瑠璃神社

自然社本宮出身の福井きよてる です。
どうぞよろしくお願いいたします。

海行かば

2023-01-01 15:07:18 | 日記










皆さんこんにちは

ふるさと自然社本宮では毎月19日に
万国戦没者慰霊殿で
月次祭を行なっています。


月次祭は午前11時から行われます。


大祭は9月の19日
午後7時より執り行われます。


その式典後

皆さんで

海行かば

という歌を歌います。


私は幼い頃より
この歌を歌うのが
とても楽しみで

今でも式が終わった後
皆さんとともに
歌わせて頂いています。

また和歌山市から自然社本宮に参拝したおり
万国戦没者慰霊前にお参りした後
海行かばを
歌わせて頂いております。




私の先輩の神主さんが

以前自然社から出ている月刊誌に

この
海行かば
のことについて詳しく書いてくださいました。


先輩の文章から少しご紹介をさせていただきます。




東大寺の大仏が建造されている時

この大きな仏像を
金色に仕上げるために
必要な黄金が



天平21年
西暦749年
2月

国内で初めて今の宮城県涌谷町で見つかったことを

お喜びになられた聖武天皇が
そのことを
仏前で
奏されました。


その時に
もともと大伴家持が作った歌を天皇が引用されたので
 
大伴家持は大変喜んで
改めて
歌を作りました。



その中に




海行かば
水漬くかばね
山行かば
草むすかばね

大君のへにこそ死なめ
顧みはせじ





この
歌が千数百年を経た

昭和12年
1937年

作曲家の信時潔さんが
メロディをつけて

出征兵士を送る歌として
完成させました。



そして昭和12年11月に
国民歌謡としてラジオから
初放送されました。


昭和18年10月
早稲田の戸塚球場で
戦時中最後の早慶戦が
行われました。


戦地に出征する学生たちに

せめてものはなむけを


慶應義塾大学の小泉信三塾長の思いが
人々を動かして実現したものでした。



試合は 慶応大学が早稲田に負けますが


慶応大学の学生が早稲田大学の校歌

都の西北




早稲田大学の学生が

慶応大学の校歌

若き血

歌ってエールを交換し終えると


期せずして

海行かば

の大合唱が早稲田の杜に響きました。


小泉信三塾長は三塁側のスタンドの学生達の中にいましたが

溢れる涙を拭うことも
しなかったと伝えられています。


元々

海行かば



大伴家持が
おおらかに時代をたたえ
聖武天皇を讃える
歌でありました。



それが現在は
戦没者慰霊のためになくてはならない歌となっているのは
時代の流れを
表しているように思います。



何年か前の戦没者慰霊殿大祭で

こんなことがありました





式は滞りなく進み
橋本先生のご挨拶が済んで

最後に
みんなで

海行かば

斉唱しました。




その時
ある奥さんが
このような体験を
なさいました。




大勢の男性歌手が
周囲を取り囲んで歌っているように
聞こえ出しました。

それは1000人に及ぶ体格のいい男性歌手が
大合唱しているような歌声でした。


声から推測して外国の人も混じっている感じを受けましたが
なぜか
みんな日本語で歌っていました。


ものすごい音量なのですが
全くうるさい感じはなく

四方から立体的に聞こえて
身体中に響き渡り
それが心のどこかに触れてゾクゾクして
涙があふれてきました。


この体験について後日
神様から次のように
教えていただいたそうです。




式の最後の
海行かば
式場に集まっている参列者だけでなく
慰霊殿に祀られている御霊達も共々に
精一杯の想いをこめて
合唱して居ると知ります。


現象界そして幽界が
一つに和して
世界の平和と国家の安泰を願い
祈りを込めた
尊い
ひと時であったと知ります。








皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします。





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