メランコリア

メランコリアの国にようこそ。
ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

『Peace(ピース)』(2010)

2013-05-02 15:54:44 | 映画
『Peace(ピース)』(2010)
監督:想田和弘

監督の義理の父母が行っている「身体障害者の乗降介助」等、幅広いボランティア活動の様子を
監督自身がつききりでハンディカメラのようなもので撮った短編ドキュメンタリー。

高齢者が高齢者を支える時代。
これは、涙する類いのドキュメンタリー映画じゃない。
今ある日常で、これが生活の格差なんだ。
と同時に、戦中戦後を生きざるを得なかった方たちの心のうちが、
どれほど現代の若者たちと距離があるかも見えてきた。

厳しい現実とは裏腹に、岡山地方の方言があったかくてホッとする。


【内容抜粋メモ】


代々面倒をみてきたのらにゃんの間に最近黒いネコが加わり、ご飯を盗むのだという。
泥棒猫って


自慢のハート柄


「この猫なんかはもう子猫の時に捨てられて・・・」
他にも脚を怪我してるコもいる。


【ケアマネージャーの仕事内容例】
知的身体障害者の公園散歩や、重度身体障害者のホームへの運転等
脚が不自由な男性は「靴が買いたい」と依頼していた。
脚を引きずって歩くので靴底がすぐ減るから、裏がゴツゴツした丈夫な靴を丁寧に選ぶ。

彼がインタビューに答える。
「“かたわ”には嫁がきてくれない。
 来てもいいって話もあったが、1、2年で離婚するくらいなら来なくていいと言ったんだ」

町で唯一の“養護学校”を建てる際には、地元住民の偏見による反対があったという。

高齢者の免許更新に20万円もかかったなどという利用者の話や、
事務所では、インフルエンザワクチンの無料注射は、
障害者にも適用可能か?など電話で問い合わせるシーンもある。



橋本さんの場合
末期の肺がんで在宅でケアを受けている。こうゆう役目は「ホスピス」てゆうのかな?
ダニのスプレーをかけてから家に入って/驚、料理を作ったり、細々としたお世話をする。
ネズミが石鹸を齧った跡がすごい!驚

「夜が長い・・・」と言う橋本さん。



「僕だけ・・・生き残ったのは・・・。九十までも生きて・・・だめやなあ・・・。
 耐える、耐えれんやなくて・・・独りやからしようがないわな、どうも。
 まあ、それでもな、結構、独りには独りの面白さ、良さもありますわ。誰にも遠慮せんでええからなあ。
 良さを作らなあかんな、自分で」(深い言葉だな

橋本さんが戦争の話をするのは、今作の撮影の時が初めてだという。
「男は一銭五厘と言われた。当時の葉書の値段と同じですわ。弾除けってことです」

お国のために死ぬのが誇りであって、生きて帰るのが恥と思っているんだな。そんな時代だったんだ。
「出征の汽車のガラスには、紙が貼ってあって、皆どこに連れて行かれるかも見えない」

末期がんで苦しいのに、カメラが来たから、寝床でもちゃんとシャツとネクタイをして、
「愛嬌がないもんで、すんません。迷惑ばかりかけて」としきりに申し訳なさそうに謝る姿が残った。
あんな明るい笑顔で謙虚なのに



収入は半年で38万円
「政府からの援助みたいなものはあるんですか?」との監督からの質問に対して、
「この事業はそもそもボランティアで、無料でボランティアで運ぶというのが従来行われておったわけですがね、
 それでは気の毒ないうことでね、ガソリン代ぐらいは、運んでくれる人へ利用者から払うてもえんじゃないかと・・・
 だが規定があって、細かい規定がいっぱい出てきとんですが、しかも料金は勝手には決められん。
 赤字ということは、運転者の給料は一銭も出んのが現実です。
 貰よんじゃけど、それは、結局、母体の他の事業から貰ようるわけ、
 共助グループ“喫茶去”いう訪問介護事業所から貰ようるだけで」
(マザー・テレサの信念から来てるんだなぁ・・・



駐車場料金も1時間分しか出ないが、訪問先で洗濯等やっていれば、どうしても2時間くらいははかかってしまうという。



「福祉有償運送運転者講習会」でセミナーもしている


「いごけば、いごくほど、ガソリン代が余計いるわけです。
 私も3日に1回はガソリンを入れに行きょうたわけです。
 ホントに朝から晩までなんです。土曜日、日曜日なしに。
 初めっから分かっとんですよ。そもそも“福祉有償運送とは、何ぞや”ということ。
 お金儲けではないんです、これは。(でも)お金には換えられないものがある」



近所から「(のらねこのせいで)真夏の蠅がすごい」とか臭いなどの苦情を言われる。
奥さんから夫に言うと、自分が悪者になるから「そこが夫の大嫌いなところ
て旦那さんやカメラがいる前で堂々と言えちゃう奥さんも、ある意味カッコいい

お世話している猫の中には、腎臓が悪くて2日おきに点滴をしなければならないコもいるし、
メスは去勢するようにしている。
これまで何十年の間に、何十匹も世話をしてきたが、
自然とある一定数になると老猫は姿を消すのが不思議でならないと言う。


「自然淘汰いうんかな。あんまり数がごじゃごじゃおったらなあ、若いのにえさ場を譲るんじゃ。
 特に雄はもう3歳くらいになるとな。どげぇ行くんか知らん。
 なんぼ探して、そりゃあもう分からんなあ。一旦何処かへおらんようになったら。
 それこそ、旅立つ言うんかなあ。不思議じゃ、あれは。
 順繰り、順繰りにおらんようになっていくんじゃ不思議と!
 ほんまに知らん間に1匹ずつおらんようになる。ほいで、若いもんが残るわけじゃ」



おじさんにとっては、猫にご飯をあげたりすることが心の支えなんだってことがよく分かる。
奥さんもあれだけボランティア精神に溢れているのに、にゃんこは嫌いなのかな?
それとも、近所とのトラブルが困るだけかな?

無償の愛にもいろんな事情、いろんな形があるだろうし、
“人助け”ってすんなり出来る人と出来ない人の違いって何だろう?
わたしには、あすこまで出来ない!て思った。たとえやりたいって思ったとしても。
どのみち、それぞれ自分が出来ることを精一杯やるしかなさそうだ。

カーラジオから流れる政治屋の福祉に関する演説が絶妙のタイミングで入ってきて、とても空疎に聞こえた。
彼らはずっと裕福で、何不自由なく暮らしているのだから。
小さな頃から、おそらく老後もずっと。。


橋本さんはその後亡くなられたんだ。合掌。

コメント

講談社の名作絵本『ごんぎつね』(講談社)

2013-05-02 11:35:35 | 
講談社の名作絵本『ごんぎつね』(講談社)
新美南吉/作 柿本幸造/絵

この有名な童話は、たぶん私も幼い頃に読んだろうけれども、
どこかで、これと、新美南吉が書いたもう1つの狐の話を読むともっと感動するという
読者のコメントを読んで、改めてどんな話だったかな?と気になって借りてみた。

▼あらすじ
親のいない狐のごんは、村に行っては悪さばかりしていた。
ある日、川でウナギを捕っている兵十を見て、ウナギを盗んで、捨ててしまう。



その後、村で葬式があって、兵十の母親が亡くなったことを知る。
自分が盗んだウナギは、きっと兵十の母親が最期に食べたいと言ったのに食べられなかったんだ。
後悔したごんは、それから山から栗などを採って、兵十に届けるのだった。



兵十が不思議に思って友だちに話すのを、ごんはこっそり草むらから聞いていると、
「神さまが、お前がたった一人になったのを憐れに思わっしゃって、いろんなものを恵んでくださるんだよ。
 だから、毎日、神さまに御礼を言うがいいよ」と友は話していて、

“ごんは、へえ、こいつはつまらないなと思いました。
 オレが、栗や松茸を持っていってやるのに、そのオレには御礼を言わないで、
 神さまに御礼を言うんじゃぁ、オレは、引き合わないなあ。”

再び栗を持って家に入るのを見かけた兵十は、いつかのイタズラ狐がまた悪さをしに来たと思い銃で撃ち殺してしまう。



“兵十は、火縄銃をバタリと、取り落としました。青い煙が、まだ筒口から細く出ていました。”


ごんは、イタズラものだったけれども、人殺しまではしなかった。
兵十さんも、ごんが栗を届けてくれていたと知ったなら殺さなかっただろうけど、
ヒトだけが、他の生き物を“うるさい”てだけで殺していい道理があるものか。


コメント

日本の童話名作選『手ぶくろを買いに』(偕成社)

2013-05-02 11:35:34 | 
日本の童話名作選『手ぶくろを買いに』(偕成社)
新美南吉/作 黒井健/絵

▼あらすじ
冬の大雪が降った日。
初めて雪を見た子狐はまぶしい光が眼に当たって、何か刺さったと思ってビックリする。
夢中で雪の中で遊んだ子どもの手はすっかり冷えてしまう。

“お母ちゃん、お手々が冷たい、お手々がちんちんすると言って、
 濡れて牡丹色になった両手を母さん狐の前にさしだしました。”



可哀想に思った母狐は、村に一緒に降りていって、手袋を買ってあげようと思うけれども、
昔、友だちが村に入って、お百姓にさんざん追われたことが恐くてすくんでしまい、
仕方なく子どもの片方の手をヒトの手にかえて、「お店でこっちの手を出すのよ」と初めてのおつかいに出す。



子どもはワケも分からず村へ行き、母に言われた通りシャッポ(帽子)の看板のお店の戸を叩くと、
中の光がまぶしくて、思わず狐のほうの手を出してしまう。



帽子屋さんは、“おやおやと思いました。狐の手です。きっと木の葉で買いに来たんだな”と思い、
先にお金をくださいと言うと、ちゃんと本物のお金だったので、子ども用の毛糸の手袋を持たせてやる。

途中の家では、母親が息子を寝かしつけて子守唄を歌っている。



“「母ちゃん、こんな寒い夜は、森の子狐は寒い寒いって啼いているでしょうね。」
 すると母さんの声が、
 「森の子狐もお母さん狐のお唄をきいて、洞穴の中で眠ろうとしているでしょうね。
  森の子狐と坊やとどっちが早くねんねするか、きっと坊やの方が早くねんねしますよ。」”

それを聞いて、急に母に会いたくなった子狐は急いで帰ると、
母狐は“暖かい胸に抱きしめて泣きたいほどよろこびました。”

“月が出たので、狐の毛なみが銀色に光り、その足あとには、コバルトの影がたまりました。
 「母ちゃん、人間ってちっとも恐かないや。」
 「どうして?」
 「坊、間違えてほんとうのお手々出しちゃったの。でも帽子屋さん、掴まえやしなかったもの。
  ちゃんとこんないい暖かい手袋くれたもの。」
  お母さん狐は、「まあ!」とあきれましたが、
 「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら。」とつぶやきました。”




読者の方が一緒に読むとより良いと勧めていた理由が分かった気がした。
作者がどちらを先に書いたのかは分からないけれども、この順番で読むと、
ごんの哀しい最期にも小さな救いが見出せる気がする。

「ほんとうに人間はいいものかしら。」と2度繰り返す母親のセリフに複雑に揺れる心境がよく表れている。
『ごんぎつね』よりは時代があとになって、人々の暮らしにいくらか余裕が出たのも
「自然や動物をもっと大切にしよう」という慈しみの心の理由かもしれない。
衣食住が充分足りていなければ、慈愛も生まれないだろう。

物語と同様にふんわりと温かい絵を描いた黒井さんは、雑誌『詩とメルヘン』つながりの作家さんらしい。
この雑誌は、『MOE』同様、私も一時期買って愛読していて、一度、感想文の投稿が載ったこともある


新美南吉
その生涯をかけて追求したテーマは「生存所属を異にするものの魂の流通共鳴」だったという(まえがき参照
根底のテーマも、あたたかい方言も、ストーリーに含まれる温かく包み込む慈愛も、賢治と似ているな
29歳の若さで夭逝していて、わたしは夭逝した作家に弱いので、その他の作品も読んでみたい。

コメント