・役所広司
俳優
1956年生 長崎県出身
友人に連れられて観劇した仲代達矢主演の舞台公演「どん底」に感銘を受け俳優への道を志す
200倍もの難関である仲代が主宰する俳優養成所「無名塾」の試験に合格
芸名は前職が役所勤めだったことに加え、「役どころが広くなる」ことを祈念して仲代が命名
1980年のNHK連続テレビ小説「なっちゃんの写真館」でテレビデビューを果たす。
主に時代劇で評価を得ていた
1983年のNHK大河ドラマ「徳川家康」の織田信長役で注目を集め
1984年のNHK新大型時代劇「宮本武蔵」の主人公・武蔵役で初めて主演に抜擢される
映画では、伊丹十三監督作品の「タンポポ」などに出演
1988年の日本・スイス合作映画「アナザー・ウェイ ―D機関情報―」(西村京太郎の小説「D機関情報」の映画化作品山下耕作監督作品)の主人公・関谷海軍中佐役で映画初主演を果たす
「オーロラの下で」で初めて日本アカデミー賞の優秀主演男優賞を獲得
1995年「KAMIKAZE TAXI」(原田眞人監督)で毎日映画コンクール主演男優賞を受賞。
1996年公開の主演映画「Shall we ダンス?」が大ヒットとなる
さらに「シャブ極道」(細野辰興監督作品)「眠る男」(小栗康平監督作品)の演技が絶賛され、その年度の主演男優賞を総ざらい
毎年の映画祭でその名前を挙げられないことはないほど名実共に、日本を代表する映画俳優の一人となった現在も映画などで活躍中
・ジミー大西
お笑い芸人 画家
1964年生 大阪府出身
高校卒業後は、就職を希望したが成績の悪さから就職先が見つからないため
担任教師が吉本興業に雇ってくれるよう頼み込んだ事で
高校在学中からアルバイトとして吉本に入社
放課後や休日に、なんば花月の裏方(幕引きや進行)を務める
明石家さんまとはこの頃に出会っている
一方、ジミー本人は、早見優の弟子になりたくて吉本に行ったが、早見優さんは吉本ではないですよと言われ、せっかく来たので吉本に入れてくださいと頼み研究生として入れてもらったと話している
吉本新喜劇などを経て「おおにしこにし」という漫才コンビを結成したが、どうしてもジミーだけが目立ってしまうため長続きしなかった
「ジミー」という芸名は、さんまがテレビで視た野生のゴリラの名前に因んで名付けたものである
さんまによって才能を引き出され、数々の一発ギャグを身に付けていく
芸人として絶頂期を迎えていた1996年(平成8年)頃に、テレビ番組の企画によって絵画の才能を見出され、画家の道を歩むことになった
松本人志は引退に際し「もったいないなぁ。誰も勝たれへんで!他に辞めなあかん奴いっぱいおんのに」とジミーの才能を惜しんだ
月亭方正も、初対面でジミーと2人きりになった時に、方正が何を聞いても、ジミーは「ウホッ、ウホッ」としか話さなかったと述懐している
画家に転身後も吉本興業に籍を残しており、さんまの舞台公演への出演
それ以外にも時折テレビにも出演し、かつてのオトボケぶりを発揮している。
2016年以降はタレント活動に再び軸足を置いている
絵画については「今は描きたくない」「筆は(折ってはいないが)曲げている」と発言
中断した理由として、焼き鳥店のアルバイト募集の張り紙に時給1200円の記載を見た際、自身の作品完成までを換算したら時給380円となったことにショックを受けたため
2020年(令和2年)7月、画家として5年ぶりに新作を発表
「朝の光」と名付けたイオントップバリュ買い物用マイバッグ(限定11万5000枚)で
明石家さんまから「お笑いとか、人を楽しませる(仕事な)のに時給は関係ないやろ。考えたらあかん」と言われ、再び画家活動を再開した
・大友康平
歌手 HOUND DOGのボーカル
1956年生 宮城県出身
大学時代にサークルのメンバーらとHOUND DOGを結成
1979年(昭和54年)、第1回CBSソニーSDオーディションに合格(同期合格者は堀江淳、五十嵐浩晃、村下孝蔵)
ロックジャムで準グランプリ、最優秀ボーカリスト賞を受賞してソニーレコードと契約
1980年(昭和55年)にプロデビューした
バンドのリーダー及びフロントマンとして活動する一方で、俳優としての仕事も行っていた
1980年代後半、光GENJIや男闘呼組などジャニーズ事務所所属のタレント歌手を敵視し
彼らを揶揄するような歌も作詞していたが、近年では、KAT-TUNや関ジャニ∞などとバラエティ番組で共演
大晦日にももいろクローバーZが主宰する「ももいろ歌合戦」にも出演するなど
アイドルシーンとのコラボにも寛容な姿勢を示すようになっている
2005年(平成17年)1月、当時の所属事務所マザーエンタープライズから独立し個人事務所イエホックを設立
イエホック移籍に消極的であった蓑輪単志・鮫島秀樹の2名をHOUND DOGのメンバーから外し、4人編制で活動を開始
翌2006年(平成18年)には、待遇に不満を示したという理由により八島順一・橋本章司・西山毅も1年で解雇、その後は自分一人でHOUND DOGを名乗ることを宣言した
2012年11月7日自身のブログで2011年に突発性難聴にかかっていたことを告白した
原口あきまさや山口智充をはじめとして、独特な歌唱法が多くのものまね芸人に敬意を込めて笑いのタネにされる事も多く
「水曜日のダウンタウン」への出演や「タマホーム」のCMなどで分かるように、近年は大友本人も歌唱法を笑いのタネにしている
・堂本光一
KinKi Kidsのメンバー
俳優
1979年生 兵庫県出身
小学校6年生の時、少年隊ファンの姉が勝手に郵送した履歴書がジャニーズ事務所の社長ジャニー喜多川の目にとまり直接電話で当時神戸で行われていた光GENJIのコンサートに招待される
中学3年生の時に転校し上京
今度は合宿所と仕事場の往復となる
ちなみにこの頃合宿所に住んでいたのは剛と長瀬智也、井ノ原快彦とあと1人くらいだったが、同じ仕事と境遇で価値観が合う本当の仲間ができたことが何より嬉しかったという
光GENJIのコンサートで初舞台を踏み
その後も主に光GENJIやSMAPのバックダンサーとして踊り続けた
当初から同じ苗字であった剛と2人揃って活動することが多く「W堂本」「KANZAI BOYA(カンサイボーヤ)」などの呼び名を経て1993年4月4日「キスした?SMAP」にて初めて「KinKi Kids」というグループ名が発表された
1992年に公開された映画「200X年・翔」で俳優デビュー
テレビドラマ初出演は「ドラマシティー'93「愛よ、眠らないで」」で中居正広が出演する作品であったが、共演のシーンは無かった
当時社会現象となっていた「家なき子」の劇場版とテレビドラマの続編「家なき子2」で両方において主役であった安達祐実の相手役を務め
1996年「銀狼怪奇ファイル〜二つの頭脳を持つ少年〜」でテレビドラマ初主演
2008年「銀幕版 スシ王子! 〜ニューヨークへ行く〜」で映画単独初主演を果たし
この時は役名の米寿司名義で主題歌も担当した
「SHOCK」シリーズは2000年の初演から2019年まで20年連続で毎年上演され
いまや光一のライフワークとなっている
初演から15年を超えてもチケットが前売り開始日に即日完売[55]する盛況ぶりは「日本一チケットが取りにくい舞台」としても名高い
2020年、初演の2000年から20年間「SHOCK」シリーズをけん引してきた功績が認められ
第45回菊田一夫演劇賞大賞を個人でも受賞
41歳での受賞は、2016年に「エリザベート」で大賞を受賞した花總まりの43歳という記録を抜く史上最年少でジャニーズ事務所のタレントとしても初の受賞となった
動画を見る
サイトはこちら
俳優
1956年生 長崎県出身
友人に連れられて観劇した仲代達矢主演の舞台公演「どん底」に感銘を受け俳優への道を志す
200倍もの難関である仲代が主宰する俳優養成所「無名塾」の試験に合格
芸名は前職が役所勤めだったことに加え、「役どころが広くなる」ことを祈念して仲代が命名
1980年のNHK連続テレビ小説「なっちゃんの写真館」でテレビデビューを果たす。
主に時代劇で評価を得ていた
1983年のNHK大河ドラマ「徳川家康」の織田信長役で注目を集め
1984年のNHK新大型時代劇「宮本武蔵」の主人公・武蔵役で初めて主演に抜擢される
映画では、伊丹十三監督作品の「タンポポ」などに出演
1988年の日本・スイス合作映画「アナザー・ウェイ ―D機関情報―」(西村京太郎の小説「D機関情報」の映画化作品山下耕作監督作品)の主人公・関谷海軍中佐役で映画初主演を果たす
「オーロラの下で」で初めて日本アカデミー賞の優秀主演男優賞を獲得
1995年「KAMIKAZE TAXI」(原田眞人監督)で毎日映画コンクール主演男優賞を受賞。
1996年公開の主演映画「Shall we ダンス?」が大ヒットとなる
さらに「シャブ極道」(細野辰興監督作品)「眠る男」(小栗康平監督作品)の演技が絶賛され、その年度の主演男優賞を総ざらい
毎年の映画祭でその名前を挙げられないことはないほど名実共に、日本を代表する映画俳優の一人となった現在も映画などで活躍中
・ジミー大西
お笑い芸人 画家
1964年生 大阪府出身
高校卒業後は、就職を希望したが成績の悪さから就職先が見つからないため
担任教師が吉本興業に雇ってくれるよう頼み込んだ事で
高校在学中からアルバイトとして吉本に入社
放課後や休日に、なんば花月の裏方(幕引きや進行)を務める
明石家さんまとはこの頃に出会っている
一方、ジミー本人は、早見優の弟子になりたくて吉本に行ったが、早見優さんは吉本ではないですよと言われ、せっかく来たので吉本に入れてくださいと頼み研究生として入れてもらったと話している
吉本新喜劇などを経て「おおにしこにし」という漫才コンビを結成したが、どうしてもジミーだけが目立ってしまうため長続きしなかった
「ジミー」という芸名は、さんまがテレビで視た野生のゴリラの名前に因んで名付けたものである
さんまによって才能を引き出され、数々の一発ギャグを身に付けていく
芸人として絶頂期を迎えていた1996年(平成8年)頃に、テレビ番組の企画によって絵画の才能を見出され、画家の道を歩むことになった
松本人志は引退に際し「もったいないなぁ。誰も勝たれへんで!他に辞めなあかん奴いっぱいおんのに」とジミーの才能を惜しんだ
月亭方正も、初対面でジミーと2人きりになった時に、方正が何を聞いても、ジミーは「ウホッ、ウホッ」としか話さなかったと述懐している
画家に転身後も吉本興業に籍を残しており、さんまの舞台公演への出演
それ以外にも時折テレビにも出演し、かつてのオトボケぶりを発揮している。
2016年以降はタレント活動に再び軸足を置いている
絵画については「今は描きたくない」「筆は(折ってはいないが)曲げている」と発言
中断した理由として、焼き鳥店のアルバイト募集の張り紙に時給1200円の記載を見た際、自身の作品完成までを換算したら時給380円となったことにショックを受けたため
2020年(令和2年)7月、画家として5年ぶりに新作を発表
「朝の光」と名付けたイオントップバリュ買い物用マイバッグ(限定11万5000枚)で
明石家さんまから「お笑いとか、人を楽しませる(仕事な)のに時給は関係ないやろ。考えたらあかん」と言われ、再び画家活動を再開した
・大友康平
歌手 HOUND DOGのボーカル
1956年生 宮城県出身
大学時代にサークルのメンバーらとHOUND DOGを結成
1979年(昭和54年)、第1回CBSソニーSDオーディションに合格(同期合格者は堀江淳、五十嵐浩晃、村下孝蔵)
ロックジャムで準グランプリ、最優秀ボーカリスト賞を受賞してソニーレコードと契約
1980年(昭和55年)にプロデビューした
バンドのリーダー及びフロントマンとして活動する一方で、俳優としての仕事も行っていた
1980年代後半、光GENJIや男闘呼組などジャニーズ事務所所属のタレント歌手を敵視し
彼らを揶揄するような歌も作詞していたが、近年では、KAT-TUNや関ジャニ∞などとバラエティ番組で共演
大晦日にももいろクローバーZが主宰する「ももいろ歌合戦」にも出演するなど
アイドルシーンとのコラボにも寛容な姿勢を示すようになっている
2005年(平成17年)1月、当時の所属事務所マザーエンタープライズから独立し個人事務所イエホックを設立
イエホック移籍に消極的であった蓑輪単志・鮫島秀樹の2名をHOUND DOGのメンバーから外し、4人編制で活動を開始
翌2006年(平成18年)には、待遇に不満を示したという理由により八島順一・橋本章司・西山毅も1年で解雇、その後は自分一人でHOUND DOGを名乗ることを宣言した
2012年11月7日自身のブログで2011年に突発性難聴にかかっていたことを告白した
原口あきまさや山口智充をはじめとして、独特な歌唱法が多くのものまね芸人に敬意を込めて笑いのタネにされる事も多く
「水曜日のダウンタウン」への出演や「タマホーム」のCMなどで分かるように、近年は大友本人も歌唱法を笑いのタネにしている
・堂本光一
KinKi Kidsのメンバー
俳優
1979年生 兵庫県出身
小学校6年生の時、少年隊ファンの姉が勝手に郵送した履歴書がジャニーズ事務所の社長ジャニー喜多川の目にとまり直接電話で当時神戸で行われていた光GENJIのコンサートに招待される
中学3年生の時に転校し上京
今度は合宿所と仕事場の往復となる
ちなみにこの頃合宿所に住んでいたのは剛と長瀬智也、井ノ原快彦とあと1人くらいだったが、同じ仕事と境遇で価値観が合う本当の仲間ができたことが何より嬉しかったという
光GENJIのコンサートで初舞台を踏み
その後も主に光GENJIやSMAPのバックダンサーとして踊り続けた
当初から同じ苗字であった剛と2人揃って活動することが多く「W堂本」「KANZAI BOYA(カンサイボーヤ)」などの呼び名を経て1993年4月4日「キスした?SMAP」にて初めて「KinKi Kids」というグループ名が発表された
1992年に公開された映画「200X年・翔」で俳優デビュー
テレビドラマ初出演は「ドラマシティー'93「愛よ、眠らないで」」で中居正広が出演する作品であったが、共演のシーンは無かった
当時社会現象となっていた「家なき子」の劇場版とテレビドラマの続編「家なき子2」で両方において主役であった安達祐実の相手役を務め
1996年「銀狼怪奇ファイル〜二つの頭脳を持つ少年〜」でテレビドラマ初主演
2008年「銀幕版 スシ王子! 〜ニューヨークへ行く〜」で映画単独初主演を果たし
この時は役名の米寿司名義で主題歌も担当した
「SHOCK」シリーズは2000年の初演から2019年まで20年連続で毎年上演され
いまや光一のライフワークとなっている
初演から15年を超えてもチケットが前売り開始日に即日完売[55]する盛況ぶりは「日本一チケットが取りにくい舞台」としても名高い
2020年、初演の2000年から20年間「SHOCK」シリーズをけん引してきた功績が認められ
第45回菊田一夫演劇賞大賞を個人でも受賞
41歳での受賞は、2016年に「エリザベート」で大賞を受賞した花總まりの43歳という記録を抜く史上最年少でジャニーズ事務所のタレントとしても初の受賞となった
動画を見る
サイトはこちら
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます