新しい技術にとって替わられ、滅んでいったものは数多い。
私が若いときワープロはなく、公式文書は、タイピストが和文タイプライターで作成していた。
ワープロが出初めたとき、タイピストからの「和文タイプは滅びない」という投書が新聞に載ったことがある。
理由は、「ワープロの文字は汚いが、タイプの文字は美しいから」というものであった。
確かに、当時のワープロ文字はドット数が少なく、ギザギザした文字で汚かった。
だが、その人は技術の進歩を甘く見ていたのだ。
ワープロはドットの問題などたちまち解決し、活字に劣らない美しい文字で印刷できるようになった。
やがて、和文タイプライターもタイピストという職業も、完全に駆逐されてしまった。
私が子供の頃は一般家庭に電話がなく、緊急の連絡は電報だった。
夜中に電報配達員が来ると、たいてい「○○シス」といったような悪い知らせだった。
合否電報というのもあった。
大学入試の結果を電報で知らせるもので、電文は「サクラサク」、「サクラチル」が一般的だったが、その地方特有のものもあった。
例えば、私が今適当に考えたのだが
秋田なら「アキタオバコホホエム」
岡山なら「モモタロウオニタイジス」
鹿児島なら「キンコウワンニニジタツ」
といった具合である。もちろんどれも合格電報である。
電文はカタカナなので、こんなジョークもあった。
子供が親に「カネオクレタノム」と電報を打ったら、親から「ダレガクレタカノムナ」と返信があった。
子供は「金送れ。頼む」と電報したのだが、親は「金をくれた。飲む」と勘違いし、
「誰がくれたか。飲むな」と返電した、というジョークである。
その後、一般家庭に電話がいきわたり、今は個人が携帯電話を持って、いつでもどこでも電話やメールで簡単に情報を伝達できる時代になった。
では、電報の役割は終わったのかといえばそうではない。
慶弔電報として、しっかり生き残っている。
今、電報のほとんどはこれである。豪華な電報もあり、値段も結構高い。
電報は、緊急情報伝達手段からセレモニーの小道具へと役割を変え、技術の進歩をかいくぐってしぶとく生き残った稀有な存在といえるだろう。