いつもありがとうございます。
今日は金田徳光先生の命日です。
カナダ先生は大正8年1月4日にお亡くなりになられまし。
なので自然社本宮を始め
全国の自然社
そしてここ和歌山市で
年祭を行います。
金田先生は
八尾でお生まれになり
小さい頃数え年で9歳だったと思いますが
丁稚奉公に行きます。
堺の
堺の金物問屋にです。
そして幼い頃より慈しみの心が深かった金田先生は
ある時弘法大師のお話を聞きます。
弘法大師は幼い頃に四国でこのような願いを立てて崖の上から飛び降りられました。
その願いとは
もし我が身が役に立つものなら生かしたまえ
もし我が身が役立たない物だったら
死んでしまっても構いません。
との誓願を立て
崖の上から飛び降りられたというお話です。
幼い頃から慈しみの心が深かった金田先生は
弘法大師も人ならば
この私も人である
いつか私も行ってみようと志されたのであります。
そして働きながらその機会を狙っていたのでありますがなかなか行く機会がありませんでしたが
決意をして大阪と和歌山の境にある犬鳴山へ働いているところから黙って飛び出しました。
そして犬鳴山の崖の上からもしは髪が役に立つなら生かしたまえ
役に立たないものならば死んでしまっても構いませんと
弘法大師が四国でされたように
冬至数え年で13歳だったと思いますがカナダ先生も弘法大師と同じように誓願を立て崖の上から飛び降りました。
不思議なことに気が一つ無くですね滝の滝壺に落ちたそうでございます。
そして1度だけでもすごいことですが
翌日また決意をして飛び降ります。
飛び降りたらその時に21の光と21の音が聞こえたそうです。
そしてその時に世の中のことがよくわかる能力を授かったそうです。
それだけでも大変すごいことですが
かなで先生はその時色々な実験をされました。
持ってきた刃物で自分の太ももをザクッと切って
どういう心でいたら早く治るか
傷口を水で洗った場合と薬を塗った場合とどうなるか
などなど自分の身を使って色々と試されたのでした。
そんな丁稚奉公時代のエピソードはまだまだたくさんあるのですが元々を慈しみの心が深かったカナダ先生は
その心から色々な人を助けるようになっていきます。
そしてもうこれは人助けに専念した方がいい
ということになりますが
当時は金物問屋から独立して包丁職人として成功を収めていましたので
親戚や周りの方々がそんな人助けで食べていけるんか
ということを言われ
素直な金田先生は人の言うことを聞き
しばらく包丁職人として包丁を自分で作り売る仕事をしていましたが
どうしても商売がうまくいかなくなり
私はやっぱり人助けに専念したほうがいいということで
人助けに専念することになりました。
続く
皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします。