人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

私のサットグル

2018-10-12 17:17:39 | 人生の教師
インドの伝統的宗教では、弟子を言葉を超えたあるハタラキの伝授により、直接経験へと導く導師のことを"サットグル"と呼んでいます。
その存在として有名なのはラマナ.マハルシですが、こういう人たちは残されているその文字化された教えだけに接してみても、その存在と共にした人でなければ、おそらくその真っ中心にあるものは伝わってこないだろうと思います。
私はこれまで人生の教師として影響を受けた人は何人かおり、その方々の存在無しで私の精神的な歩みは考えられなかったとはいえ、生意気かもしれませんが、特に導師として意識していた訳では無いのです。
でも、敢えて一人念頭に浮かぶのは謎の秘教団体、大調和協会の命位(みょうい)様の存在で、この人こそは私が直接会った人たちの中でもサットグル的存在の資質に恵まれた人だったのです。
と言っても、正式に私と師と弟子の関係にあった訳でもなんでもなく、私が勝手にそう思っているだけなんですが...
命位様。ウィキで検索したって出てきませんし、そんな人が存在したことなどほとんどの人は分からないでしょうね。
私の他の教師たちと違って、文章として残っているものはほとんど無く、それに接したとしてもその存在を通して伝わるものを感取するのは困難でしょう。
大調和協会の関係者ならその大御業(おおみわざ)と呼ばれるハタラキの伝達者であり、その存在と相対した時の自己が何とも言えない風に変容されてしまうことなどは、誰もが知っていることです。
しかし、命位様はそのサットグル的存在としてその生を完うしていた訳では無いのです。
ただ協会が伝えるその大御業、大調和世界の成就に生き、死に抜かれたと言ってもいいでしょう。
ここが私が全存在を投げ打ってそれに邁進出来なかったことで、結果的にこの方との関わりにズレが生じた要因ともなったのですが、ほとんどの場合、一対一のその交流の有り様は、私をそちらの方に引っ張るでなしに、私の中に息づいている"我ならぬ我"を目覚ませることに向けられていたのです。これがサットグル的存在と言っている所以なのです。
今でもその交流のことを思い返せば、アリアリとその生きたものーそう、現臨そのものと言ってもいいーを身に覚えずにおれません。
昭和55年春、初めて深く相対した時が、まさに私の人生では極めて忘れ難いものとなったのです。
「あなたの中には、どうしてもこうしても、天地と一つにならなければ居れないあなたが居るんですi」
"この人は私自身でも分からないけど、この息づいてやまない、何ものかのことが分かるんだi 人生でこんな人とお目にかかれるとはi"
この出会い無しには、その数年後の爆発的体験のことも考えられません。
命位様は私のうちに地殻活動が息吹いているのを見ていたのです。
その後も幾度かこういう交流が持たれましたが、いつもそれはこういう感じで始まります。
「今日のあなたはどうなんですか?」
私の中のフォッサマグマが、冷えきらないようにちゃんと見通しているのです。そう、見通されているのです。"お前はどうなんだ?"とあの声なき声の主のように...
「あなた自身の声を聞くまで私は、いつまでもいつまでも待ちますよi」
それでも、命位様はこの私の知らない私自身が、協会が宣べ伝える大調和世界の開示につながることを願っていたのです。
私はこのことに触れざるを得なかったであろう、平成8年春命位様突然の帰天の前に、何としても私の全存在をもって交流せずば居れないものを感じながらも、果たせなかったことを返す返すも残念に思えてなりません。


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人生の教師と普遍性

2018-10-11 12:17:33 | 人生の教師
人の人生はそれぞれ違うし、誰も同じ人生は歩んでいない...私と同じ生き方をしている人が居てたまるもんか、ってものですね。
何度か書いているように、私は何人もの人世の教師たちに共感し、又その所縁の団体とも関係してきました。
それはあくまで、自分の精神の歴程をありのままに書いているまでで、そういう生き方を奨励している訳でも何でもないのは言うまでもありません。
そういうのは、天才かキ印?という私にしてあり得たのであって、マトモな人はマネはしないものでしょうけど...
それは、私が本格的に精神的な道を歩み始めたことと対応しているのですが、それ以前、新宗教M教団にハマって苦渋を味わったことに起因しているのです。
全く井戸の中の蛙みたいで、その教え以外に真理は無いと信じ込んでいたのです。
その牙城が崩れる発端となったものは、昭和52年秋大学の学園祭でやはり当時の流行りの新宗教の一つだった、GLA主催のパネルに興味本意で覗いたことにありました。
そこでやっていたビデオでは、M教団で売り物にしていた"手かざし"とか、後に福音集会で接したものとは遥かにワザとらしかったですが、"異言"を語っている状況などが写し出されていました。
「ほお、似たような、しかしどっか違うような...何にしても霊界の実証を究明している団体ってのもあるものなのだなあ...」
と、にわかに金科玉条はグラつき出し、M教団に後ろめたい気持ちも交えながらも、GLA関係の本を熱心に読むようになりました。
一月ぐらい経ったでしょうか、書店でその本を目当てにコーナーに行って、すぐ横にあった本を何気なくめくったら、米喜劇俳優グルーチョ.マルクス(丁度その頃そのマルクス兄弟の映画を観ました)に似た髭の人の写真が目に入りました。それが五井先生との出会いでした。
「おお、ここでも霊界の実証をしているではないかi しかし、あの髭といい、あまりオドロオドロしさは感じられないな...」と感じたのはハッキリ覚えていますが、このように、この頃はM教団で受けていたものが余程強かったのか、"霊界の実相を明らかにしているものが真理である"という、固定観念は拭い去れていなかったのです。
それも、徐々にM教団もやめて、GLAも飛び越え、五井先生に傾倒するようになり、その著書を読んでいるうちに、そこで書かれていた神の愛というものに触れたのか、涙がとめどもなく溢れてくるようなことがありました。
いつも言っている、惹き付けてやまないもの捉えられる、という端緒はここにあったのです。
同時にそれは精神的な牢獄からの脱却であり、普遍性を希求する道を開くことになりました。
神的なものは、普遍的なものです。
その後の出口聖師や小池先生、ラマナ.マハルシ、玉城先生らとの出会いでも、私は彼らに普遍性というものを見い出していたのです。
これは理屈抜きに共感することと、切り離せないものとも言えます。普遍性とは又障壁が無いということですから...
それは取りも直さずオープンマインドであることを意味しています。
精神が特定のドグマなど、固着した思念に囚われたままでは、自己の内奥、魂が開かれることはありません。
本当に魂が共感し、障りの無いものに出くわしたなら、自然にそれが第一義のものにならざるを得なくなります。
それは、私のように共感する教師が幾人も居る必要はありません。
一人の教師であったとしても、独善的にならず、そこに普遍的なものが見い出されている、精神にトラワレが無いことが肝心なことなのです。
教師は一人であっても、何人あっても、見えるものでも、見えないものでも我々がつながるものは、すべてで一つのものでしょうから...。


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思い出は今に

2018-10-08 11:19:14 | 回想
4年ほど前、私がこのブログを始めた頃は、当時流行の兆しを見せていた所謂ノンデュアリティに一寸傾倒していたのです。
"もう、信じる宗教とか、抽象的な教え、これから何かに到達せんがための修行などでは、私も世界もどうともならないのではないか? 自己と対象との乖離の無い、直接的な道によるしか無いのではないか?"とは今でも、いやそれ以前からずっと感じていることなのですが...
で、"自分以外の神とか霊的ナンヤラなんかを持ち出すのは、非二元的には中途半端なのではないだろうか?"、"元々そういうものとは一つのもので、常住その境地に居ないとイッパシの悟った人とは言えないのではないか?"などといった、はからい心も見え隠れしていたのです。
しかし、それはそういうあるべき自己の在り方というものを観念的に設えているだけであり、現実にはそういう心境になっている訳でもなく、何よりこの身はちっとも頷いてくれないのでした。
そうなると、一生懸命その設えたものに自分を合わせようと目論む...かくあるものと信じ込もうとしてしまう...要するに信じる宗教と同じ穽にハマることになってしまうのです。
この頃は、こんな具合で何とか腑に落ちるものを求めて迷っており、私の精神的な状態は概して低調なのでした。
それから極端な非二元論などに接するなどして、余計その迷いを増幅させるものを感じ、一気に幻滅してしまったのです。
そしてその年の暮、あれこれ頭の中で馳せ巡っている思いを脇へ置いて、原点に立ち返って見ようと思い立ったのです。
というよりも、そのある朝の冬らしからぬ小春日和がそんな気持ちを呼び起こしたのかもしれません。
"あの時もこんなポカポカ心地好い日だったなあ"...それは昭和54年春、私が初めてジンジンと自分の思いを超えた、ある内的感覚ともいうべきものがもたらされたのを身に覚えた時のことです。
その時分はとにかく"そうなったこと"に意識を向ける、向いちゃうことで"そうなる"ことがしょっちゅうあったのです。
何でそうなるかは説明が出来ませんが、単なる心的在り方でない、身体感覚を伴うものがそうさせるようです。それが"身に覚える"と言っているものです。
そして、その30数年前の思いの記憶では点的にしか感じられない、あの時、この時のことがその感覚を通して一直線につながってしまい、それが思い起こしているその現在において、アリアリと時間の流れを超えて甦ってきたのです。
表層的意識では折々"消えた"とか"切れた"と思われていたものがずっと常住していたことが示されたのです。
(このプロセスは当時の記事にアリアリと反映されています)
これは又、あの83年夏の精神的爆発にもつながっていたのは明らかでした。
"そうだ、私の内奥にはこういうものが息づいているのだ"
そしてその夕方、そんなこんなのことに何気なく意識を向けているうち、およそ5年ぶりに神の手がかかり、現臨に捉えられてしまったのです。
これは私が心の持ち方を変えようとか、かくなるように信じ込もうとすることじゃありません。
意識を向ける、否、向く、向いちゃうということは、こっちの思いより先にそうさせるハタラキ的なものがあるということなのです。
私の人世の裏側への道は、このものの自然(じねん)的なハタラキによって始まったのです。
これで暗中模索のうちに開始された、このブログも何かが吹っ切れたように、より"私色"を強めるようになりました。
そして何よりも、私的には起死回生の一寸した"聖霊のリバイバル"に与る事態ともなったのです。
誰のために、何のために書いているのか判然としなかったこのブログですが、一つハッキリしたことは、自分のためだったのですi
こういうことは何時でも書く度にジンジンしてきます。
これをどう読むかはあなた次第ですが...
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人情神風船

2018-10-07 10:51:10 | 独語
こないだ仕事の同僚から何十年も前に、ある人から言われたこととまんま同じことを言われた...
「あんたはニヒルで無表情な時は魅力的だが、クシャッと笑うと台無しになるな...」
どうも、この見かけの"デスマスク"のおかげで、周囲の人は私の"Other Side"のことを知らないらしい...
私は本来とても感情的な人間なのだ
年取ってくると、堪え性が無くなるせいか、余計そんな感じになってきた
もう、隠しおうせないものと思いきや、この他所向きの顔は余程皮に張り付いているようだ
仕事の定めごとらしいけど、"先輩なんだから、ビシビシと厳しく指導してやってほしい"と言われても...
分からないかなあ、こちとらビシビシやっているように見せかけているだけだってことが...
先輩だろうと、後輩だろうと出来んものは出来んし、ちっとでもラクしたいし、お互いイヤな思いはしたくないだろう...
"こりゃ、見ちゃいらんない!"と、ガツンと言ってやろう(死語)と思っても、そう、神妙な顔されちゃうと...

"野良猫に無闇にエサをやってはいけませんi 野良猫が一杯増えてかえって可愛そうな猫を増やし続けることになるんです..."
法律で定められているのか? 猫の都合ってのは無いのか?
何が可愛そうなのか、猫に聞いてみなけりゃ分からない理屈だが、目の前で鳴いているところを見せられたら...つい...

"現実を直視すべきですi"
私はTVでも映画でもあまり可愛そうな場面、酷い場面はなるべく見ないようにしている
でも、見なきゃならないかなあ...今見なきゃならないかなあ...
寝る前はイヤだなあ...夕日がキレイな頃合いもイヤだなあ...
心惹かれる場面だったら、考える余地など無い...直ちに観ている...
この現実を見外してなるものかi

この夏は大雨、台風、地震に見舞われ、多くの尊い命が失われた
大自然には勝てないというのか、これも神のなせることなのか?
神は無慈悲にも、人情などお構い無しに、ただ何かの法則通りに、運行をすすめるのみなのだろうか?
人の情というものは、神には叶わない、届かないことなのだろうか?
人情というものは風船のように神の前では儚いものなのだろうか?
神というものは一体...なんてことに思いを向けていたら、何だか涙が込み上げてきた...
どっかで何かが割れたようだ...
神の法則...天地のコトワリ、定めしこと...
そんなことなど忘れてしまった...

*表題は日本映画の名作「人情紙風船」をもじったものです
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私につながっていなさい

2018-10-06 11:18:11 | スピリチュアル
前回の続きのようなことですが、悟りというもののイメージーそれは実体などあるものでなく、まさしくイメージしか無いものなのかもしれませんーとして、眩いばかりの、ともすればその場かぎりのものになり勝ちな覚醒、一瞥体験といったものに留まるものでなく、常住そんな境地に居るようなものかな、というものは感じています。
これは宗教的な言い方をすれば常に神的なものと一つになっているようなことでしょう。
こうなると、悟ったとか目覚めたとかいうことはどうでも良くなってきそうです。
そして、又所謂"悟った人"に付いて回るイメージとして"自我、エゴが無い"というものがあります。
しかし、これは現実に則して考えてみればやはりイメージでしかないということが感じられます。
そんな人間この世で生きていける訳ないでしょ。まるで植物人間じゃありませんかi
それを"自分は居ない"とか何で真に受けられちゃうんでしょうかね?
自我から自由になる、その思いのガンジガラメから解放されている、ということは確かにあるでしょうが、それは無くなるという意味じゃないのです。
これは現世的な生活を営みつつ、超現世的なものに根ざして生きることを示唆しているのでしょう。
人生の表側、裏側共々が人の生なのです。これについて小池先生が語っていた「私の生き方はこの相対的現実にあって、絶対的なものを戴いているようなもの」という言葉に端的に言い表されています。
これは何故可能なのかと言えば、神的なもの、現臨に与ることによると言っていいでしょう。
そもそもがそれが表側と裏側と橋渡しなのですから...天と地との柱であり、神と人間の交わりなのです。
個が消えて全体があるのでも、その逆でもなく、"全個"的なものがあるばかりという感じです。
ベルジャーエフは「神が居て、人間が居るのでなく、神人が居るばかりである」と言っています。
この事を目の当たりにした時、私はその圧倒的な事態に目が眩んだのか、その体験そのものに囚われてしまったのでした。
そして、現世意識を取り戻しつつあった時、あの声なき声を聞いたのです。
「私につながっていなさい」
それは常に私の心根に刻まれていて、ぬぐい去ることが出来ないものですが、ある哀願のようなものが伝わってきました。おそらく私がそのつながりのことを蔑ろにしてしまうことを見込んでいたようにも感じました。
そしてその後実際に蔑ろにしていまうと...まるでツキに見放されたようなことが相次ぎ、ズルズルと思考のガンジガラメ地獄に嵌まって行くのでした。
それからいくつかの変遷を経て、ジンジンとあの感覚が身に覚えるように甦ってきたのは、あの声なき言葉の響きと共にあったのです。
単なる思いの記憶でない、身に覚えているものこそは常住のものです。
そしてあの一回性の体験と思われたものも、そうではなくなってしまいました。
今もなお、こうしてそこから現在進行形で気付き、学びを受けて表すことが出来るのです。それはこの常住のものを通じて可能なのです。
私は悟った人間のフリをしようと思ったこともありますが、正直ポンコツ人生だろうと、何だろうとどっちでもよくなりました。
ほんの僅かでもいい、願わくば寝ても覚めてもでありたいとは思いますが...覚えていたらいいのです。
あの響きを...「私につながっていなさい」

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