感覚を抱く方も多いのではないでしょうか。幼いながら誰にも相談できず、抱え込んだ結果
自分の存在価値を問うとこまで追い詰められた被害者が自ら命を絶ってしまうという胸が痛むニュースも
増えています。いじめを目の当たりにした第三者もいじめを止めることで自分もターゲットにされるのではと言う
恐怖から救いの手を差し出すことすらできなかったり、見て見ぬ振りをしてしまったりするのが現実です。
その対策として一定時期に学校教育機関ではいじめ被害の有無や、いじめを見たことはあるかどうかなどの
アンケート実施を行なっています。しかし、学校側がいじめを隠蔽したり教師側が見て見ぬふりをすると言う
絶望的な現実も存在しているのです。
今回はそのいじめとは一体なにか、と言う点に触れていきます。
一番最初にいじめの定義がたてられたのは昭和61年度
内容は
『「いじめ」とは、「①自分よりも弱い者に対して一方的に、②身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、③相手が深刻な苦痛を感じているものであって、
学校としてその事実(関係児童生徒、いじめの内容等)を確認しているもの。
なお、起こった場所は学校の内外を問わないもの」とする。』
というものです。
つまり、学校が認識していないものはいじめとみなされない=「それはいじめとは言わない」と認識してもらえなかった事例が
多かったと見受けられます。
次に改訂されたのは平成6年度
『「いじめ」とは、「①自分より弱い者に対して一方的に、②身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、
③相手が深刻な苦痛を感じているもの。なお、起こった場所は学校の内外を問わないもの」とする。
なお、個々の行為がいじめに当たるか否かの判断を表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の
立場に立って行うこと。』
となりました。少し範囲が広がりいじめにとってポイントとなる「被害者側の立場」が尊重されるようになってきました。
さらに平成18年度では
『個々の行為が「いじめ」に当たるか否かの判断は、表面的・形式的に行うことなく、
いじめられた児童生徒の立場に立って行うものとする。
「いじめ」とは、「当該児童生徒が、一定の人間関係にある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、
精神的な苦痛を感じているもの。」とする。(※)なお、起こった場所は学校の内外を問わない。』
内容は大きく変わっています。一定の人間関係にある者から=力の強い弱いではなくどの人にもいじめの
加害者被害者になる可能性はあるという視点に変わっています。また、『身体的、精神的攻撃を「継続的に」〜』
が「受けたことにより〜」に変更されています。これはたった一回の出来事でも被害者が『精神的苦痛』を感じた
ものであればいじめとみなして指導をするというものです。
最新の平成25年度では
『「児童生徒に対して、当該児童生徒が在籍する学校に在籍している等当該児童生徒と一定の人的関係にある
他の児童生徒が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものも含む。)
であって、当該行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの。」とする。
なお、起こった場所は学校の内外を問わない。』
となりました。ネットいじめについて組み込まれていることから時代背景が反映されているのが分かります。
学校裏サイトなどのネットいじめに加え、近年ではオンラインゲームなどで課金をしていないがために
『弱い』『ヘタクソ』などといった暴言をはじめ、学校で仲間外れにしたりゲーム間で嫌がらせをしたりなど
いじめも複雑化してきています。
このように改訂するたびに内容が変化している理由の一つに時代の移り変わりが挙げられます。
当然教師陣の時代と、現代の子どもでは環境も大きく異なるので自分の感覚や経験だけでいじめを
判断するのは極めて危険です。お笑い芸人のいじりといじめが紙一重であり、いじめの境界線についてももしばしば市民の間で
議論されています。では、どのようにしたらいじめによって命を絶ってしまう子どもを救うことができるのでしょうか。
また、子ども同士でもいじめが発展して殺人になってしまう事件もあとを断ちません。
ここまでニュースになったり、事件になったり、いじめが増えているのにも関わらずその数は減っていません。
いじめというものはなくならない事を数字が物語っています。いざいじめを目の当たりにした際には
選択肢を増やしてあげることが被害者を救うポイントになっていきます。
学校以外の選択肢が現在増えていっているのもそういった対策です。そのなかには適応指導教室やフリースクール
というものがあります。これは何らかの理由で不登校になってしまった児童がいざ「外に出てみよう」という
気持ちになったとき、学校ではない別の場所を求めた時に利用できる施設です。不登校になったから心が休まるまで
好きなように…というのももちろん必要ですが、未来を担う次世代の彼らに学ぶ環境は必須で、その環境を整えてあげるのは
大人の責任です。
また、コロナ禍で注目された「リモート」を利用したオンライン授業も選択肢のひとつです。
こちらはまだ整備などが国として整っていないために仕事面でも様々な問題が発生していました。(別の記事で紹介します。)
「学校の勉強はしなくても、普通に生活していれば最低限の知識はつく、本当に勉強したくなったときには、小学校のレベルの
勉強は1年程度で追いつく」と言われています。もし自分の子が不登校になったら、もし自分が不登校になったら、と悩んでいる
方、学校以外にも学ぶ場所や環境、機会があることを忘れずに大いに活用することも大切です。
日本はやっとIT業界で学歴などよりも実務、実力、能力重視になってきたくらいなので
不登校=学力の心配が先立ちますが焦らずにゆっくりと心身を休め、「好きなことから学ぶ」という別角度から勉強することもできます。
必ず自ら学びたいものに出会うタイミングを見つけることはできます。
その機会としてフリースクールやオルタナティブスクール、地域で行われている子ども食堂などを活用するのもひとつです。
今回はいじめの定義がテーマなので不登校理由もいじめと仮定して前述しました。忘れてはいけないことは、学校がすべて
ではないということです。今後の学校以外の教育機関の発展に期待です。
いじめの定義
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます