みなさん こんにちは
いつもありがとうございます。
さて
つづきです。
もう一度
東さんが
教えていただいた
教えを
紹介します。
「信仰が自分の生活のための
信仰という
自分中心の狭い心と
なっていたことに
気がつきます」
先日の
大雨で
JR和歌山線は
一部の区間で
しばらくの間
バスによる代行運転を
していました。
公共交通機関なので
多くの方々が利用するからです。
関係者の方々
工事の方々の
努力により
土砂崩れが直され
JR和歌山線は
現在は
従来のように
電車が動いています。
神社も公共の施設です。
神様の
み光(ひかり)を
多くの方々にも
いただいて
いただきたい
という
思いで
4代前の師匠
金田のおいやん
は
「私も高野山のようなところを
開きたいと思っている」と
弟子の御木徳一先生に
伝えられました。
東さん
高野山奥の院が
土砂災害の影響で
私たちの
お墓に
お参りできなかったら
どう思いますか?
一日も
早く復旧してほしい
と
思うでしょう。
奥の院は
入山禁止ということを
一刻も早く
改善することでしょうし
そのような場所です。
金田のおいやんが
高野山のような
という
表現をなさったんですから
高野山のように
すべての方々を
お迎えする
そんな
心で
自然社本宮の
管理をしていただけますでしょうか?
さて
自然社本宮(大神様 ご鎮座の み社(やしろ))
建立は
金田のおいやんが
生きておられるときには
実現せず
そして
御木先生の代でも実現せず
おいやんの
孫弟子にあたる
橋本さとみ先生が
中心となって
昭和38年12月7日に
鎮座落成しました。
以来60年
毎日毎日
お参りのみなさんを
お迎えしてきました。
神社は公共のもので
あるからです。
私の祖父
海津稔は
熱心な信仰者でした。
(自然社徳島の※氏子総代でした。)
※私たちは氏子総代とは
呼んでいませんが
一般的には
そのほうがわかりやすいので
氏子総代という
表現をしました。
祖父 海津稔は長年 自然社徳島の信徒会長を
務めさせていただいていました。
その祖父が
自然社本宮の造営のことを
伝える本に
「全人間の本宮だ」と
文章を残してくださっています。
まさしく
すべての方々の
自然社本宮なんです。
東さんそういう意識を
持っておられますか?
「これを長い年月
してきておることで
周りの子孫たちのためを
思いやり慈しむ
信仰者らしい
温かいものに
欠けていくことに
知らぬ間になっていっていたと
知ります」
いまだに
このような
心になっているから
平気で
入山禁止と
できるのではないですか?
ほんとうにこの
教えが
わかったら
絶対に
入山禁止を
しないように努力していくことでしょう。
努力してみませんか?
あなたなら
必ずできます。
さて
話は
大雨の直後のことを
お伝えします。
大雨のあと
すぐ
私は
入山禁止と書いてありましたが
自然社本宮にお参りしました。
そして
お参りを終えて帰ろうと
自然社本宮の駐車場から
200メートルほど行ったところ
奈良ナンバーの車がお参りに見えましたので
(YouTubeを見て参拝してみたいと
はるばる奈良県から来られた家族連れの方々でした)
お声掛けをして
ともに
参道をあがり
お参りしました。
私がいなかったら
看板を見て
帰ってしまわれていたことでしょう。
「・・・・・
周りの子孫たちのためを
思いやり慈しむ
信仰者らしい
温かいもの・・・・・」
と
教えられているのですから
一刻も早く
参道をもとの状態にして
(※あるいは一時的に、輸送路を
開放するなど、通行禁止ではなく
こういうときは
公共交通機関が
バスの代行運送をするように
一時的な措置として
みなさんに開放するのも一つの方法です)
※輸送路 自然社本宮には
駐車場から
車で
神殿 拝殿のそばまで
上がれる
道路があります。
私たちは輸送路と
呼んでいて
一般のみなさまには
ご通行をご遠慮いただいています。
お参りしていただこうという気持ちに
自然となるはずです。
東さん
今一度
自然社徳島で
おられた時の
教えを
お誓いしていただいて
お参りのみなさんを
お迎えしていただけませんか?
どうぞよろしくお願いいたします。
皆様のご健康とご多幸を
お祈りいたします。