JAPAN PAGE

JAPAN PAGEホームページにて更新される動画を文章化したまとめを載せていきます。

12月16日生まれの著名人を紹介します-Birth Day紹介-

2020-12-16 09:47:25 | 日記
・桐谷美玲
女優 モデル
1989年生 千葉県出身
2005年、高校1年生の時に「千葉のナンバーワン美少女」としてスカウトされ
2006年2月公開の映画『春の居場所』でデビュー
2006年、連続テレビドラマ『吉祥天女』に出演し
その後も『東京少女』『怪談新耳袋』などに立て続けに出演
この時、女子中学生・高校生向けファッション雑誌『Seventeen』第16号(同年4月号)より同誌専属モデルになる
同年10月より『めざましテレビ』内のコーナー「早耳トレンドNo.1」にレギュラー出演
2010年、『音楽人』で映画初主演
『女帝 薫子』で連続ドラマ初主演を果たす
2011年8月31日付で5年半専属モデルを務めたファッション雑誌『SEVENTEEN』を卒業
9月にドキュメント番組『情熱大陸』で特集が組まれた
2012年4月のキャスター初挑戦から2018年9月25日まで6年半にわたって『NEWS ZERO』の火曜日キャスターを務め
スタジオでのコメントに加えて冠コーナー「桐谷美玲 my generation」を担当し、
同年代の若者の間で話題になっている物事、活躍している人などさまざまなテーマを自ら現場取材しリポートした
芸能活動と学業を両立し、千葉県内有数の進学校からフェリス女学院大学へ進学して
仕事が多忙になったことに伴う2年の休学期間を挟み入学から7年をかけて2015年3月に卒業した
2015年4月20日に発売された『non-no』2015年6月号において同誌レギュラーモデルを卒業
同日付のブログで発表した
その後も、『GINGER』『BAILA』などのファッション誌でモデルを務める
2015年秋には、アメリカの動画配信サービス企業・Netflixのオリジナルドラマ『アンダーウェア』に主演
2015年10月6日、第28回日本メガネベストドレッサー賞の「芸能界部門・女性」を受賞した
2016年7月放送開始の『好きな人がいること』で、フジテレビ「月9」初主演
2012年から2016年にかけて米映画情報サイトTC Candler発表の「世界で最も美しい顔100人」に選出され
2014年には日本人トップとなる8位にランクイン
2016年12月19日、講談社の美容雑誌『VoCE』の選ぶ「2016年最も美しい顔」を受賞


・柄本佑
俳優
1986年生 東京都出身
和光高等学校に在学中に映画『美しい夏キリシマ』のオーディションに合格
2003年同作の主人公康夫役でデビューし芸能活動を本格的に開始
2004年同作で第77回キネマ旬報ベスト・テン新人男優賞受賞
第13回日本映画批評家大賞新人賞受賞
2005年には早稲田大学芸術学校空間映像科に進学し、短編の自主制作映画も手掛ける
2008年から弟の柄本時生と演劇ユニット『ET×2』を結成し、小劇場で公演を重ねている
2012年3月、女優の安藤サクラと結婚
2016年、NHK連続テレビ小説『あさが来た』等
テレビドラマでの活躍も認められ第40回エランドール賞新人賞を受賞
2017年6月には妻・サクラとのあいだに第一子が誕生する
2018年に主演した映画『きみの鳥はうたえる』での演技が評価され
第92回キネマ旬報ベスト・テンと第73回毎日映画コンクールで主演男優賞に輝き
この年、『万引き家族』に主演した妻の安藤も主演女優賞を受賞したため、両賞で初の夫婦W受賞に輝いた
このほか、同じく同年に主演した映画『素敵なダイナマイトスキャンダル』での演技が評価され
第28回日本映画批評家大賞の主演男優賞も受賞している




・松山千春
シンガーソングライター
1955年生 北海道出身
1975年に「全国フォーク音楽祭」の北海道大会に出場するも落選。
1976年にSTVラジオの竹田健二[1]ディレクターに見出され
同局の「サンデージャンボスペシャル」内の15分コーナー『千春のひとりうた』でメディアデビュー
1977年1月25日、「旅立ち」でレコードデビューを果たすが
同年8月27日、二人三脚で歩んできた竹田が急性心不全のため36歳で急逝し一時失意に陥る
しかしこれが契機となり、同年10月には個人事務所として「オフィス・パンタ」(現在のオフィス・ゲンキ)が設立され
松山をバックアップすることになる
1977年10月には『オールナイトニッポン』水曜2部のパーソナリティに起用され
全国区の人気になった
これに伴い『サンデージャンボスペシャル』からは降板した
1978年4月には月曜1部に昇格し全国区の知名度を更に得るようになる
同年に発売したシングル「季節の中で」が大ヒットしたことで一気にスターダムを駆け上り
以後も多数のヒット曲を出し、ニューミュージック界で確固たる地位を築くに至った
1980年3月3日、清須邦義と加川良と共にNEWSレコードを設立
1982年7月24日には札幌・真駒内屋外競技場にて5万人コンサート「大いなる愛よ夢よ’82」を開催
1984年には『オレたちひょうきん族』内の『タケちゃんマン』に使用された
「ビックリ箱のうた」の作詞・作曲を手がけた。
1985年、NEWSレコード事業解散
それに伴い、レコード会社をALFAレコードに移籍
同年の12月に結婚し、一児(長女)をもうける
1992年、日本コロムビアに移籍
2007年には、コンサート公演回数が2000回に達した

動画を見る

サイトはこちら


最新の画像もっと見る

コメントを投稿