詩人・吉増剛造さんが花巻を訪れ、賢治の詩から
妹トシと、愛した女性の姿を思い描く
私は賢治ファンながら、実はまだ『春と修羅』はほぼ読んでいない 童話のほうが好きだから
でも、ここまで詩に恋人のことを書いていたのは新しい驚き
詩ももっと1冊の絵本にしてくれたら、味わい深く読めるんだけどなあ
吉増さんも今回初めて知った
賢治の全集の中から詩を1篇ずつじっくり味わいながら音読して
その都度、情景を深く想像して、感想を洩らしていた姿が印象的
※「宮沢賢治」に追加します
【内容抜粋メモ】
日本を代表する詩人・吉増剛造さん(78)
一貫して人の心に向き合い、傷や痛みを言葉にしてきた
賢治は、自らの詩を「心象スケッチ」と名づけ
心の奥の「ほんとうのこと」を言葉に残した
【東京 月島】
吉増さん:この2階が私の仕事場です どうぞ
●敗戦後の暗い記憶と共にあった宮沢賢治
吉増さん:
僕は、こないだの2月22日で78歳になっちゃったけれども
この7、80年近い人生を振り返って
戦争が終わった年の国民学校1年生で、毎朝、「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」を
清書することから小学校のクラスが始まったのね
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」は、時代の空気とともに身体に染み付いてしまっていて
だから、宮沢賢治の顔を見ると、戦争と戦後のどうしていいか分からないように荒れた
心の状態が蘇ってきて
実を言うと、僕は生涯、宮沢賢治はそういう意味では
苦手というよりも、むしろ、自分の心の底の暗黒部を象徴するような存在だった
敗戦後の暗い記憶と共にあった宮沢賢治に、詩人が向き合うことにしたのは
賢治の処女集に強く惹かれたからです
●心象スケッチ『春と修羅』 大正11年
25歳の賢治は、突然ほとばしるように詩を書き始めます
2年をかけて綴った69篇の詩に刻まれた心の奥の「ほんとうのこと」
そこに賢治の心の傷口が見えると詩人は言うのです
吉増さん:
書いたものばかりではなくて、削除したり、秘密にしていたようなことを探っていきながら、
賢治さんの心の底の傷みたいなものに触っていくようなことができなくはないね
●「春と修羅」
賢治の心の叫びを強く表した詩が「春と修羅」です
「春と修羅」
心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲てんごく模様
(正午の管楽くわんがくよりもしげく
琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾つばきし はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
吉増さん:これは相当深い 深く強い声だな
抉るように激しく葛藤する自分の心を、賢治は「修羅」と呼びました
それは愛する妹トシをわずか24歳で亡くした深い喪失感
結核に冒され、病熱に苦しむ妹を、何もできずにただ見送るしかなかった
心の底に空いた暗く大きな闇
賢治は、声にならない慟哭をして、妹の面影を生涯追い続けたと言います
そして、賢治の心の世界は、生きているものも、亡くなったものも共にある
名作『銀河鉄道の夜』の壮大な宇宙へと到達したのです
なぜ賢治はその高みへと達したのか
実は、賢治にはトシの他にもう一つの大切な物語が秘められていると詩人は思い始めました
●岩手在住の絵本作家・エッセイスト 澤口たまみさん
ここは、大正11年 賢治がトシを看病していた花巻の家です
賢治は当時25歳 稗貫小学校の教師として働き始め、青春のただ中にいました
澤口さんは、過去の研究を読み込み、取材を進める中で
賢治にはトシの他に思いを寄せる女性がいたと確信しました
●『愛のうた』
澤口さんはこの本で、これまで90年間秘められてきた恋人の存在に光を当て
人間・賢治にせまったのです
吉増さん:
どうも賢治さんの心の底に恋人の姿が
可愛らしい白い菩薩のようにしてうつむいていそうだという感じを読ませてもらって
賢治さんの想いの人、恋人と言っていいのかな
想い人と言ったらいいのか
賢治さんは、とても大事に秘められたんだと思うんですけれども
そんなお話しを聞いてみたい
やはり、女性の面影が深く自然の底にあるというのは、これはとても大切なことですからね
たまみさん:
「春と修羅」の中に賢治さんの恋心が隠されている
そう思いながら読んでいて
中でも「春光呪詛」には、女性の姿形が形容されていて
髪が黒くて長く、瞳が茶いろ、頬は薄赤くなど書いてある
そしてそのおしまいのほうに「しんと口をつぐむ ただそれだけのことだ」と書いてあるんですね
絣の着物がよく似合う女性だなと思いまして
おそらくこの方に賢治さんが素敵だなと恋しい思いを持っていたことは間違いないだろうと
吉増さん:女性の恋心から賢治を見るというのは新しい視線だな
●吉増さんは、詩集「春と修羅」に賢治の恋する心を探り始めた
「春と修羅」の前と後に恋愛の詩が2つあった 「恋と病熱」「春光呪詛」
「恋と病熱」
吉増さん:
この「ほんたうに」っていうのは逆にとれるな
本当にと言っているけれども、けれども妹よとも言ってるな
これは既にトシのすぐそばにいる恋人の存在を思い浮かべながら読むから
トシに呼びかけていると同時に、トシにこっそり嘘を言っている
それが「ほんたうに」という言葉に表れている感じがするな
そうすると2人の可愛らしい菩薩のような顔がこの「透明薔薇の火」の中に映ってくるね
少し嘘を言ってるよっていう感じだな
「春光呪詛」(「春と修羅」の2日後に書いた詩
吉増さん:
なんというタイトルだい
とんでもない声が聞こえるな
これはおそらく、そっと会ってた恋人の姿がきちっと出てきてるところだろうな
これはたぶん恋人だな 「それっきりのことだ」っていうのが賢治だな
でも、こんな心の底の呪詛の強さと、
それに対して自分が向かい合っている恋人の可愛らしさの位置のはっきりしていること
とすると、「一体そいつは何の様だ どういうことが分かっているか」
こんな強い呪詛の声が、賢治の心の一番底にある
正しい普遍性と、恋の感情と共存している どうやらこれが本当のことに近いな
詩人が読む賢治の心の奥の「ほんとうのこと」とは、法華経を信仰し、みんなの幸いを願う賢治
病熱に苦しむ妹への思い けれども激しい恋に落ち、賢治の心は引き裂かれていた
●4歳下の花城小学校の代用教員
当時の花巻
瞳の茶色い相手の女性は、遺族の証言によると
賢治の4歳下で、花城小学校の代用教員だった
「霧とマッチ」
吉増さん:
なんだかミスマッチだな
このかっこの中はおそらく大正11年の小さな恋人の姿と重なっているな
農学校教師の賢治と、小学校代用教員の恋人 霧の明け方の逢い引き
賢治は戯れに校長の真似をしたようだ
しかし2人の恋は秘められなければならなかった
吉増さん:
この大正11年の恋人の姿は、実に静かで可愛らしくて、慎ましくて
そっと佇んでいる姿に見えるね
声の細さ小ささが、少しその秘密を隠そうとする心 間違いないね
その当時の人にとってはとても語りにくいことだったでしょうけれども
決して名前を出さないようにという上に、刻むようにして賢治さんが思われたことの背景には、
今思うと、昔の戦前の、特に若い方にとって「死の病」であった胸を病むということがある
トシも賢治もそうだったように
心の底からの、しかも恋人、若い女の人に対しての配慮は、病気と共にあったんでしょうかね?
たまみさん:
それもあったという風に私自身は考えております
賢治さんは、結婚はできないという風に、非常に早いうちから自分に言い聞かせるように言ってて
その理由は、やはり病のことがあったであろうという風に思いますし
トシについては、たくさん名前も書いていまして
賢治さんは、その恋人の将来の事を考えて、
決してその話をしてはならないと、自分に言い聞かせていたと思います
トシは妹なので、いくら書いても構わない
「トシ」と書くときに、割合多くの詩に「2羽の鳥」とか「2つの声」とある
トシ1人であれば「2羽の鳥」であったりする必要はないのに
そこに、その時、恋をしていたということを考えると
トシさんと、もう一人いたんだ、という意味の「2羽の鳥」ではないかなという風に思いまして
トシさんへの思いと常に一緒に出てくる感じがありますね
「永訣の朝」
大正11年11月27日 妹トシ 24歳で永眠
トシを失った悲しみの日の「永訣の朝」
同じ日に書き残されているのが「松の針」です
そこにあるのは、賢治の宗教への思いと二人の女性の陰でした
「松の針」
吉増さん:
この林とは、ブッタのいるような、久遠の果てしない
かなたまである道が続いているような林でもあるし
林を見る目は、そうした深い目
我々は林を見た時にこういう深い目を失っちゃってるんだな
トシがそこまでも行きたかった林
そこは、生きとし生けるものすべてが繋がり、ブッタの宇宙に通じる場所でした
吉増さん:
これは恋人じゃないか
だからトシと恋人は、非常な近さにいて、そのそばを賢治が歩いてるんだな
「鳥のようにリスのようにお前は林を慕っていた」
この林っていうのは巨大な宇宙だな
ブッタが寝ているような 鳥やリスが寝ているような
そうした枕元のように綺麗な行だね
むしろこうなると、もしかすると、賢治が考えていた宗教的な
光とはるかな高みまで届く様な林への道を
言葉の導入によって、一瞬だけれども超えているようなところがあるな
賢治は、現世の先にある他界を見つめていました
他界は、現世と切り離されたものではなく、林によって結ばれている
賢治はそう考えていました
その大切な時、大切な場所で、賢治の心を占めていたのは、恋人だったと詩人は想像します
●トシの死から6ヶ月 「春と修羅」の執筆は途絶える
賢治がトシの魂と交信しようとしていたと言われる時期です
しかし、大正12年5月 賢治は地元の新聞に純愛の物語を連載していました
童話『シグナルとシグナレス』です
当時、花巻には、後に『銀河鉄道の夜』のモデルになる岩手軽便鉄道が走っていました
軽便鉄道の小さな信号灯を賢治は恋人になぞらえてシグナレスと名付けました
そして、東北本線の信号灯をシグナルという自分に見立てて
二つの信号機の切ない恋を描いたのです
吉増さん:
シグナルのほうは本線の立派な男の信号灯で
シグナレスのほうはドギマギしてうつむいている岩手軽便鉄道のシグナレス
少しカタンと音がして、上を向いてるんだな
こうして見ると、林の中の妖精のよう
シグナレスとはよく言ったな
妖精のような信号灯の化身した大事な恋人を
「シグナレスさん。あなたは何なにを祈っておられますか」から2人の会話を朗読
吉増さん:
そういう思いがけない、少し恋人との病の伝染がどうなるか
そういう心配も一緒に読んでいくと・・・
物語の中でシグナルとシグナレスは一緒になれるよう祈ります
そして2人は星空に昇り結ばれます
しかし実は、それは夢だったという結末を迎えるのです
賢治と彼女の恋は現実には周囲の反対にあっていました
吉増さん:
このシグナルとシグナレスは、恋心がふっと上がったり下がったり
現実の会話であるとともに、賢治の中で働いている
そうゆうとても静かな深いこころの動作 祈りみたいな
弥勒のような菩薩のような この少女の面影と
逝ってしまったトシの面影と一緒に読むと
シグナルとシグナレスには深みが感じられる
●「春と修羅」が再開されるのは、「シグナルとシグナレス」の連載から2週間後
「風林」大正12年6月3日
賢治の声は静かです
吉増さん:賢治にしてはとても落ち込んでいると言うか 心が沈んでいるね
沈黙の後に初めて書いた一行は 風の吹くかしわばやしには 鳥の巣がない
実は、これは賢治にとって忘れられない思い出の光景でした
その思い出が最晩年の詩に書き残されています
「きみにならびて野にたてば」
吉増さん:ああ、ここは珍しく恋人らしい言葉があるな
風がきららかに吹き渡る野原での逢い引き その時恋人が賢治につぶやいた
「寂しいわ 風の中でも 鳥はその巣を繕おうとするのに
あなたの瞳は ただ澄んでいて 山だけを見ているのね」
吉増さん:
この恋人が、言葉にはしないけれども、この人はとても無口な人だったんだな
そういう風に言って、このシグナレスは、すっと遠くに行っちゃったような気がするな
●賢治との恋は、恋人の家族に伝えられていた
大正13年 恋人は、年上の医師と結婚 アメリカへ渡る
「春と修羅」の出版はその1ヶ月前のことだった
たまみさん:
「春と修羅」は、トシとのお別れでもあると同時に、賢治さんの恋の記録
恋の始まりから終わりまで、きちっと記録されているわけです
そして、その女性が渡米する1か月前に出来上がっていて
これは推定でしかありませんけれども、渡そうと思えば渡せたタイミングなものですから
当人は分かったと思うんですよね
自分とのやり取りや、一緒に行った場所とか
分かる人だけが分かるように描き込まれている
昭和2年 恋人はアメリカで永眠する 27歳 結核だった
たまみさん:
恋という状態で、もしかしたら、女性の側が恋に破れて行った可能性がありますが
おそらく賢治、 女性のほうもそうだったと思うんですけれども
繰り返し繰り返し、もう二度と会うこともないという状態に置かれてからも
賢治がその女性のことを思い出して、詩の中に何べんも書き記している
そして、その女性が海を越えてアメリカに行っているということから
賢治の女性を想って書く言葉が広がっていく
広い地球の向こう側にいる人が幸せであれ
と思う時に賢治さんは、一人の女性を激しく恋して
仏教の教えやら、いろんなことから
賢治さんは「一人だけを愛する」とか「結婚して、自分の子どもだけが可愛い」とか
そういった気持ちに陥ることを恐れているし
トシさんが亡くなった後も、「トシだけがいいところに行けばいい」とは願ってないと
自分をすごく戒めている
だから、一人だけを祈るということを自分に非常に強く
それはしちゃいけないことなんだと思っていて
だけどそれは、賢治さんが「地球上のあらゆる命が愛しいんだ」っていうんではなく
やはり一人の女性をとても深く恋して
その女性と一緒に生きていくことはできなくなった
それでもなおかつ、その幸せを祈り続けるということで
「愛」という広い何かに変わっていく過程を読み取れるのではないかという風に思っています
●宮沢賢治が人生のその時々に歩いた北上河畔
ここで吉増さんは、賢治のある言葉に釘付けになりました
昭和2年に書かれた「開墾」という一節です
賢治の言葉に吉増さんは驚きました
「開墾」
川が一秒九トンの針を流していて 鷺がたくさん東へ飛んだ
●賢治は明治29年 「三陸大津波」の年に生まれた
吉増さんは、膨大な針と化した大津波が2万人の命を奪ったその日を思い浮かべました
戦争や災害によって多くの命が失われることと
病気でたった一人の大切な人を失うことも
残された者にとってその痛みは変わりはありません
吉増さんの心の中から言葉が生まれました
(スマホに言葉を録音している
吉増さん:
1秒に9トンの針を流していて 少し水音の・・・
おそらく賢治さんこの北上の 水シワ シワシワ 衣装 女の人の縫針
無意識にそういうものをすーっとイメージしたんだな
それと同時に金属質の何かが 鉄道の煙や金属質のものが
産業革命がイギリスからやってきて そして針もという風に考えると
もう一つ、無意識の底の産業革命以来のカタストロフィ(破滅的)な災害も
このイギリス海岸には感じられることになるな
これを見ているだろう「ウォーターゲージング」(水を見る女の人)の目に 太古から 真っ白い
ああなるほどね 鳥がすれすれに飛んでいくんだ
こんな風にして、宮沢賢治さんの目に学ぶ日が来るとは思わなかったな
(曇り空に一機の飛行機が飛んでゆく 爆音が響き渡る
●昭和2年花巻
賢治は教師を辞め、この家に一人で暮らしてちょうど1年が経った
かつて妹トシを看病し、恋人も訪れたと思われる家
恋人の死から1ヶ月後のこと
賢治は、まるで彼女と一緒にいるようにこの詩を書いた
「わたくしどもは」 昭和2年6月1日
わたくしどもは
ちゃうど一年いっしょに暮しました
その女はやさしく蒼白く
その眼はいつでも何かわたくしのわからない夢を見てゐるやうでした
いっしょになったその夏のある朝
わたくしは町はづれの橋で
村の娘が持って来た花があまり美しかったので
二十銭だけ買ってうちに帰りましたら
妻は空いてゐた金魚の壺にさして
店へ並べて居りました
夕方帰って来ましたら
妻はわたくしの顔を見てふしぎな笑ひやうをしました
見ると食卓にはいろいろな果物や
白い洋皿などまで並べてありますので
どうしたのかとたづねましたら
あの花が今日ひるの間にちゃうど二円に売れたといふのです
……その青い夜の風や星、
すだれや魂を送る火や……
そしてその冬
妻は何の苦しみといふのでもなく
萎れるやうに崩れるやうに一日病んで没くなりました
吉増さん:
なんか静かで、綺麗で「ほんとうのこと」の心がこもっている
しーんとした深い心が伝わってくるね
もしかすると、この畳の上で亡くなられたトシさんのそばにいるような
女の人の恋の心の非情な命だな それが最後にしおれて崩れて すっとなくなるんだな
綺麗で、しんとして まだそこに生きているように
そして1日にして病んで亡くなりました
だから本当に、白蓮教の白いハスの花のようでもあるし
パスカルの葦のようでもあるし
途方もないところにしんとしてる音が聞こえるね
「人間は自然のうちで最も弱い
一本の葦にすぎない。
しかし、それは考える葦である。」(パスカル
心象スケッチ「春と修羅」は、若き日の賢治が心の宇宙を凝縮した詩集です
その最後の詩は、「冬と銀河ステーション」
「銀河鉄道の夜」の出発点になった詩です
「冬と銀河ステーション」
吉増さんは今回の旅の終着点として、この詩の舞台となった土沢という町を訪ねました
冬の市の賑わいはこう記されています
陶器の露店を冷やかしたり、ぶら下がっ凧を品定めしたりする、あの賑やかな土沢の冬の市日です
なぜ賢治は、土沢という実在の町を舞台に選んだのでしょう
●土沢は賢治が愛した女性の嫁ぎ先
恋人がお医者さんと一緒にここからアメリカへ旅立っていった
「冬と銀河ステーション」には、アメリカに旅立つ恋人に
賢治が送ったと思われる言葉が記されていました
(はんの木とまばゆい雲のアルコホル
あすこにやどりぎの黄金のゴールが
さめざめとしてひかってもいい)
あゝ Josef Pasternack の 指揮する
この冬の銀河輕便鐡道は
幾重のあえかな氷をくぐり
(でんしんばしらの赤い碍子と松の森)
にせものの金のメタルをぶらさげて
茶いろの瞳をりんと張り
つめたく青らむ天椀の下
うららかな雪の臺地を急ぐもの
「ヤドリギの下で愛を誓い合った2人は幸せになる」という言い伝えがキリスト教にあります
賢治はこの詩に精一杯の祝福の思いを込めたのです
そして岩手軽便鉄道の恋人を思わせる茶色の瞳と雪の台地を急ぐ情景で
心象スケッチ「春と修羅」は終わります
●『銀河鉄道の夜』
青春の日の賢治の思いは、37歳で亡くなるまで書き続けた
あの『銀河鉄道の夜』へと繋がります
ある祭りの夜、2人の少年が銀河鉄道に乗り込み
遠く宇宙を一緒に旅する物語です
旅の最後に2人は、宇宙に空いた暗く大きな闇に遭遇します
賢治の化身である主人公ジョバンニはこう言います
「僕もうあんなに大きな闇の中だって怖くない
きっとみんなのほんとうのさいわいを探しに行く
どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んでいこう」
しかしそう誓い合った親友カンパネルラは、宇宙の闇の中に消えます
そして、ジョバンニが喉いっぱいに泣き出すその直前に
賢治はこんな言葉をそっと書き残していたのです
「むこうの河岸に二本の電信柱が、ちょうど両方から腕を組んだように赤い腕木を連ねて立っていました。」
まるで遥かな宇宙で、あのシグナルとシグナレスが結ばれているような光景です
たとえその人の命が消えたとしても、思い続ける限り記憶は消えることはありません
そのともしびを道しるべに、賢治の心は闇を恐れず銀河とひとつになったのです
この旅でたどり着いたのは、賢治の遥かな愛の記憶でした
吉増さん:
詩が持っている、はるかな太古からの、有史始まってからの
途方もない時間の通い路みたいなもの
90年経っても残っている心の状態というのかな
それに会えたという感じがとても大きかった
【資料提供】
宮沢賢治記念館
林風舎
花巻農業高校
佐藤春彦
妹トシと、愛した女性の姿を思い描く
私は賢治ファンながら、実はまだ『春と修羅』はほぼ読んでいない 童話のほうが好きだから
でも、ここまで詩に恋人のことを書いていたのは新しい驚き
詩ももっと1冊の絵本にしてくれたら、味わい深く読めるんだけどなあ
吉増さんも今回初めて知った
賢治の全集の中から詩を1篇ずつじっくり味わいながら音読して
その都度、情景を深く想像して、感想を洩らしていた姿が印象的
※「宮沢賢治」に追加します
【内容抜粋メモ】
日本を代表する詩人・吉増剛造さん(78)
一貫して人の心に向き合い、傷や痛みを言葉にしてきた
賢治は、自らの詩を「心象スケッチ」と名づけ
心の奥の「ほんとうのこと」を言葉に残した
【東京 月島】
吉増さん:この2階が私の仕事場です どうぞ
●敗戦後の暗い記憶と共にあった宮沢賢治
吉増さん:
僕は、こないだの2月22日で78歳になっちゃったけれども
この7、80年近い人生を振り返って
戦争が終わった年の国民学校1年生で、毎朝、「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」を
清書することから小学校のクラスが始まったのね
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」は、時代の空気とともに身体に染み付いてしまっていて
だから、宮沢賢治の顔を見ると、戦争と戦後のどうしていいか分からないように荒れた
心の状態が蘇ってきて
実を言うと、僕は生涯、宮沢賢治はそういう意味では
苦手というよりも、むしろ、自分の心の底の暗黒部を象徴するような存在だった
敗戦後の暗い記憶と共にあった宮沢賢治に、詩人が向き合うことにしたのは
賢治の処女集に強く惹かれたからです
●心象スケッチ『春と修羅』 大正11年
25歳の賢治は、突然ほとばしるように詩を書き始めます
2年をかけて綴った69篇の詩に刻まれた心の奥の「ほんとうのこと」
そこに賢治の心の傷口が見えると詩人は言うのです
吉増さん:
書いたものばかりではなくて、削除したり、秘密にしていたようなことを探っていきながら、
賢治さんの心の底の傷みたいなものに触っていくようなことができなくはないね
●「春と修羅」
賢治の心の叫びを強く表した詩が「春と修羅」です
「春と修羅」
心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲てんごく模様
(正午の管楽くわんがくよりもしげく
琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾つばきし はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
吉増さん:これは相当深い 深く強い声だな
抉るように激しく葛藤する自分の心を、賢治は「修羅」と呼びました
それは愛する妹トシをわずか24歳で亡くした深い喪失感
結核に冒され、病熱に苦しむ妹を、何もできずにただ見送るしかなかった
心の底に空いた暗く大きな闇
賢治は、声にならない慟哭をして、妹の面影を生涯追い続けたと言います
そして、賢治の心の世界は、生きているものも、亡くなったものも共にある
名作『銀河鉄道の夜』の壮大な宇宙へと到達したのです
なぜ賢治はその高みへと達したのか
実は、賢治にはトシの他にもう一つの大切な物語が秘められていると詩人は思い始めました
●岩手在住の絵本作家・エッセイスト 澤口たまみさん
ここは、大正11年 賢治がトシを看病していた花巻の家です
賢治は当時25歳 稗貫小学校の教師として働き始め、青春のただ中にいました
澤口さんは、過去の研究を読み込み、取材を進める中で
賢治にはトシの他に思いを寄せる女性がいたと確信しました
●『愛のうた』
澤口さんはこの本で、これまで90年間秘められてきた恋人の存在に光を当て
人間・賢治にせまったのです
吉増さん:
どうも賢治さんの心の底に恋人の姿が
可愛らしい白い菩薩のようにしてうつむいていそうだという感じを読ませてもらって
賢治さんの想いの人、恋人と言っていいのかな
想い人と言ったらいいのか
賢治さんは、とても大事に秘められたんだと思うんですけれども
そんなお話しを聞いてみたい
やはり、女性の面影が深く自然の底にあるというのは、これはとても大切なことですからね
たまみさん:
「春と修羅」の中に賢治さんの恋心が隠されている
そう思いながら読んでいて
中でも「春光呪詛」には、女性の姿形が形容されていて
髪が黒くて長く、瞳が茶いろ、頬は薄赤くなど書いてある
そしてそのおしまいのほうに「しんと口をつぐむ ただそれだけのことだ」と書いてあるんですね
絣の着物がよく似合う女性だなと思いまして
おそらくこの方に賢治さんが素敵だなと恋しい思いを持っていたことは間違いないだろうと
吉増さん:女性の恋心から賢治を見るというのは新しい視線だな
●吉増さんは、詩集「春と修羅」に賢治の恋する心を探り始めた
「春と修羅」の前と後に恋愛の詩が2つあった 「恋と病熱」「春光呪詛」
「恋と病熱」
吉増さん:
この「ほんたうに」っていうのは逆にとれるな
本当にと言っているけれども、けれども妹よとも言ってるな
これは既にトシのすぐそばにいる恋人の存在を思い浮かべながら読むから
トシに呼びかけていると同時に、トシにこっそり嘘を言っている
それが「ほんたうに」という言葉に表れている感じがするな
そうすると2人の可愛らしい菩薩のような顔がこの「透明薔薇の火」の中に映ってくるね
少し嘘を言ってるよっていう感じだな
「春光呪詛」(「春と修羅」の2日後に書いた詩
吉増さん:
なんというタイトルだい
とんでもない声が聞こえるな
これはおそらく、そっと会ってた恋人の姿がきちっと出てきてるところだろうな
これはたぶん恋人だな 「それっきりのことだ」っていうのが賢治だな
でも、こんな心の底の呪詛の強さと、
それに対して自分が向かい合っている恋人の可愛らしさの位置のはっきりしていること
とすると、「一体そいつは何の様だ どういうことが分かっているか」
こんな強い呪詛の声が、賢治の心の一番底にある
正しい普遍性と、恋の感情と共存している どうやらこれが本当のことに近いな
詩人が読む賢治の心の奥の「ほんとうのこと」とは、法華経を信仰し、みんなの幸いを願う賢治
病熱に苦しむ妹への思い けれども激しい恋に落ち、賢治の心は引き裂かれていた
●4歳下の花城小学校の代用教員
当時の花巻
瞳の茶色い相手の女性は、遺族の証言によると
賢治の4歳下で、花城小学校の代用教員だった
「霧とマッチ」
吉増さん:
なんだかミスマッチだな
このかっこの中はおそらく大正11年の小さな恋人の姿と重なっているな
農学校教師の賢治と、小学校代用教員の恋人 霧の明け方の逢い引き
賢治は戯れに校長の真似をしたようだ
しかし2人の恋は秘められなければならなかった
吉増さん:
この大正11年の恋人の姿は、実に静かで可愛らしくて、慎ましくて
そっと佇んでいる姿に見えるね
声の細さ小ささが、少しその秘密を隠そうとする心 間違いないね
その当時の人にとってはとても語りにくいことだったでしょうけれども
決して名前を出さないようにという上に、刻むようにして賢治さんが思われたことの背景には、
今思うと、昔の戦前の、特に若い方にとって「死の病」であった胸を病むということがある
トシも賢治もそうだったように
心の底からの、しかも恋人、若い女の人に対しての配慮は、病気と共にあったんでしょうかね?
たまみさん:
それもあったという風に私自身は考えております
賢治さんは、結婚はできないという風に、非常に早いうちから自分に言い聞かせるように言ってて
その理由は、やはり病のことがあったであろうという風に思いますし
トシについては、たくさん名前も書いていまして
賢治さんは、その恋人の将来の事を考えて、
決してその話をしてはならないと、自分に言い聞かせていたと思います
トシは妹なので、いくら書いても構わない
「トシ」と書くときに、割合多くの詩に「2羽の鳥」とか「2つの声」とある
トシ1人であれば「2羽の鳥」であったりする必要はないのに
そこに、その時、恋をしていたということを考えると
トシさんと、もう一人いたんだ、という意味の「2羽の鳥」ではないかなという風に思いまして
トシさんへの思いと常に一緒に出てくる感じがありますね
「永訣の朝」
大正11年11月27日 妹トシ 24歳で永眠
トシを失った悲しみの日の「永訣の朝」
同じ日に書き残されているのが「松の針」です
そこにあるのは、賢治の宗教への思いと二人の女性の陰でした
「松の針」
吉増さん:
この林とは、ブッタのいるような、久遠の果てしない
かなたまである道が続いているような林でもあるし
林を見る目は、そうした深い目
我々は林を見た時にこういう深い目を失っちゃってるんだな
トシがそこまでも行きたかった林
そこは、生きとし生けるものすべてが繋がり、ブッタの宇宙に通じる場所でした
吉増さん:
これは恋人じゃないか
だからトシと恋人は、非常な近さにいて、そのそばを賢治が歩いてるんだな
「鳥のようにリスのようにお前は林を慕っていた」
この林っていうのは巨大な宇宙だな
ブッタが寝ているような 鳥やリスが寝ているような
そうした枕元のように綺麗な行だね
むしろこうなると、もしかすると、賢治が考えていた宗教的な
光とはるかな高みまで届く様な林への道を
言葉の導入によって、一瞬だけれども超えているようなところがあるな
賢治は、現世の先にある他界を見つめていました
他界は、現世と切り離されたものではなく、林によって結ばれている
賢治はそう考えていました
その大切な時、大切な場所で、賢治の心を占めていたのは、恋人だったと詩人は想像します
●トシの死から6ヶ月 「春と修羅」の執筆は途絶える
賢治がトシの魂と交信しようとしていたと言われる時期です
しかし、大正12年5月 賢治は地元の新聞に純愛の物語を連載していました
童話『シグナルとシグナレス』です
当時、花巻には、後に『銀河鉄道の夜』のモデルになる岩手軽便鉄道が走っていました
軽便鉄道の小さな信号灯を賢治は恋人になぞらえてシグナレスと名付けました
そして、東北本線の信号灯をシグナルという自分に見立てて
二つの信号機の切ない恋を描いたのです
吉増さん:
シグナルのほうは本線の立派な男の信号灯で
シグナレスのほうはドギマギしてうつむいている岩手軽便鉄道のシグナレス
少しカタンと音がして、上を向いてるんだな
こうして見ると、林の中の妖精のよう
シグナレスとはよく言ったな
妖精のような信号灯の化身した大事な恋人を
「シグナレスさん。あなたは何なにを祈っておられますか」から2人の会話を朗読
吉増さん:
そういう思いがけない、少し恋人との病の伝染がどうなるか
そういう心配も一緒に読んでいくと・・・
物語の中でシグナルとシグナレスは一緒になれるよう祈ります
そして2人は星空に昇り結ばれます
しかし実は、それは夢だったという結末を迎えるのです
賢治と彼女の恋は現実には周囲の反対にあっていました
吉増さん:
このシグナルとシグナレスは、恋心がふっと上がったり下がったり
現実の会話であるとともに、賢治の中で働いている
そうゆうとても静かな深いこころの動作 祈りみたいな
弥勒のような菩薩のような この少女の面影と
逝ってしまったトシの面影と一緒に読むと
シグナルとシグナレスには深みが感じられる
●「春と修羅」が再開されるのは、「シグナルとシグナレス」の連載から2週間後
「風林」大正12年6月3日
賢治の声は静かです
吉増さん:賢治にしてはとても落ち込んでいると言うか 心が沈んでいるね
沈黙の後に初めて書いた一行は 風の吹くかしわばやしには 鳥の巣がない
実は、これは賢治にとって忘れられない思い出の光景でした
その思い出が最晩年の詩に書き残されています
「きみにならびて野にたてば」
吉増さん:ああ、ここは珍しく恋人らしい言葉があるな
風がきららかに吹き渡る野原での逢い引き その時恋人が賢治につぶやいた
「寂しいわ 風の中でも 鳥はその巣を繕おうとするのに
あなたの瞳は ただ澄んでいて 山だけを見ているのね」
吉増さん:
この恋人が、言葉にはしないけれども、この人はとても無口な人だったんだな
そういう風に言って、このシグナレスは、すっと遠くに行っちゃったような気がするな
●賢治との恋は、恋人の家族に伝えられていた
大正13年 恋人は、年上の医師と結婚 アメリカへ渡る
「春と修羅」の出版はその1ヶ月前のことだった
たまみさん:
「春と修羅」は、トシとのお別れでもあると同時に、賢治さんの恋の記録
恋の始まりから終わりまで、きちっと記録されているわけです
そして、その女性が渡米する1か月前に出来上がっていて
これは推定でしかありませんけれども、渡そうと思えば渡せたタイミングなものですから
当人は分かったと思うんですよね
自分とのやり取りや、一緒に行った場所とか
分かる人だけが分かるように描き込まれている
昭和2年 恋人はアメリカで永眠する 27歳 結核だった
たまみさん:
恋という状態で、もしかしたら、女性の側が恋に破れて行った可能性がありますが
おそらく賢治、 女性のほうもそうだったと思うんですけれども
繰り返し繰り返し、もう二度と会うこともないという状態に置かれてからも
賢治がその女性のことを思い出して、詩の中に何べんも書き記している
そして、その女性が海を越えてアメリカに行っているということから
賢治の女性を想って書く言葉が広がっていく
広い地球の向こう側にいる人が幸せであれ
と思う時に賢治さんは、一人の女性を激しく恋して
仏教の教えやら、いろんなことから
賢治さんは「一人だけを愛する」とか「結婚して、自分の子どもだけが可愛い」とか
そういった気持ちに陥ることを恐れているし
トシさんが亡くなった後も、「トシだけがいいところに行けばいい」とは願ってないと
自分をすごく戒めている
だから、一人だけを祈るということを自分に非常に強く
それはしちゃいけないことなんだと思っていて
だけどそれは、賢治さんが「地球上のあらゆる命が愛しいんだ」っていうんではなく
やはり一人の女性をとても深く恋して
その女性と一緒に生きていくことはできなくなった
それでもなおかつ、その幸せを祈り続けるということで
「愛」という広い何かに変わっていく過程を読み取れるのではないかという風に思っています
●宮沢賢治が人生のその時々に歩いた北上河畔
ここで吉増さんは、賢治のある言葉に釘付けになりました
昭和2年に書かれた「開墾」という一節です
賢治の言葉に吉増さんは驚きました
「開墾」
川が一秒九トンの針を流していて 鷺がたくさん東へ飛んだ
●賢治は明治29年 「三陸大津波」の年に生まれた
吉増さんは、膨大な針と化した大津波が2万人の命を奪ったその日を思い浮かべました
戦争や災害によって多くの命が失われることと
病気でたった一人の大切な人を失うことも
残された者にとってその痛みは変わりはありません
吉増さんの心の中から言葉が生まれました
(スマホに言葉を録音している
吉増さん:
1秒に9トンの針を流していて 少し水音の・・・
おそらく賢治さんこの北上の 水シワ シワシワ 衣装 女の人の縫針
無意識にそういうものをすーっとイメージしたんだな
それと同時に金属質の何かが 鉄道の煙や金属質のものが
産業革命がイギリスからやってきて そして針もという風に考えると
もう一つ、無意識の底の産業革命以来のカタストロフィ(破滅的)な災害も
このイギリス海岸には感じられることになるな
これを見ているだろう「ウォーターゲージング」(水を見る女の人)の目に 太古から 真っ白い
ああなるほどね 鳥がすれすれに飛んでいくんだ
こんな風にして、宮沢賢治さんの目に学ぶ日が来るとは思わなかったな
(曇り空に一機の飛行機が飛んでゆく 爆音が響き渡る
●昭和2年花巻
賢治は教師を辞め、この家に一人で暮らしてちょうど1年が経った
かつて妹トシを看病し、恋人も訪れたと思われる家
恋人の死から1ヶ月後のこと
賢治は、まるで彼女と一緒にいるようにこの詩を書いた
「わたくしどもは」 昭和2年6月1日
わたくしどもは
ちゃうど一年いっしょに暮しました
その女はやさしく蒼白く
その眼はいつでも何かわたくしのわからない夢を見てゐるやうでした
いっしょになったその夏のある朝
わたくしは町はづれの橋で
村の娘が持って来た花があまり美しかったので
二十銭だけ買ってうちに帰りましたら
妻は空いてゐた金魚の壺にさして
店へ並べて居りました
夕方帰って来ましたら
妻はわたくしの顔を見てふしぎな笑ひやうをしました
見ると食卓にはいろいろな果物や
白い洋皿などまで並べてありますので
どうしたのかとたづねましたら
あの花が今日ひるの間にちゃうど二円に売れたといふのです
……その青い夜の風や星、
すだれや魂を送る火や……
そしてその冬
妻は何の苦しみといふのでもなく
萎れるやうに崩れるやうに一日病んで没くなりました
吉増さん:
なんか静かで、綺麗で「ほんとうのこと」の心がこもっている
しーんとした深い心が伝わってくるね
もしかすると、この畳の上で亡くなられたトシさんのそばにいるような
女の人の恋の心の非情な命だな それが最後にしおれて崩れて すっとなくなるんだな
綺麗で、しんとして まだそこに生きているように
そして1日にして病んで亡くなりました
だから本当に、白蓮教の白いハスの花のようでもあるし
パスカルの葦のようでもあるし
途方もないところにしんとしてる音が聞こえるね
「人間は自然のうちで最も弱い
一本の葦にすぎない。
しかし、それは考える葦である。」(パスカル
心象スケッチ「春と修羅」は、若き日の賢治が心の宇宙を凝縮した詩集です
その最後の詩は、「冬と銀河ステーション」
「銀河鉄道の夜」の出発点になった詩です
「冬と銀河ステーション」
吉増さんは今回の旅の終着点として、この詩の舞台となった土沢という町を訪ねました
冬の市の賑わいはこう記されています
陶器の露店を冷やかしたり、ぶら下がっ凧を品定めしたりする、あの賑やかな土沢の冬の市日です
なぜ賢治は、土沢という実在の町を舞台に選んだのでしょう
●土沢は賢治が愛した女性の嫁ぎ先
恋人がお医者さんと一緒にここからアメリカへ旅立っていった
「冬と銀河ステーション」には、アメリカに旅立つ恋人に
賢治が送ったと思われる言葉が記されていました
(はんの木とまばゆい雲のアルコホル
あすこにやどりぎの黄金のゴールが
さめざめとしてひかってもいい)
あゝ Josef Pasternack の 指揮する
この冬の銀河輕便鐡道は
幾重のあえかな氷をくぐり
(でんしんばしらの赤い碍子と松の森)
にせものの金のメタルをぶらさげて
茶いろの瞳をりんと張り
つめたく青らむ天椀の下
うららかな雪の臺地を急ぐもの
「ヤドリギの下で愛を誓い合った2人は幸せになる」という言い伝えがキリスト教にあります
賢治はこの詩に精一杯の祝福の思いを込めたのです
そして岩手軽便鉄道の恋人を思わせる茶色の瞳と雪の台地を急ぐ情景で
心象スケッチ「春と修羅」は終わります
●『銀河鉄道の夜』
青春の日の賢治の思いは、37歳で亡くなるまで書き続けた
あの『銀河鉄道の夜』へと繋がります
ある祭りの夜、2人の少年が銀河鉄道に乗り込み
遠く宇宙を一緒に旅する物語です
旅の最後に2人は、宇宙に空いた暗く大きな闇に遭遇します
賢治の化身である主人公ジョバンニはこう言います
「僕もうあんなに大きな闇の中だって怖くない
きっとみんなのほんとうのさいわいを探しに行く
どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んでいこう」
しかしそう誓い合った親友カンパネルラは、宇宙の闇の中に消えます
そして、ジョバンニが喉いっぱいに泣き出すその直前に
賢治はこんな言葉をそっと書き残していたのです
「むこうの河岸に二本の電信柱が、ちょうど両方から腕を組んだように赤い腕木を連ねて立っていました。」
まるで遥かな宇宙で、あのシグナルとシグナレスが結ばれているような光景です
たとえその人の命が消えたとしても、思い続ける限り記憶は消えることはありません
そのともしびを道しるべに、賢治の心は闇を恐れず銀河とひとつになったのです
この旅でたどり着いたのは、賢治の遥かな愛の記憶でした
吉増さん:
詩が持っている、はるかな太古からの、有史始まってからの
途方もない時間の通い路みたいなもの
90年経っても残っている心の状態というのかな
それに会えたという感じがとても大きかった
【資料提供】
宮沢賢治記念館
林風舎
花巻農業高校
佐藤春彦