人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

善悪を超えて

2020-08-12 12:52:48 | 雑感
今日では、ただでさえそうなのに、コロナの問題などもあり、ますます何が善くて、何が悪いのか、混乱してきそうになります。
これは倫理道徳の問題と多くつながることですが、どうも善悪というのは、その他大勢、世の中の声が法律にせよ、何にせよそう決めたか、従っているものに則っているようです。
それは誰にとってということでなしに、正にその他大勢にとってではないでしょうか?
自分自身ではその基準が分からなくて、何となくそのように従わされているのではないでしょうか?
このように、善悪の標準というのは、極めて社会性、公共性と結び付き、中々一人一人が向き合えなくなってきているようです。
こんなことで本当に善いのだろうか?
善悪というのは、このように時代や住む世界によって異なるものなので、一先ずそういう観念を置いてみて、自分自身に立ち返ってみると、それは私にはある感じ、感覚を通して示されるものだと"感じて"います。
具体的に感じられるものです。そう言うと奇異な感じを受けるかもしれませんが、逆に如何にそれが外部から規制されるものとされてきたが分かるのではないでしょうか?
そうでなければ、我々は自分の内から悪(とされるもの)を抑制することが出来ないことを考えると、実に不思議に思えてなりません。
しばしば、良心というものが、そういう役目を持つと言われてますが、私にはそれは多く既に社会性の影響を受けているように感じられるし、あまり具体的な感覚は伴わないものに"感じ"られます。
善い感じとはある種の幸福感が伴うものと言ってもいいでしょう。それは獲得しなければならないものじゃなくて、生来的なものです。
観念的に考えていても分かりません。ハートで感じるものです。
それは快いものには違いないものだけれど、快楽ということになると違うと思います。
"自分だけ幸福で善いのか?"、という声もあるでしょうが、それの一体何が悪いのでしょうか? それは直ちに人を"押し退けて"、とか"それで人が不快な思いをする、人の幸福を奪う"(これが悪につながる)ということにつながる訳じゃありません。
そこで自分自身の善悪の標準に照らして、そういうことで自分が本当に幸福に感じられるか、どうかが肝心なことなのです。
要するに、自己満に見える幸福もあれば、自他と共なる幸福も、自己犠牲に見える幸福(そうするのが幸福なんだ)もある...それは形を超えているのです。
隠された、本当のモラルは、そういうものを自由に、内から守って行くこととつながるでしょう。
"そんな各自の感じに基づくモラルなどで世の中の治まって行けるか?"と又声が聞こえてきそうですが、これは世の為政者が逆立ちしても分からない、我々一人一人のモラルのことなのですi
今日の荒廃した世相は、我々はもう、本来的に"善いこと"や、"悪いこと"を自由に感じることが出来なくなってしまったことを物語っているのでしょう。
それもそのはず、我々は物心付いてから、強制、半強制の上よりの"お決まりごと"ばかり押し付けられて、自由なる"道"の学びのことなど受けて来なかったのですから...ハートからの声を蔑ろにして...
善悪の観念などはとうに破綻してしまった感がするではありませんか?
しかし、今は思われた善悪が揺すぶられて、隠されたものを顕わにする真っ最中なのかもしれません。
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2 コメント

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Unknown (シタテルヒコ)
2020-08-13 17:29:32
この記事は、善悪のことが抽象的に議論されれば、するほど善悪が分からなくなり、自他を損なうこと(悪?)が蔓延するのでは?という思いから書いてみたのです。
ユダヤの律法とかは、「豚肉は衛生によくない」とか割りと具体的に捉えられている面があるようですね。
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Unknown (ジダン屋)
2020-08-13 16:34:00
人が成熟するには無色透明ではなく、「淀み」の様なものが必要じゃないかと思えます
それは或る時代に於いては宗教が淀みの機能を果たしていたと感じる
例えばユダヤ教などは魚介類を食べる事にタブーが有り、その根拠なり彼等の因習なりは無色透明ではなく部外者から見れば淀みにみえる
然しそれは少年を頼れる大人に育てる機能が存在してた
寧ろ今は世界が透明な善悪の議論をせざるを得なくなって、難しい時代になったと思います
例えば「性別」は二つじゃない、多様性を認めようとする時代に入って来ている

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