「南、私、結婚することにしたよ」
妹の里子はあっけらかんと言い放った。里子は妹でありながら私のことを呼び捨てにする。以前そのことを注意したら、アメリカでは姉妹だって名前で呼び合うとかいう理屈で改めなかった。本当かどうか怪しいし、第一ここはアメリカじゃない。四歳年下の妹に呼び捨てにためぐちで話される筋合いはない。ずっと前にこれでけんかをしたことがあった。確か三日くらい口をきかなかった。でも、結局根負けしたのは私の方だった。
里子は人からかわいがられるすべを心得ていた。言いたいことは言うくせに結構抜けたところも多いので憎めないのである。これは家族だけではなく多くの人が感じることのようで、妹には昔から友人が多い。しっかりしてるねと言われながら、なかなか本音の付き合いができる友達ができない私とは好対照だった。
「今度家に連れてくるね。ヒロシっていうんだ」
完全に妹のペースだ。ヒロシさんはどんな字を書くのだろう。一字で、博、弘、宏、洋もしくは寛なのか二字で博志か弘司か宏史か、もしかして比呂氏かも、いやひらがなかカタカナかもしれない。頭の中でパズルをしている私を無視して妹は重要な話をいとも簡単に話す。
「あの、できちゃったとかそういうんじゃないんだ。やるべきことはやったけどね」
なんでもあっけらかんといってしまうのが妹の流儀だ。こっちの方が勝手に赤面してしまう。こんなふうにいつのまにかに精神的主導権を握ってしまうのが妹の得意技なのだ。
一週間後にわが家に訪れた寛さんは(こう書くのだった)とても優しそうな人だった。年齢を聞くと私よりも年上で、落ち着いた感じがした。とってもいい人に思えた。私は寛さんにとっては年下の義理の姉になるのか、なんだかややっこしいなと思っていたら、寛さんの方から話しかけてきた。
「里子さんから、お姉さんのことはよくお聞きしています。これからよろしくお願いします」
「お姉さん」という言葉が耳の奥でこだました。これは妹にとっての姉という意味なのか、寛さんから見た義姉さんという意味なのか。それにしても礼儀正しい人だと思った。まったく妹にはもったいない人だ。
妹はいつもよりはおとなっぽく、かいがいしさまで感じられる雰囲気を醸し出していた。
父は寛さんの仕事について尋ねていたが、それも話題の一つとして取り上げられたものであった。なんでも雑誌の編集の仕事らしい。雑誌の名前は知らなかったが、出版社は有名な会社だった。父も寛さんの人柄に感心したようだった。
「こんな娘でいいんですか。こいつはおてんばですよ」
父の言葉は妹の頬を膨らませたが、寛さんはいたって真面目に、
「私こそ未熟者です。どうかよろしくお導きください」
ときわめて紳士的に答えた。もちろん母はすでに寛さんのファンになっていて、頼んでもいないのにお茶を何倍もついだ。途中でコーヒーも出すので寛さんは和洋折衷に耐えなければならなかった。
結婚式は家族だけであげることになった。地味婚は妹の発案だった。こんな不景気な時代に無理して披露宴なんかをやる必要はない。その分、家族で楽しくやりたいというのだ。父はこの提案に対しては最初抵抗した。娘の結婚式くらい盛大に、せめて人並みにあげさせたいという思いだったのだろう。寛さんも最初は妹の提案に驚いたようだったが、結局は妹の意見に合わせることになったようだ。先方のご両親も了解されているらしい。
「盛大なやつは南の結婚式でやって」
不適にも言い放った妹に、その予定がまったくない私は聞き過ごすしかなかった。
それから、半年後、結婚式の準備は主に当事者だけで進められた。式を箱根の由緒あるホテルで行うこと。料金の安い平日の午後に始めること。参列するのは、新郎新婦と、私達の家族三人と寛さんのご両親、お兄さん夫婦の九人だけということになった。
式当日、私は両親とホテルに向かった。平日というのに登山列車は観光客であふれていた。駅に着くとタクシーの運転手が私達の名前を書いた紙を持って待っていた。きっと寛さんの手配だろう。妹がそんなことをするはずがない。
ホテルは過去に皇室や有名人も泊まった由緒あるもので、柱やてすりなどに凝った意匠がさりげなく施されていた。部屋も時代がかっていたが、どこに行ってもそうかわらないシティホテルに比べると風情があってよかった。
妹と寛さんは先について写真撮影をしていた。ウェディング・ドレスを着た姿はさすがに大人っぽく見えた。でも、きっとあとでこう言うに決まっている、
「やっぱコスプレっていいね。南もやってみたら」
妹の考えることは何もかもお見通しだ。
結婚式はホテルの中にある教会で行われた。主人公を入れて9人だけの式。それでもおそらくアメリカ人の神父さんや、オルガンとバイオリン、フルートそれにソプラノの4人の女性たちが式を盛り上げてくれた。私は聞いたことがあるがよくは分からない賛美歌をほとんど口パクで歌えばいいだけだったが、父は花嫁の介添えとしてバージンロードを歩く大役を果たさなければならなかった。父はやはり緊張していた。それに引き換え妹は随分余裕があるようにも見えた。
結婚の宣誓、指輪の交換、サインなど一連の儀式が済んで結婚式はお開きになった。緊張したのは父だけであったようで、その後立て続けにタバコを吸っていた。私は妹に先を越されることに何かしらの思いが生まれるのかと思ったが、あまりそんな気は起こらなかった。ただ、妹が何か違った存在に見えてきた。そういえば、もう私と同じ苗字じゃないんだ。そんなどうでもいいことがじわじわと私を包んでいった。
式のあと妹が小さな声で、
「お姉ちゃん、いままでいろいろとありがとうございました。また、これからもよろしくお願いします」
としおらしく話しかけてきた時、私は妹が少し遠い存在に見えてきた。なぜかちょっと寂しかった。父は相手のご両親にねぎらいのことばをかけられてほっとしている様子だった。母は妹の衣装の崩ればかりを気にしている。寛さんは微笑んでいる。寛さんのお兄さんの夫婦は写真を撮っている。そして私は、そういうみんなの姿を目で負うばかりだった。
妹の里子はあっけらかんと言い放った。里子は妹でありながら私のことを呼び捨てにする。以前そのことを注意したら、アメリカでは姉妹だって名前で呼び合うとかいう理屈で改めなかった。本当かどうか怪しいし、第一ここはアメリカじゃない。四歳年下の妹に呼び捨てにためぐちで話される筋合いはない。ずっと前にこれでけんかをしたことがあった。確か三日くらい口をきかなかった。でも、結局根負けしたのは私の方だった。
里子は人からかわいがられるすべを心得ていた。言いたいことは言うくせに結構抜けたところも多いので憎めないのである。これは家族だけではなく多くの人が感じることのようで、妹には昔から友人が多い。しっかりしてるねと言われながら、なかなか本音の付き合いができる友達ができない私とは好対照だった。
「今度家に連れてくるね。ヒロシっていうんだ」
完全に妹のペースだ。ヒロシさんはどんな字を書くのだろう。一字で、博、弘、宏、洋もしくは寛なのか二字で博志か弘司か宏史か、もしかして比呂氏かも、いやひらがなかカタカナかもしれない。頭の中でパズルをしている私を無視して妹は重要な話をいとも簡単に話す。
「あの、できちゃったとかそういうんじゃないんだ。やるべきことはやったけどね」
なんでもあっけらかんといってしまうのが妹の流儀だ。こっちの方が勝手に赤面してしまう。こんなふうにいつのまにかに精神的主導権を握ってしまうのが妹の得意技なのだ。
一週間後にわが家に訪れた寛さんは(こう書くのだった)とても優しそうな人だった。年齢を聞くと私よりも年上で、落ち着いた感じがした。とってもいい人に思えた。私は寛さんにとっては年下の義理の姉になるのか、なんだかややっこしいなと思っていたら、寛さんの方から話しかけてきた。
「里子さんから、お姉さんのことはよくお聞きしています。これからよろしくお願いします」
「お姉さん」という言葉が耳の奥でこだました。これは妹にとっての姉という意味なのか、寛さんから見た義姉さんという意味なのか。それにしても礼儀正しい人だと思った。まったく妹にはもったいない人だ。
妹はいつもよりはおとなっぽく、かいがいしさまで感じられる雰囲気を醸し出していた。
父は寛さんの仕事について尋ねていたが、それも話題の一つとして取り上げられたものであった。なんでも雑誌の編集の仕事らしい。雑誌の名前は知らなかったが、出版社は有名な会社だった。父も寛さんの人柄に感心したようだった。
「こんな娘でいいんですか。こいつはおてんばですよ」
父の言葉は妹の頬を膨らませたが、寛さんはいたって真面目に、
「私こそ未熟者です。どうかよろしくお導きください」
ときわめて紳士的に答えた。もちろん母はすでに寛さんのファンになっていて、頼んでもいないのにお茶を何倍もついだ。途中でコーヒーも出すので寛さんは和洋折衷に耐えなければならなかった。
結婚式は家族だけであげることになった。地味婚は妹の発案だった。こんな不景気な時代に無理して披露宴なんかをやる必要はない。その分、家族で楽しくやりたいというのだ。父はこの提案に対しては最初抵抗した。娘の結婚式くらい盛大に、せめて人並みにあげさせたいという思いだったのだろう。寛さんも最初は妹の提案に驚いたようだったが、結局は妹の意見に合わせることになったようだ。先方のご両親も了解されているらしい。
「盛大なやつは南の結婚式でやって」
不適にも言い放った妹に、その予定がまったくない私は聞き過ごすしかなかった。
それから、半年後、結婚式の準備は主に当事者だけで進められた。式を箱根の由緒あるホテルで行うこと。料金の安い平日の午後に始めること。参列するのは、新郎新婦と、私達の家族三人と寛さんのご両親、お兄さん夫婦の九人だけということになった。
式当日、私は両親とホテルに向かった。平日というのに登山列車は観光客であふれていた。駅に着くとタクシーの運転手が私達の名前を書いた紙を持って待っていた。きっと寛さんの手配だろう。妹がそんなことをするはずがない。
ホテルは過去に皇室や有名人も泊まった由緒あるもので、柱やてすりなどに凝った意匠がさりげなく施されていた。部屋も時代がかっていたが、どこに行ってもそうかわらないシティホテルに比べると風情があってよかった。
妹と寛さんは先について写真撮影をしていた。ウェディング・ドレスを着た姿はさすがに大人っぽく見えた。でも、きっとあとでこう言うに決まっている、
「やっぱコスプレっていいね。南もやってみたら」
妹の考えることは何もかもお見通しだ。
結婚式はホテルの中にある教会で行われた。主人公を入れて9人だけの式。それでもおそらくアメリカ人の神父さんや、オルガンとバイオリン、フルートそれにソプラノの4人の女性たちが式を盛り上げてくれた。私は聞いたことがあるがよくは分からない賛美歌をほとんど口パクで歌えばいいだけだったが、父は花嫁の介添えとしてバージンロードを歩く大役を果たさなければならなかった。父はやはり緊張していた。それに引き換え妹は随分余裕があるようにも見えた。
結婚の宣誓、指輪の交換、サインなど一連の儀式が済んで結婚式はお開きになった。緊張したのは父だけであったようで、その後立て続けにタバコを吸っていた。私は妹に先を越されることに何かしらの思いが生まれるのかと思ったが、あまりそんな気は起こらなかった。ただ、妹が何か違った存在に見えてきた。そういえば、もう私と同じ苗字じゃないんだ。そんなどうでもいいことがじわじわと私を包んでいった。
式のあと妹が小さな声で、
「お姉ちゃん、いままでいろいろとありがとうございました。また、これからもよろしくお願いします」
としおらしく話しかけてきた時、私は妹が少し遠い存在に見えてきた。なぜかちょっと寂しかった。父は相手のご両親にねぎらいのことばをかけられてほっとしている様子だった。母は妹の衣装の崩ればかりを気にしている。寛さんは微笑んでいる。寛さんのお兄さんの夫婦は写真を撮っている。そして私は、そういうみんなの姿を目で負うばかりだった。