<04月26日プレイリスト>
[エリー・グリニッチ特集 2]
CHAPEL OF LOVE/THE DIXIE CUPS '64
I WANNA LOVE HIM SO BAD/THE JERRY BEANS '64
I WONDER/THE RONETTES "PRESENTING THE FABULOUS RONETTES" '64
MAYBE I KNOW/LESLEY GORE '64
DOO-WAH-DIDDY/THE EXCITERS '64
DOO WAH DIDDY DIDDY/MANFRED MANN '64
GOOD NIGHT BABY/THE BUTTERFLYS '64
LEADER OF THE PACK/THE SHANGRI-LAS '64
RIVER DEEP, MOUNTAIN HIGH/IKE & TINA TURNER '66
HANKY PANKY/TOMMY JAMES & THE SHONDELLS '66
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■内容の一部を抜粋
・近況
番組は相変わらず前倒しで収録している。いよいよコンサート・ツアーも大詰め。今週の金・土、5月1日、2日は沖縄公演、この後は5月11日(月)の中野サンプラザ追加公演1本を残すのみとなり、12月から続いてきた全国コンサート・ツアーも無事に終われそうだとタツローさん。追加公演の情報はタツローさんのホームページに掲載されている。
http://www.smile-co.co.jp/tats/
「お出でいただきましたお客さま、誠にありがとうございました。また、そんなに今度はあいだを空けないうちに、また回ってみたいと思ってはおります」とタツローさん。
・ELLIE GREENWICH(エリー・グリニッチ)特集
大物ソングライターなので資料がたくさんあり、ヒット曲も多いので意外に難物だとタツローさん。キャロル・キング特集やリーバー&ストーラー特集のように3曲続けてみたいな感じで、さわりだけ聴いてもらうのもよくないなと思い、今回は何週間かけてもなるべく完奏していってみたいと思っているのだとか。先週は1963年、フィル・スペクターのプロデュースで幾多のヒット・ソングを出したところまでお送りしたが、今週は1964年、ジェフ・バリー、エリー・グリニッチが所属していた出版社の経営者ジェリー・リーバー、マイク・ストーラーが「レッドバード」というレコード会社を設立し、そこからバリー&グリニッチがヒット曲を出して行くところから。
・CHAPEL OF LOVE
1964年のディキシー・カップスの「CHAPEL OF LOVE」は「レッドバード・レコード」設立第一弾シングル。見事全米NO.1に輝いた。バリー&グリニッチにとってもはじめてのNO.1ソングとなった。ディキシー・カップスはニューオリンズ出身のガールグループ。「CHAPEL OF LOVE」は今ではアメリカン・ポップスのスタンダードとなっている。「CHAPEL OF LOVE」はもともとフィル・スペクターに提供した曲でロネッツやダーレン・ラブのレコーディングもある。しかしフィル・スペクター自身はこれらをシングル・カットしないで半ばボツにしていたので、ディキシー・カップスが取り上げたところ見事NO.1になった。これにスペクターが嫉妬して、そこから仲がこじれて、しばらくの間、スペクターの仕事をしなくなるというようなことがあったそうだ。
・I WANNA LOVE HIM SO BAD
ジェリー・ビーンズはニュージャージーの女3人、男1人の黒人ヴォーカル・グループ。1964年の初夏に全米9位となった。
バリー&グリニッチの作品は歌詞もメロディもコードもひじょうに単純明快だが、なぜか心引き込まれる。特にコーラスのバック・リフがとてもユニークで、ドゥーワップの影響があるけれど'60年代的な斬新なコーラスのバック・リフで、これにビーチボーイズなんかも大きな影響を受けている。ブライアン・ウィルソンがフィル・スペクターに影響を受けているというけれど、このバリー&グリニッチのコーラスのバック・リフなしでビーチボーイズは語れないんじゃないかな、とタツローさん。
・I WONDER
フィル・スペクターの仕事も継続してやっているが、1963年に比べると量は減っている。ロネッツのアルバム『PRESENTING THE FABULOUS RONETTES』(1964年)に入ってる「I WONDER」はもともとはクリスタルズが歌っていた曲だが、圧倒的にロネッツのヴァージョンのほうが優れている。「私はこれはロネッツのワン・オブ・ザ・ベスト・テイクだと思っております」とタツローさん。
・ロックンロールに譜面はいらない
エリー・グリニッチはかつてデモ・クィーンと言われたことがあるくらいだから、コーラスのバック・リフで人を唸らせるテクニックはそのときに学んだのではないかと思われる。エリー・グリニッチはピアノをちゃんと学んでいるのである程度の音楽的素養は持っている人で、最初にジェリー・リーバー、マイク・ストーラーの出版社と契約したときに、譜面を書くように言われたそうだ。「譜面を読むことはできるし、どう書けばいいのか知っているけれども、それを利用したり、応用したことはない」とエリー・グリニッチはインタビューで言ってるそうだ。つまりロックンロールに譜面はいらないというようなことらしい。また曲を量産したいのでアレンジは人に任せていたそうだ。
・MAYBE I KNOW
エリー・グリニッチがコーラス・ガールの時代にレスリー・ゴアのバックでコーラスをずいぶんたくさんやっていたことがあるという。ソングライターで成功したらレスリー・ゴアに曲を書きたいという望みを持っていたそうだ。この「MAYBE I KNOW」はジェフ・バリーと一緒に曲を書いてレスリー・ゴアに売り込みに行ってヒット曲になったという。1964年の夏、全米14位。「なんかグリニッチのデモテープの歌唱法を彷彿とさせるレスリー・ゴアのシンギング・スタイルでございますが」とタツローさん。
・DOO-WAH-DIDDY
1964年夏になるとイギリスのロックンロール・グループにアメリカのソングライターたちが影響を受けるようになる。スクリーン・ジェムスとかリーバー&ストーラーの出版社が積極的にイギリスに曲の売り込みをするようになる。そうしたことからカヴァーの作品の中からヒット曲が出てくるようになる。エリー・グリニッチにとってその皮切りになったのが「DOO-WAH-DIDDY」。ロンドンで結成したマンフレッドマンが1964年10月に全米NO.1とした。オリジナルはニューヨーク出身の女性3人、男性1人の黒人4人組のヴォーカル・グループ、エキサイターズ。1964年初頭全米78位。エキサイターズで素晴らしいヴォーカルを取っているのはブレンダ・リードで、息子さんは'80年代にディールというグループから、後にベイビーフェイスのパートナーになったL.A. リード。
・GOOD NIGHT BABY
1964年9月に全米51位となった「GOOD NIGHT BABY」はバタフライズの曲。昔の資料にはエリー・グリニッチが歌っているとされているが、「僕の耳で聴くと黒人女性が歌っているように聞こえます」とタツローさん。曲がかかっている最中に調べたらバタフライズという黒人ヴォーカル・グループが存在すると確認が取れたそうだ。最近出たコンピレーション(『Do-Wah-Diddy: Words and Music by Ellie Greenwich and Jeff Barry』?)に書いてあったそうだ。
・LEADER OF THE PACK
シャングリラスは白人女性4人組のグループ。曲のタイトルは「族の頭」で、堅気の女の子が族の頭に恋をするが、親に反対されて、族の頭はふてくされて、バイク事故で死んでしまうという、いわゆるデス・ソングで「愛と誠」とか「ハイティーン・ブギ」の世界。プロデューサーのシャドー・モートンは後にヴァニラ・ファッジとか手掛けた人で、大仕掛けのやつ、大袈裟なものが大好きな人で、S.E.とか大好きな人。この人とバリー&グリニッチの作風が見事一致して1964年11月に全米NO.1となった。
・ビルボードの1964年の全米NO.1
バリー&グリニッチは1964年に4曲の全米NO.1ヒット曲を出している。ビルボードの1964年の全米NO.1は23曲でそのうちの4曲がバリー&グリニッチだった。ちなみに当時全盛を極めていたビートルズは5曲で、いかにバリー&グリニッチが売れっ子であったかわかる。
・1965年~
1965年にエリー・グリニッチはジェフ・バリーと離婚。たった3年間の結婚生活だった。だんだん作品数が減ってゆく。1965年はビートルズ、ボブ・ディランをはじめとする自作自演の波が否応なく迫ってきて、バリー&グリニッチのコンビもいつまでも自分たちの時代が続かないと見たのか、ニール・ダイヤモンドのプロデュースに専念しようとするが、ニール・ダイヤモンドが所属していたレーベルのオーナー、バート・バーンズが亡くなる。また離婚によるコンビ解消など不幸が重なり、1960年代の後半へ向かう。
・RIVER DEEP, MOUNTAIN HIGH
1966年、フィル・スペクターがバリー&グリニッチにオファーした曲。プロデュースはフィル・スペクター。アメリカでは鳴かず飛ばずだったがイギリスでは大ヒットを記録。アメリカのポップスがイギリスで高く支持されるという皮肉な現象が起こる。
・HANKY PANKY
1966年、トミー・ジェームス&ザ・ションデルズが彼らのデビュー曲に、1963年のレインドロップスの「HANKY PANKY」を取り上げてバリー&グリニッチ屈指の大ヒットとなった。
1960年代の後半はイギリス勢の台頭やボブ・ディランを代表とするメッセージ・ソングの台頭があり、職業作家がだんだん脇へ押しやられてゆく。バリー&グリニッチのコンビ解消というのは時代の必然という側面もある。ジェフ・バリーはその後も長く活動を続けるが、エリー・グリニッチは1970年代のはじめくらいでほぼ活動を終えてしまうような状態。その後、ちょっと復帰して、それからは悠々自適という感じ。
■リクエスト・お便りの宛て先:
〒102-8080 東京FM「山下達郎サンデー・ソングブック」係
■今後の予定
05月03日は、引き続き「ELLIE GREENWICH(エリー・グリニッチ)特集」