自然社のこと

余呉湖のこと

皆さんこんにちは

いつもありがとうございます


もう30年ぐらい前になりますが

自然社の行事で
滋賀県にある余呉湖の
あたりで青年錬成会を行いました。


日本の水瓶と言われている琵琶湖の

さらに北側にある
この湖は



日本の水の恵みの源とも呼ばれています。


そんな日本にとって重要な場所に


これからの日本を担う若者たちが集まりました。






行事の中で最も大切だった行事は
余呉湖のほとりでお祈りをすることでした。




他にも様々な行事を行いましたが

私はおかげさまで青年たちの前でお話をする機会に恵まれました。



お話の内容は
なぜ私が神主を志したか
そして神主にならせていただく決意をした経緯をみんなの前でお話ししました。





詳しいお話の内容は覚えていませんが

私が二十歳の頃に体験したお話をさせて頂いたと思います。





自然社本宮で生まれ育ち18歳まで自然舎の社宅で暮らしていた私は

大学進学を志し
大阪市住吉大社の近くで下宿をしながら新聞配達をし
大学の進学のために勉強をしていました。


そんな冬のある日年末ですが

両親から宅配便が届きました。




その中に大晦日に行う歳末大祓神事で使う形代が1枚入れてくれてありました。


幼い頃より筆すずり墨を使ってその形代に名前と年齢を書いてきておりましたので
下宿先に筆すずり墨がなかったので


自然社本宮の神様をお祀りしている大阪市阿倍野区にある自然社に行きました。




そして自然社の神主さんから筆硯墨をお借りして
形代に名前と年齢を書き
その方指導お供えさせて頂きました。



その後神主さんから色々なお話をお聞きし
私も普段から思っている事をお話しさせて頂きました。



そしてお話をお聞きしそして私もお話をさせていただいたことによって

気持ちが明るく変えさせていただきました。




そして自然車を後にしちんちん電車に乗って住吉大社の近くに自宅に戻る途中



もう涙が溢れて溢れて止まらなくなりました。


ありがたいなぁ

父親も歩んでいる神主の仕事私もさせていただこうと決意させていただき



自宅に戻ってからすぐまた阿倍野区の自然社までちんちん電車に乗って出かけ

神主にならせていただきたいと決意させていただきました。



あれから33年以上の年月が流れましたが

自然社本宮の神様に対する思いはますます強くなり

自然社本宮の採取を継がせていただこうという決意が固まりつつあります。



そしてまた私たちとともに余呉湖でお祈りをしてくださった若者たちも

また自然社に集い
もうほとんどの方が五十歳を超えておられると思いますが


まだまだ若い年齢ですので
そういった方々もお誘いして


今年は富士山の山頂から祈ろうと


決意を固めている次第でございます。


皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします。



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