言うまでも無いことですが、このブログで書かれている内容は一つのサンプルに過ぎません。
当然のことながら、例えば自分自身が幸福に感じたこと、真理(と感じたもの)に出会えたことなどを綴ったりしますが、何人にも当てはまるかどうかは知りません。
あまり馴染みの無い固有名詞も沢山出てくるかもしれませんが、ブログを開始した当初は”もっと一般向きの事書いた方がいいだろうか…”などと人の顔色を窺うという邪心?もありましたが、何時の頃か吹っ切れたように”自分自身のことを書けばいい”と調子こいて書いて、そうなってる次第なのです。
宗教、教師たちとの出会い、影響を受けてきたことなどについても触れてきていますが、そこには何とも宗教、スピ界を取り巻く問題も隣り合わせのように浮き彫りにされているのを感じます。
私はそうしたことについても、良きこと、悪しきこと共々書かずに居れないものを覚えます。
又、私はエラそうに批判がましいこともチクチク呟いてます。
でもなるべくは、批判のための批判はしないようにしてます。
これらは多く前述した精神世界を取り巻く問題と関連が有ります。
自分の中に内包されているこうした問題について、ここぞとばかりに浮き彫りにさせてくれる記事などが目に入ると、私の中のタチの悪い虫がもうジッとしていられなくなるらしいです。私の克服すべき欠点でしょう…。
それらは実はほとんど私が個人的に関わりのあった具体的な個人を念頭に置いていたりします。(個人的な恨みなど無いのに失礼な話ですが…きっと気分悪い思いをさせてしまっているだろう…)
そうでない人に直接そうしたことを呟くことはなるべくしないようにしています。(私の流儀では無い)
カリスマブロガーAさんとは個人的な面識はありません。ただ、そもそもこうしてブログを始めるきっかけになったのは、彼の存在を知ったからでもあり、著書は何冊も読ましてもらったし、啓発されることも多かった…ブログの方向性の定まらない(今でも定まってませんが)時には、彼のブログを参考にもしていました。これ又勝手な話ですが、そのよしみです(笑)
ただ、こういう形で呟いてばかりでは行儀が悪いと思って、向こうのコメント欄に書き込んだことも有りましたが、もう二度とそんな軽はずみなことしません。(シンパに取り囲まれそうで気分悪い!)
前述した問題点については、何度も吐露していることです。
その主たるものは権威主義がはびこることです。
教祖や教義についての安易な追従、迎合…これは通俗的オカルト思潮へのそれと密接なものです。一つのサンプルに過ぎないものの特別視、絶対視、原理主義の台頭…精神的共同体ならぬ、支配と依存、隷属のデキあいの集団…
こういう事に関わる当事者というのは気分が良くてやっているのでしょうか? それとも大きな力かなんかに飲まれて”仕方ないから”そうしているのでしょうか?…もし、それが私に向けられたら、もう吐き気を催す程気分悪いことです。
一方私が最高に気分が良い、つまり幸福に感じる事は、それらの対極にあります。
そこには自由というもの無くしてあり得ません。捉われからの解放と言ってもいいでしょう。それは又自我からの解放でもある…逆説的ですがそこから自己信頼が生まれます。
それはデキ合いの宗教、グループには見出され得ません。
何が本当の宗教であり、誰が真実のマスターであるかなど分かりません。
明言した途端に気分悪くなる事態を招くばかりでしょう。
気分の良いことも悪いことも、これまで宗教や精神的な道において隣り合わせのように内包していたことです。
私はそのどちらにも触れてきたのです。
それぞれの人が安易に妥協すること無く、気分良い道を歩んで欲しいと願うばかりです…。
当然のことながら、例えば自分自身が幸福に感じたこと、真理(と感じたもの)に出会えたことなどを綴ったりしますが、何人にも当てはまるかどうかは知りません。
あまり馴染みの無い固有名詞も沢山出てくるかもしれませんが、ブログを開始した当初は”もっと一般向きの事書いた方がいいだろうか…”などと人の顔色を窺うという邪心?もありましたが、何時の頃か吹っ切れたように”自分自身のことを書けばいい”と調子こいて書いて、そうなってる次第なのです。
宗教、教師たちとの出会い、影響を受けてきたことなどについても触れてきていますが、そこには何とも宗教、スピ界を取り巻く問題も隣り合わせのように浮き彫りにされているのを感じます。
私はそうしたことについても、良きこと、悪しきこと共々書かずに居れないものを覚えます。
又、私はエラそうに批判がましいこともチクチク呟いてます。
でもなるべくは、批判のための批判はしないようにしてます。
これらは多く前述した精神世界を取り巻く問題と関連が有ります。
自分の中に内包されているこうした問題について、ここぞとばかりに浮き彫りにさせてくれる記事などが目に入ると、私の中のタチの悪い虫がもうジッとしていられなくなるらしいです。私の克服すべき欠点でしょう…。
それらは実はほとんど私が個人的に関わりのあった具体的な個人を念頭に置いていたりします。(個人的な恨みなど無いのに失礼な話ですが…きっと気分悪い思いをさせてしまっているだろう…)
そうでない人に直接そうしたことを呟くことはなるべくしないようにしています。(私の流儀では無い)
カリスマブロガーAさんとは個人的な面識はありません。ただ、そもそもこうしてブログを始めるきっかけになったのは、彼の存在を知ったからでもあり、著書は何冊も読ましてもらったし、啓発されることも多かった…ブログの方向性の定まらない(今でも定まってませんが)時には、彼のブログを参考にもしていました。これ又勝手な話ですが、そのよしみです(笑)
ただ、こういう形で呟いてばかりでは行儀が悪いと思って、向こうのコメント欄に書き込んだことも有りましたが、もう二度とそんな軽はずみなことしません。(シンパに取り囲まれそうで気分悪い!)
前述した問題点については、何度も吐露していることです。
その主たるものは権威主義がはびこることです。
教祖や教義についての安易な追従、迎合…これは通俗的オカルト思潮へのそれと密接なものです。一つのサンプルに過ぎないものの特別視、絶対視、原理主義の台頭…精神的共同体ならぬ、支配と依存、隷属のデキあいの集団…
こういう事に関わる当事者というのは気分が良くてやっているのでしょうか? それとも大きな力かなんかに飲まれて”仕方ないから”そうしているのでしょうか?…もし、それが私に向けられたら、もう吐き気を催す程気分悪いことです。
一方私が最高に気分が良い、つまり幸福に感じる事は、それらの対極にあります。
そこには自由というもの無くしてあり得ません。捉われからの解放と言ってもいいでしょう。それは又自我からの解放でもある…逆説的ですがそこから自己信頼が生まれます。
それはデキ合いの宗教、グループには見出され得ません。
何が本当の宗教であり、誰が真実のマスターであるかなど分かりません。
明言した途端に気分悪くなる事態を招くばかりでしょう。
気分の良いことも悪いことも、これまで宗教や精神的な道において隣り合わせのように内包していたことです。
私はそのどちらにも触れてきたのです。
それぞれの人が安易に妥協すること無く、気分良い道を歩んで欲しいと願うばかりです…。