■オラファー・エリアソン ときに川は橋となる@東京都現代美術館
子どもの時は虹を見たら
みんな同じ虹を見ていると思っていたけれども
近くで見ると実は一人一人全く違う虹を見ていた
あなたの虹を見つけてくださいという作品です
皆さんが共有されている記憶と
新たな仕掛け、発見、体験によって
もう一つ先まで想像力を増強すると言うか
先に進めていくということをいつもする
背中を押してくれる
新しい想像力の世界を見るのに
多分、それを一人一人が
僕もあなたもそれを経験しているということを
共有できるということですよね
そうです
そこでもう一度虹の美しさを共有したという
共通の体験みたいなものがベースになっている
でも一人一人は違う
そこがやっぱり重要なポイント
体験が深まっていく感じがします
(美術もどんどんスピリチュアルなものに近づいている
私自身も変わってシンクロニシティが増えて
気づけるようになったということもある
俳優 上白石萌歌さん
なんかすごい儚いものを映しているような
自分が何を見ているのか 途中で見失いそうにもなるし
でもそれを必死に見ようとしている感じ
触るとなくなるんですよ それが不思議
作者がそういう目に見えないものみたいなものを大事にしてきた人というか
子どもの頃に純粋な目で見たときのものとか
目に見えないものを信じようとする力みたいなものも感じるし
(これは上から水蒸気を落としているんだろうか?
細かい砂のようにも見える
「ときに川は橋となる」
この展覧会のタイトルにもなっている作品
(水色の光があらゆる形に変化している
ゲスト:
うちの風呂の壁や天井にこういう模様がずっと出てるんです
それをずっと飽きずに見ていて
のぼせるということがあるんですけどw
萌歌:
水族館みたい
でもよく見たら一瞬も同じ形はないですね
どんどん変化していく
同じ動きをしているようで、していない
それぞれが違くて
水溜りとか踏んだら
今まで映っていた空とかが何もなくなったりするから
水たまりを思い出します
ゲスト:
波風が治まって平和になったら
また波風が立つみたいな
これも本当に設置されてから一度たりとも
同じ造形になったことがないんでしょうね
偶然の重なり
僕らの暮らしている地球が
いろんな偶然のおかげで人間が暮らせる環境になっている
それを思い起こすことができますね
展覧会のために来日するはずだったオラファー
開幕は延期してそれは叶いませんでした
そこで会場とベルリンのスタジオを
インターネットで繋ぎました
オラファー:
今回コロナの影響下での初めてのインタビューです
こんな形ですがとても嬉しいです
離れていてもこうして繋がり合えることが分かったんですから
Q:
今私たちは作品の部屋にいるんですが
このタイトルはどのような意味を持っているのでしょうか?
オラファー:
私たちは物事の見方を知らないがゆえに
いろんなことが見えないと思うんです
でも見方を変えれば見えなかった物が見えてきます
それは不可能なことを可能にすることと通じます
見方を変えれば川は橋となるんです
世界をより良く理解するために見方を変える
知覚を変化させる
そういう意味です
この作品はそのタイトルにぴったりだと思います
なぜなら今まで見えなかった時間が
ほんの少しの水と波だけで見えるようになったのですから
環境や気候に関してもそうです
見方を変える、知覚を変えることで
地球を今一度理解し直さなければならないと思います
Q:
オラファーさんの芸術というのは
知覚の有り様を変化させるというようなお仕事だと思うんです
その一方で我々の知覚のあり方とか
想像力のあり様を変容させるために
いわゆるショッキングな方法とか残虐さとか
そういった手法を用いて人々の意識に働きかける
社会に働きかけるというアートの手法もあると思うんです
オラファー:
残虐な方法を用いているかどうかは
それほど問題ではないでしょう
アートとは一つの言語であり形式です
より重要なのはそのアート作品が
なぜ作られて、何を伝えようとしているのかです
伝えることによって使う言語も変わってくるでしょう
ただ私の場合、より私的な言語を使いたいと思っています
私はアートとの繋がり方を民主化したいんです
美術館には美術をよく知る人だけでなく
あまり知らない小さな子どもやお年寄りにも来てほしい
初めて来た人にとっても居心地のいいところにしたいんです
まるで私と一緒にあなたが展覧会を作っているような気持ちになってほしい
私は製作者ではないし、あなたは消費者ではない
私とあなたは共同制作者なんです
Q:
アートを民主化したいとおっしゃってましたが
今我々がアートにアクセスできないような状況になっている
そちらベルリンでも同じだと思いますが
こうした状況で我々は一体どうやってアートにアクセスすればいいのか
オラファーさんはご自身の作品について
どういう風に人々がアプローチしてもらったら良いかと考えますか?
オラファー:
人々が美術館に来られない今
アートが自宅にやってくるという方法を考える必要があるのかもしれません
この数ヶ月間、リビングルームで楽しめるような
「拡張 Digital ART」という案に取り組んできました
私からデジタルの彫刻をあなたに送れば
あなたの部屋で私の個展を開くことができます
そしてこれはまだ公表していないのですが
自然を部屋の中に取り入れることができないかと考えています
外に出られないなら、逆に外を部屋の中に入れたらどうだろうかと
もし太陽の光や雨、虹や雲といった自然が取り込めたら面白いじゃないですか
まだ問題はありますが、そんな形の展覧会が
あなたの部屋で実現できたらいいと思っています
(とてもいいアイデア!!
確かに今私たちは物理的には離れています
でも社会的には繋がっていなければいけないと思うんです
その役割をアートが担うことができると思います
なぜなら他の手法では表現しづらいことでも
アートであれば表現することができるからです
アートはただ鑑賞する対象ではなく
プラットフォームのような場所なんです
人々が集まり、それぞれ違った意見を言い合い
その意見を尊重するところ
そんな場所がアートなんです
アート単体では解決策にはなりません
でも物理的ではなく社会的につながることのできるアートという場所で
私たちが対話を交わすことで
今何が重要なのかを考えることができるのだと思います
■浅沼弘展@萬鉄五郎記念美術館 花巻市
■水に生き 土に生きる@諏訪市原田泰治美術館
母が好きで知った画家
■長沢明展 オワリノナイフーケイ@横須賀美術館
「メメントの森」とはメメントモリという言葉からきています。
メメント・モリとは、ラテン語で
「自分が必ず死ぬことを忘れるな」
「死を忘るなかれ」という意味の警句。
芸術作品のモチーフとして広く使われる。(ウィキペディアより)
■深井隆 物語の庭@板橋区立美術館
最近、はしもとみおさんのお蔭で彫刻にとても興味が沸いてきたから
これも観たいなあ!
これらの作品たちは、今もひっそりと美術館の中で
ヒトを待っているのだろうか?
追。
巨樹好きとしては「アンブレラツリー(umbrella tree)」も気になる存在
♪この木なんの木 気になる木~ と同じかと思ったら違うのか
カンチャナブリの巨大樹(Giant Monkey Pod Tree)この木なんの木~♫
子どもの時は虹を見たら
みんな同じ虹を見ていると思っていたけれども
近くで見ると実は一人一人全く違う虹を見ていた
あなたの虹を見つけてくださいという作品です
皆さんが共有されている記憶と
新たな仕掛け、発見、体験によって
もう一つ先まで想像力を増強すると言うか
先に進めていくということをいつもする
背中を押してくれる
新しい想像力の世界を見るのに
多分、それを一人一人が
僕もあなたもそれを経験しているということを
共有できるということですよね
そうです
そこでもう一度虹の美しさを共有したという
共通の体験みたいなものがベースになっている
でも一人一人は違う
そこがやっぱり重要なポイント
体験が深まっていく感じがします
(美術もどんどんスピリチュアルなものに近づいている
私自身も変わってシンクロニシティが増えて
気づけるようになったということもある
俳優 上白石萌歌さん
なんかすごい儚いものを映しているような
自分が何を見ているのか 途中で見失いそうにもなるし
でもそれを必死に見ようとしている感じ
触るとなくなるんですよ それが不思議
作者がそういう目に見えないものみたいなものを大事にしてきた人というか
子どもの頃に純粋な目で見たときのものとか
目に見えないものを信じようとする力みたいなものも感じるし
(これは上から水蒸気を落としているんだろうか?
細かい砂のようにも見える
「ときに川は橋となる」
この展覧会のタイトルにもなっている作品
(水色の光があらゆる形に変化している
ゲスト:
うちの風呂の壁や天井にこういう模様がずっと出てるんです
それをずっと飽きずに見ていて
のぼせるということがあるんですけどw
萌歌:
水族館みたい
でもよく見たら一瞬も同じ形はないですね
どんどん変化していく
同じ動きをしているようで、していない
それぞれが違くて
水溜りとか踏んだら
今まで映っていた空とかが何もなくなったりするから
水たまりを思い出します
ゲスト:
波風が治まって平和になったら
また波風が立つみたいな
これも本当に設置されてから一度たりとも
同じ造形になったことがないんでしょうね
偶然の重なり
僕らの暮らしている地球が
いろんな偶然のおかげで人間が暮らせる環境になっている
それを思い起こすことができますね
展覧会のために来日するはずだったオラファー
開幕は延期してそれは叶いませんでした
そこで会場とベルリンのスタジオを
インターネットで繋ぎました
オラファー:
今回コロナの影響下での初めてのインタビューです
こんな形ですがとても嬉しいです
離れていてもこうして繋がり合えることが分かったんですから
Q:
今私たちは作品の部屋にいるんですが
このタイトルはどのような意味を持っているのでしょうか?
オラファー:
私たちは物事の見方を知らないがゆえに
いろんなことが見えないと思うんです
でも見方を変えれば見えなかった物が見えてきます
それは不可能なことを可能にすることと通じます
見方を変えれば川は橋となるんです
世界をより良く理解するために見方を変える
知覚を変化させる
そういう意味です
この作品はそのタイトルにぴったりだと思います
なぜなら今まで見えなかった時間が
ほんの少しの水と波だけで見えるようになったのですから
環境や気候に関してもそうです
見方を変える、知覚を変えることで
地球を今一度理解し直さなければならないと思います
Q:
オラファーさんの芸術というのは
知覚の有り様を変化させるというようなお仕事だと思うんです
その一方で我々の知覚のあり方とか
想像力のあり様を変容させるために
いわゆるショッキングな方法とか残虐さとか
そういった手法を用いて人々の意識に働きかける
社会に働きかけるというアートの手法もあると思うんです
オラファー:
残虐な方法を用いているかどうかは
それほど問題ではないでしょう
アートとは一つの言語であり形式です
より重要なのはそのアート作品が
なぜ作られて、何を伝えようとしているのかです
伝えることによって使う言語も変わってくるでしょう
ただ私の場合、より私的な言語を使いたいと思っています
私はアートとの繋がり方を民主化したいんです
美術館には美術をよく知る人だけでなく
あまり知らない小さな子どもやお年寄りにも来てほしい
初めて来た人にとっても居心地のいいところにしたいんです
まるで私と一緒にあなたが展覧会を作っているような気持ちになってほしい
私は製作者ではないし、あなたは消費者ではない
私とあなたは共同制作者なんです
Q:
アートを民主化したいとおっしゃってましたが
今我々がアートにアクセスできないような状況になっている
そちらベルリンでも同じだと思いますが
こうした状況で我々は一体どうやってアートにアクセスすればいいのか
オラファーさんはご自身の作品について
どういう風に人々がアプローチしてもらったら良いかと考えますか?
オラファー:
人々が美術館に来られない今
アートが自宅にやってくるという方法を考える必要があるのかもしれません
この数ヶ月間、リビングルームで楽しめるような
「拡張 Digital ART」という案に取り組んできました
私からデジタルの彫刻をあなたに送れば
あなたの部屋で私の個展を開くことができます
そしてこれはまだ公表していないのですが
自然を部屋の中に取り入れることができないかと考えています
外に出られないなら、逆に外を部屋の中に入れたらどうだろうかと
もし太陽の光や雨、虹や雲といった自然が取り込めたら面白いじゃないですか
まだ問題はありますが、そんな形の展覧会が
あなたの部屋で実現できたらいいと思っています
(とてもいいアイデア!!
確かに今私たちは物理的には離れています
でも社会的には繋がっていなければいけないと思うんです
その役割をアートが担うことができると思います
なぜなら他の手法では表現しづらいことでも
アートであれば表現することができるからです
アートはただ鑑賞する対象ではなく
プラットフォームのような場所なんです
人々が集まり、それぞれ違った意見を言い合い
その意見を尊重するところ
そんな場所がアートなんです
アート単体では解決策にはなりません
でも物理的ではなく社会的につながることのできるアートという場所で
私たちが対話を交わすことで
今何が重要なのかを考えることができるのだと思います
■浅沼弘展@萬鉄五郎記念美術館 花巻市
■水に生き 土に生きる@諏訪市原田泰治美術館
母が好きで知った画家
■長沢明展 オワリノナイフーケイ@横須賀美術館
「メメントの森」とはメメントモリという言葉からきています。
メメント・モリとは、ラテン語で
「自分が必ず死ぬことを忘れるな」
「死を忘るなかれ」という意味の警句。
芸術作品のモチーフとして広く使われる。(ウィキペディアより)
■深井隆 物語の庭@板橋区立美術館
最近、はしもとみおさんのお蔭で彫刻にとても興味が沸いてきたから
これも観たいなあ!
これらの作品たちは、今もひっそりと美術館の中で
ヒトを待っているのだろうか?
追。
巨樹好きとしては「アンブレラツリー(umbrella tree)」も気になる存在
♪この木なんの木 気になる木~ と同じかと思ったら違うのか
カンチャナブリの巨大樹(Giant Monkey Pod Tree)この木なんの木~♫