まんまるログ

融通性か?和・洋・中・無国籍・ジャンクとなんでも食べる胃袋と脳みそ。

ラプソディ その後

2019年05月06日 | 日記&映画

2018年05月05日 | 日記


《どこにも出かけない‥お客様も友人も来ない‥こんなGwは滅多にない。
初めてかも知れない。

ただ のんびりと過ごしている。

映画みたり‥パバロッテイを聴いたり‥すぐに飽きてやっぱエミネムやわ‥のりのりで酢豚を作ったり。
豚肉が少なめ‥冷凍庫から鳥の胸肉。
酢豚ではない酢鳥。
いやいや‥酢豚鳥。

味見をしながら‥美味しすぎて夕餉の分がなくなりそうでストップ‥黒酢のたれは濃厚で良い。よい》
《》は去年の日記。

さて今年は、去年の私とは違いすぎる。
GWは仕事で休みが取れないブラック企業。
企業とも言えない地方都市の同族会社。
休みを取るのも憚られる‥辞めるしかない。
知人の紹介で務めている身としては針のむしろ。

同調圧力と情義で利用されてしまう。
我が家のお客様は振り分け(友人諸氏に頼む)と言う体たらく。
友人には、気持ちが近い分甘えて‥面目ない。

わずか一年でこの有為。
そして 転変。

私の人生はなんと定まらない事か?

いい加減に定まりたい‥安定の老後が願いだというに。


映画 ボヘミアン・ラプソディの圧巻。
それはライブエイド。

1985年だったか6ねんだったか
エルヴィス・コステロ - ビートルズの「愛こそはすべて」をエレキギター1本で披露した。
ニック・カーショウ
シャーデー
スティング(元ポリス) - ポリスのデビュー曲、「ロクサーヌ」を披露。
フィル・コリンズ - 自身の「見つめて欲しい」を歌い終えた後、スティングとポリスの「見つめていたい」で共演。
ハワード・ジョーンズ - ピアノ一台で自身の代表曲、「かくれんぼ」を歌唱。
ブライアン・フェリー
デヴィッド・ギルモア(ピンク・フロイド) - ライブ・エイドには、ブライアン・フェリーのバンド・メンバーとして出演。
ポール・ヤング - この会場のフィナーレを飾る、「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」をソロで歌唱。
4曲目にはダリル・ホール&ジョン・オーツのカバー曲、「エヴリタイム・ユー・ゴー・アウェイ」を披露。
アリソン・モイエ - ポール・ヤングの3曲目でポール・ヤングと共演。
U2 - ボーカルのボノが2曲目。
ダイアー・ストレイツ - スティングがコーラスで参加。
クイーン - 「ボヘミアン・ラプソディ」(短縮版)、「RADIO GA GA」、「ハマー・トゥ・フォール」
「愛という名の欲望」、「ウィ・ウィル・ロック・ユー」、「伝説のチャンピオン」と全出演陣の中でも最多となる6曲を披露。
そのライヴ・パフォーマンスは他を圧倒し、ボブ・ゲルドフも彼らを絶賛した。
この出演が当時、解散寸前状態と言われていたバンドを再浮上させる大きな転機となった。
このステージの模様がクイーンを題材として33年後を経て公開された映画「ボヘミアン・ラプソディ」にて細部に至るまで忠実に再現された。
デヴィッド・ボウイ - 4曲目の「ヒーローズ」が終わった段階で、このライヴエイドのきっかけとなったCBCによる「エチオピア大飢饉」の映像が流れる。
ザ・フー - 開催時点ではこの日限りの再結成だったが、後に本格的な再結成をすることになる。
エルトン・ジョン‥なんといっても ボブ ・ディラン。
他 ブラック・サバス‥‥‥‥‥たくさんのシンガーが参加していた。

綺羅星★の面子だった。

私は赤いほっぺたを化粧とハイライトで隠して梅田新道を歩いていた。

自分のいる所こそが地球のど真ん中である事も意識することなく放埓で無軌道だった。

昭和は朧(おぼろ)。

年号が令和に変わった今、おぼろが懐かしく切ないほど恋しい。
そしてとても眩しい。


コメント
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