昨日、展望所から見た古仁屋の町から、県道を西へ少し行くと、道路に「旧陸軍弾薬庫跡」と書いた看板があります。
早速行ってみました。
このような洞窟入り口が3つあります。
これは、旧陸軍が南方方面の防衛のため、昭和7年に構築した弾薬貯蔵補給基地です。
中に入ってみました。
奥までは入れませんが、入り口付近は入れます。
まだしっかりしたコンクリートの壁が続いています。
これは、網目状の鉄骨を厚いコンクリートで固め、銅版を張りめぐらせ、さらに湿気が来ないように二重構造になっており、当時の弾薬庫としては、日本で最も優れたものであったそうです。
対岸の加計呂麻島には、作家の島尾敏雄が隊長として駐屯していた時の、特攻艇の格納洞窟があります。
戦争の遺構がまだこのように残っているんですね。
早速行ってみました。
このような洞窟入り口が3つあります。
これは、旧陸軍が南方方面の防衛のため、昭和7年に構築した弾薬貯蔵補給基地です。
中に入ってみました。
奥までは入れませんが、入り口付近は入れます。
まだしっかりしたコンクリートの壁が続いています。
これは、網目状の鉄骨を厚いコンクリートで固め、銅版を張りめぐらせ、さらに湿気が来ないように二重構造になっており、当時の弾薬庫としては、日本で最も優れたものであったそうです。
対岸の加計呂麻島には、作家の島尾敏雄が隊長として駐屯していた時の、特攻艇の格納洞窟があります。
戦争の遺構がまだこのように残っているんですね。
高校生の頃マラソンで弾薬庫まで って
それが市役所まで・・というように場所としてだけ
聞いていました。
文字で見て この堅固な建物をみると
戦争ってあったんだなぁと実感しますね。。
子供のころ、近くの松林で、戦争中の手榴弾が発見されたことがあります。
戦後63年たっても、まだこのようなものが残っているんですね。
これはまだしっかりした施設です。
写真で見る限り、全然、痛んでいないように見えます。すごい技術ですね。
今でも立派に使えそうです。
おはようございます。
私もそう思いました。
補修しているのでしょうか。
でも、もう用途がないものを、補修するとも思えませんし。
それだけ、技術がすぐれていたんでしょうね。