく低いハードルを定めた。

それで4年余り過ぎた。

今は月に一回がやっと‥というのが現状。

真(まこと)に言葉に骨がない。

 Nの画(混迷)

Nは頭の中身が常に混迷で、定まっているという時がない。
ゆえに‥混迷が通常で他の感覚は欠落している。

「まっ 許してね」‥誰にともなく頭を下げる。

「まっ」と言う所が、味噌である。

味噌は骨がなくとも、旨味がある。
旨味だけでOK‥骨はどうあれ鍋の味がいい。

次男が帰郷する際に‥彼の部屋の掃除と障子張りと決めたのだが‥障子八枚の残す所、後三枚がしんどい。

無駄に広い部屋は、掃除自体がストレスになる。

之(これ)もまた、「許す」と言いながら‥誰に対しての許しか、身体が動かない。

「遊びに行っていいですか?」「逢いたいのですが?」「お暇な時に伺います」‥‥

須(すべか)らくお断りしているのだ‥私が伺います、宜しかったらですけど。

家の掃除とおもてなしが、セットでストレスになっている。

冬が押しかけて来て、身体が硬くなってくると加速度で来客を断る。

あぁ。

それでも、人間(ひと)がやってくる。

有難い話なのだ。

人が動く‥遊びに来る‥声が響く、流れる、風が起こる、空気が澄む。

硬くなっているのは身体だけで、ほぐれていく脳みそは、柔らかに和やかに、人に向かう。

もともと‥脳が弱いのだ。

あぁ。

“ため息”と“許してね”で今年も終わりそうなのだが‥。

まっ これでいいか‥と思っている。

まっ と言う所が大いなる味。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする