鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

勝目城跡

2024-08-30 | 史跡

南九州市川辺町勝目の勝目城(山田城)跡を紹介します。

 

国道225号の勝目麓信号から東へ行くと、道路左に入口があります。

 

空堀跡を登って行きます。

 

勝目城跡です。

 

案内板。島津氏の子孫の大野氏の城でしたが、一時断絶し、その後再興されました。

 

仏像や石塔が並んでいます。

 

仏像です。

 

頭のない仏像。

 

大野氏供養の石塔です。

 

別の石塔。

 

近くに穴があり、ロープが張られています。

 

底は見えませんが、井戸でしょうか。

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清水桜元の隠れ念仏

2024-08-26 | 史跡

南九州市川辺町清水桜元の隠れ念仏を紹介します。

 

案内板に従って行くと、道路の正面に水路があり、ここを進みます。

 

正面にシラスの崖があり、ここを右へ行きます。シラスの崖に穴があります。

 

シラスの崖の穴。これが隠れ念仏ではありません。

 

内部です。何の穴かわかりません。

 

山道を登って行きます。

 

案内柱の左の階段を上がります。

 

隠れ念仏入口です。人がしゃがんでやっと入れるくらいの大きさです。

江戸時代、浄土真宗(一向宗)は禁止されていたので、信者は夜ここに集まり、念仏を唱えていました。

 

内部。先で穴が右に続いているのがわかります。

集落からの入口に見張りを置き、役人が見回りに来ると鐘をたたいて知らせ、谷を伝って鳴野原へ逃げていたそうです。

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軸屋観音堂他

2024-08-10 | 史跡

南九州市川辺町の軸屋観音堂を紹介します。

 

神殿郵便局から川辺ダムへ行くと、軸屋集落の道路左に巨木と観音堂があります。

 

巨木の下部。樹種はわかりません。

 

根元と観音堂。

 

軸屋観音堂です。

 

鍵がかかっているため、鉄格子の隙間から撮影しました。

 

立派な仏壇に木像があります。

 

馬頭観音です。1711年、軸屋名頭の早兵衛が奉納しました。

 

お堂の前には五輪塔があります。

 

神殿郵便局の裏にある瑞朝寺跡です。今は墓地になっています。

 

2体の仏像があります。

 

右の仏像。穏やかな表情です。

 

左の仏像。

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蒲生どん墓

2024-07-31 | 史跡

姶良市蒲生町上牛徳の蒲生どん墓を紹介します。

 

案内板に従って行くと、正面に蒲生どん墓があります。

 

右側の記念碑と案内板です。

 

立派な五輪塔が並んでいます。ここは中世の豪族蒲生氏の墓で、菩提所であった法寿寺跡です。

 

前列の五輪塔。蒲生氏8代から13代までの当主と一族の墓31基が並んでいます。

 

梵字が刻まれた五輪塔。

 

2列目の五輪塔。

1867年の洪水で流出・埋没したものを、昭和13年(1938年)にこの地に復元保存しました。

 

3列目の五輪塔はやや小ぶりです。

 

向かって左の五輪塔などです。

 

前の写真の右の仏像。

 

お昼は、テレビで紹介された孝子庵で、お好み焼きランチを食べました。

 

店主が焼いた本場のお好み焼きを、テーブルの鉄板へ運んでくれます。これにご飯、みそ汁、コーヒーが付いて550円は安いです(ご飯は頼みませんでしたが)。

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蒲生町戦役記念碑群と仁王像

2024-07-30 | 史跡

前回の姶良市蒲生町の蒲生八幡神社の隣に、戦役記念碑群があります。

 

階段を上がります。

 

正面に5基、左右に2基づつ、計9基の記念碑があります。

 

正面の記念碑を右から見て行きます。これは戊辰戦役記念碑。

 

日露戦役記念碑。

 

日清戦役記念碑。

 

西南戦役記念碑。

 

庚申供養碑(通称「関ヶ原記念碑」)。関ヶ原で島津は敗退しましたが、戦役記念碑は珍しいです。

 

向かって右の記念碑です。

右は日清日露戦役戦病死者従軍者・戊辰戦役従軍者碑、左は兵事表彰状碑。

 

向かって左の記念碑。右は西南戦役薩軍殉難者「鬼神泣壮烈」。左は慰霊塔で太平洋戦争の慰霊碑と思われます。

司馬遼太郎は「街道をゆく」の取材でここを訪れ、「日本戦史そのものがこの郷に集約されている感があった」と書いているそうです。関ヶ原から太平洋戦争までの戦役記念碑がそろっているのは珍しいです。

 

隣の招魂社で、横に仁王像があります。

 

両腕のない仁王像。

 

吽像のアップ。

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禅福寺陽春院跡

2024-07-20 | 史跡

姶良市姶良町の禅福寺陽春院跡を紹介します。

山田から県道を北へ行き、右に入って山田川を渡って進むと、城集落にあります。

 

人家の横を通って進むと、横井戸があります。寺の時代から使われていたのでしょうか。

 

寺跡です。記念碑の後ろに仁王像と不動明王があります。

 

破壊された2体の仁王像。

 

左の仁王像。両腕はなく、頭部も破壊されています。仁王像は1760年に建立されました。

 

右の仁王像は頭部と両腕がありません。廃仏毀釈で、徹底的に破壊されたようです。

 

不動明王です。右手に剣を持っています。

 

憤怒の形相をしています。

 

墓が並んでいます。

 

僧侶の墓もあります。

 

寺跡は、立派な墓地になっています。

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新照寺

2024-07-16 | 史跡

姶良市姶良町住吉にある、国登録有形文化財の新照寺を紹介します。

 

新照寺の正門。浄土真宗のお寺です。石柱の門と石塀があります。

 

左側の石垣です。

 

正門の前には、広々とした田園風景が広がっています。

 

本堂は、寺には珍しい総石造りの建物です。

 

この建物が造られたのは明治25年です。

 

釣鐘と装飾。

 

境内に両腕のない仁王像があります。

 

正面に向かって左の面です。

 

通用門。

 

左が裏面です。

 

裏面を見る。おしゃれな窓があります。

 

窓のアーチです。

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串木野の青面金剛

2024-07-14 | 史跡

串木野の青面金剛を紹介します。

 

国道3号の須納瀬信号から東へ行き、線路を超えると道路脇に石造物があります。

 

正面より見る。

 

右は青面金剛です。病魔を撤退させる威力があるとされています。

 

手が3組あり、一つは前で手を合わせ、他は弓矢を持ち、玉を上にあげています。

顔は風化していますが、怒りの形相をするのが多いです。

 

左の地蔵。立派な台座に乗った座像です。

 

穏やかな表情の地蔵。

 

中央の石灯籠。

 

寛政七年(1795年)の文字が刻まれています。他の石造物も同年代でしょうか。

いずれも花が飾られ、大切にされているようです。

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梅天寺跡(島津家久墓)

2024-07-07 | 史跡

前回、島津四兄弟の父、貴久誕生の亀ヶ城跡を紹介しましたが、四男家久の墓がある梅天寺跡を紹介します。

 

日置市吹上町永吉の、永吉川左岸側にある梅天寺跡入口です。

 

案内板。

島津家久は、島津家第15代当主貴久の四男として、伊作城で生まれました。

 

梅天寺跡です。家久は永吉島津家初代領主となりました。

 

いろいろな碑が並んでいます。

島津四兄弟の中では、関ヶ原の戦いの島津の退き口や、秀吉の朝鮮出兵で知られる次男の義弘が有名ですが、家久はそれ以上に戦上手だったということです。

 

石祠と僧侶の墓。

豊臣政権に降伏した後、41歳で急死しました。死因はいろいろな説がありますが、病死とされています。

 

石灯籠。

 

島津家久の墓です。

永吉川対岸(右岸)に、家久の子豊久の墓がある天昌寺跡がありますが、そこに比べてここは規模が小さく、地味な印象です。

 

近くの古民家レストラン「R270ひおき」で昼食にしました。

 

日替わりランチは3種類から選べ、キスのフリッターランチを頼みました。

 

メインのキスのフリッターです。フリッターは洋風天ぷらですが、衣はふわふわと軟らかく、和風天ぷらとは違ったおいしさです。

これにコーヒーが付き900円はお得です。

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亀ヶ城跡(島津貴久誕生地)

2024-07-06 | 史跡

南さつま市金峰町の亀ヶ城(田布施城)跡を紹介します。

亀ヶ城は、島津家の分家の一つである相州(そうしゅう)家の居城でした。

 

階段を上がって行きます。

 

階段下の桁橋です。

 

横から見た桁橋。

 

階段を上がった所にクスノキの巨木があります。

 

根元から椿が生えています。

 

亀ヶ城跡です。亀ヶ城神社の境内になっています。

相州家3代島津忠良(日新公)は、1512年、伊作からこの城に移りました。忠良の長子貴久は、1514年この城で生まれました。

 

「大中公誕生之地」の碑。大中公は島津貴久のことです。貴久はその後、島津本家第15代当主になりました。

 

参道を進みます。左にクスノキの巨木があります。

 

両亀石です。

 

貴久を祀る亀ヶ城神社。

貴久の子供が、島津四兄弟(義久、義弘、歳久、家久)です。

 

神社の前のクスノキの巨木。

 

苔むした根元。

 

大きく枝を広げた上部。

次回は貴久の四男、家久の墓を紹介します。

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