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ナイル河上の値切り合戦とバースディケーキ ―アスワン― 2008.12.21
オム・コンボの神殿を後に、アスワンまでバスは一気に走って、少し遅い昼食をアスワン・ナイル中洲の島のレストランで取る。飲み物にヌビアコーヒーがあるというので、早速注文。まるでお猪口のような形状の小さな容器に入ったスパイシーな癖のある味のコーヒーであった。
(左)ナイル中流域のアスワンの街 (右)対岸を見るとまさに砂漠の中の街
(左)ほとんど黒色に近いスパイシーなヌビアコーヒー (右)昼食(参考写真)
アスワン上流は昔ヌーバ族という黒人支配の地域。ヌビア人と言われる色黒の人たちが多い。食後はナイル独特の帆掛け舟、ファルーカによるセイリング。ナイル川の運航は、帆の張り方で行き先が分かると言う。上流の奥地に向かう船は帆を上げて、北へ下る(カイロ方面)時は帆を下げて、ということらしい。
ナイル名物のファルーカ
(左・右)アガサ・クリスティが『ナイルに死す』を執筆し、その舞台となったことで知られる名門ホテル「オールド・カタラクト」
しかし、この日はあいにく風が全く無く、3人のヌビア人の船頭達が25名も乗った船の櫓を漕ぐも、遅々として進まない。
そのうち、船頭が船底から土産物を取り出し商売を始めた。乗客は大阪のおばちゃん達が中心である。案の定、値切り合戦が始まった。
しかし、ヌビア人の船頭もおいそれとまけない。延々、1時間、船はほとんど動かず、白熱の値切り合戦も不調に終わってしまった。
(左)絵になるヌビア人の船頭 (右)全くの無風状態、他の船頭達も漕ぐのをやめて休憩
気がつくと昼食場所と目と鼻の先の別の中洲にあるホテルが今宵のホテルだそうな。まともに漕げば15分とかからない距離ではないか。「イシス・リゾートホテル」、小奇麗な近代ホテルである。
(左)別の中洲にある「イシス・リゾートホテル」 (右)ホテル専用ボート
(左・右)イシス・リゾート・ホテルの船着場
2006年の世界銀行発表のデータによると、エジプトの一人当たり国民総収入(GNI)は購買力平価基準(PPP)で137位。低位中所得国に分類されている。ちなみに日本は24位。
サハラ砂漠以南のほとんどのアフリカ諸国は低所得国である。エジプトの主な歳入源は、石油・ガス、観光、スエズ運河通行料の3つ。
バスの車窓から見る田舎の光景はとても貧しいものである。観光地で売られている小物は、そのほとんどが数百円程度のものばかり。売り子達はわずかの利ざや稼ぎで生活をしているのだろう。
そう思うと値段を値切る駆け引きの面白さ・楽しさはあるものの、一方で「施しの精神」も必要なように思われる。特に個人売り子の場合には。
(左)部屋のテラスからの眺め (右)砂漠の中のまさにオアシス
ホテルで1時間ほど休憩後、香水瓶の店に寄ってから夕食に行くと言う。ガイドが香水瓶屋での時間を決めなかったせいで、ここでも買う人の値段交渉で1時間近く買う気のない人が待たされて、ひと悶着。
夕闇迫るホテルの正面玄関 これからボートで夕食へ
夕食はコフタという細長いミートボール。
ところで今日は小生の誕生日。内緒にしていたが添乗員が気を利かせてくれて、大きなケーキで誕生祝い。皆さんにもおすそ分け。それにしても甘過ぎるケーキであった。
(左)名物のコフタ(細長いミートボール) (右)食後の誕生祝いケーキ カット後の小生分(元ケーキは巨大、何せ26人分のケーキ)
「明日はモーニングコール 何と午前2時半です!」のアナウンスに、全員早々にホテルに戻ってお休みなさい!
早く寝よ!と各自ホテルの部屋に (何せ、モーニングコールは2時半!)
ナイル河上の値切り合戦とバースディケーキ ―アスワン― 2008.12.21
オム・コンボの神殿を後に、アスワンまでバスは一気に走って、少し遅い昼食をアスワン・ナイル中洲の島のレストランで取る。飲み物にヌビアコーヒーがあるというので、早速注文。まるでお猪口のような形状の小さな容器に入ったスパイシーな癖のある味のコーヒーであった。
(左)ナイル中流域のアスワンの街 (右)対岸を見るとまさに砂漠の中の街
(左)ほとんど黒色に近いスパイシーなヌビアコーヒー (右)昼食(参考写真)
アスワン上流は昔ヌーバ族という黒人支配の地域。ヌビア人と言われる色黒の人たちが多い。食後はナイル独特の帆掛け舟、ファルーカによるセイリング。ナイル川の運航は、帆の張り方で行き先が分かると言う。上流の奥地に向かう船は帆を上げて、北へ下る(カイロ方面)時は帆を下げて、ということらしい。
ナイル名物のファルーカ
(左・右)アガサ・クリスティが『ナイルに死す』を執筆し、その舞台となったことで知られる名門ホテル「オールド・カタラクト」
しかし、この日はあいにく風が全く無く、3人のヌビア人の船頭達が25名も乗った船の櫓を漕ぐも、遅々として進まない。
そのうち、船頭が船底から土産物を取り出し商売を始めた。乗客は大阪のおばちゃん達が中心である。案の定、値切り合戦が始まった。
しかし、ヌビア人の船頭もおいそれとまけない。延々、1時間、船はほとんど動かず、白熱の値切り合戦も不調に終わってしまった。
(左)絵になるヌビア人の船頭 (右)全くの無風状態、他の船頭達も漕ぐのをやめて休憩
気がつくと昼食場所と目と鼻の先の別の中洲にあるホテルが今宵のホテルだそうな。まともに漕げば15分とかからない距離ではないか。「イシス・リゾートホテル」、小奇麗な近代ホテルである。
(左)別の中洲にある「イシス・リゾートホテル」 (右)ホテル専用ボート
(左・右)イシス・リゾート・ホテルの船着場
2006年の世界銀行発表のデータによると、エジプトの一人当たり国民総収入(GNI)は購買力平価基準(PPP)で137位。低位中所得国に分類されている。ちなみに日本は24位。
サハラ砂漠以南のほとんどのアフリカ諸国は低所得国である。エジプトの主な歳入源は、石油・ガス、観光、スエズ運河通行料の3つ。
バスの車窓から見る田舎の光景はとても貧しいものである。観光地で売られている小物は、そのほとんどが数百円程度のものばかり。売り子達はわずかの利ざや稼ぎで生活をしているのだろう。
そう思うと値段を値切る駆け引きの面白さ・楽しさはあるものの、一方で「施しの精神」も必要なように思われる。特に個人売り子の場合には。
(左)部屋のテラスからの眺め (右)砂漠の中のまさにオアシス
ホテルで1時間ほど休憩後、香水瓶の店に寄ってから夕食に行くと言う。ガイドが香水瓶屋での時間を決めなかったせいで、ここでも買う人の値段交渉で1時間近く買う気のない人が待たされて、ひと悶着。
夕闇迫るホテルの正面玄関 これからボートで夕食へ
夕食はコフタという細長いミートボール。
ところで今日は小生の誕生日。内緒にしていたが添乗員が気を利かせてくれて、大きなケーキで誕生祝い。皆さんにもおすそ分け。それにしても甘過ぎるケーキであった。
(左)名物のコフタ(細長いミートボール) (右)食後の誕生祝いケーキ カット後の小生分(元ケーキは巨大、何せ26人分のケーキ)
「明日はモーニングコール 何と午前2時半です!」のアナウンスに、全員早々にホテルに戻ってお休みなさい!
早く寝よ!と各自ホテルの部屋に (何せ、モーニングコールは2時半!)
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