人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

恩寵から見放される?

2021-08-11 11:43:04 | 回想
"私はね、もう何年も前に悟っちゃったんですi、自我なんて無くなっちゃったんですよ..."
違うi...自我の強い人ほどこういうことを言いたがるのですi
確かに、あの時4、5日間余韻みたいなものは残っていて、"ひょっとしてオレ、悟っちゃったのかも?"と浮かれていたこともありましたが、すぐ元の木阿弥、自我の塊の自分に戻ってしまったのでした...。
全くウソのように消えてしまったではありませんか?(しかし、あれから38年も経つのに、今の方がアリアリと現在しているように感じられるのが不思議なことで、これが頭の記憶だけでない、身に覚える記憶というものから来るということなのでしょう)
又、そういう自分のことも自覚しており、すぐに自我に絡められ、テングになってしまうのは目に見えていたので、自意識的にそのことを引っ込めようとしていた部分もあったのです。
そのように、そのことを封印してしまう...それはある面で正解だったと思います。
しかし、その根底にあるもの...そもそも何によってそのことがもたらされたのか?...そのものを無きものにしようとしたのではなかったか?
神的なもの、恩寵までをも、意識から消し去ろうとしたのではないか?
当時の私にこう言ってやりたいです。"バカだなあ、お前は...救いようの無いやっちゃなあi"
私はそれから半年後、急に日頃の生活で思うように行かないことが相次ぎ、まるで運命から見放されたように感じ始め、挙げ句、半年間鬱病のような状態に見舞われたのです。
あの至福の時から僅か一年後、どうしたらそんなこと想像出来るでしょうか?...思い当たるフシは?...そう、前記のようなことです。
そういう因果があるかどうかは分からない...そう、分からないですよ。少なくとも、当時の私には分からなかったです。
だけどねえ..."何だって?、運命から見放される?、鬱病になりそうだと?...お前には感じられないのか?、じんじんとパッと何かが臨み、何かが開かれ、そういう重い思いから離れてゆくのが...ああ、すべてはこのものあっての私なのに..."
このものが意識に根付いているのなら、自然とそういう風になってしまうのです。このものが意識から切り離されると、スコタンなことになってしまうのは、今の私にはテキメンに分かります。
ああいうことは、その覚醒、至福体験といったものの、そもそもの本質に関わる、その真の主を封印してしまったため...その神罰なのでは?...イヤ、そうじゃないi...
"どうか、私のことを忘れないで欲しい、意識のどこかに留めておいて欲しい"
思いを超えたところから"声無き声"で、私にそう告げたのは、そういう脅迫のようなものとは全く異なる、哀願みたいな響きだったのです。
脅しや、おトガメのような響きのものなど受けたことがありません。
"あの御方のことを蔑ろにしたら、ああいう運命が待ち受けているのでは?"、という予感もあったのに...すべては、私の最愛なるものへの不信が招いたと言ってもいいでしょう。
それも今から思えば学びに違いありません。
その学びは、挫折を通してしか分からないものもあります。
それから、恩寵といったものについて、改めて向き合い、学ぶことになったのでした...。
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