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旅行記、世相独言

ミシェルと黒い雪の町 - エッセン - (異文化体験2 アルコールの旅4)

2010年02月03日 00時19分21秒 | 異文化体験_西欧
ミシェルと黒い雪の町 -エッセン-   1981.1.27~29

 「ミスターゼコー!」 こう呼ばれて初めて、そう!私は今ドイツにいるんだという実感が込み上げる。街の繁華街から歩いて5分とかからない「Hotel Central」のおやじは私に大きな木製のぼんぼりのついたキイを手渡す。

 
         「Hotel Central」の前で。裏にホテル所在地図を書いたホテルカード

 ポケットに到底入りそうもない大きな代物のキイを持って、人一人やっと通れる階段を3階まで上がり、日本円にして約4千円の宿代の部屋に入る。風呂もシャワーもトイレもない。共同シャワーが2階にあるという。ベッドサイドのランプは球切れ。ここに2泊するのかと思うと気が重くなる。でもおやじとおかみさんは精一杯のサービスで朝食の世話やいくら遅くなっても起きて待っていてくれたりと、今となっては忘れがたいホテルの一つである。


 ルール地方の中心地エッセンは、かつて繁栄を極めた鉄鋼業の財閥クルップ家の本拠地としてルール工業地帯を牽引し、ルアーガスやクルップコパース社等の石炭産業の中心的企業が本拠を構えている。エッセンには、ルール工業地帯最盛期の産業遺産として、市北部にツォルフェアアイン炭鉱業遺産群(第12立坑、コークス工場などの鉱業関連建造物群)が存在し、ユネスコ世界遺産にも登録されている。2010年の「欧州文化首都」に選ばれた背景にはこの炭鉱業遺産群の存在が大きいようだ。

      
(左)世界遺産「ツォルフェアアイン炭鉱業遺産群」の「関税同盟第12立坑」 (右)2010年「欧州文化首都」のロゴ

 クルップコパース社を訪問した時のこと。扉のないエレベーターが止まることなく上下動している。飛び乗れるスピードではあるが、初めての人間にはそのタイミングが難しい。そう!初めてエスカレーターに飛び乗る時と同じ気持ち。安全第一の日本なら許可されない代物だろう。

クルップコパース社本社 扉のないエレベーター


 早速街を探訪すべく、繁華街らしき方向に歩を進めると、雪もないのに靴がキュッ、キュッと鳴るではないか。足元を見るとまさに黒い雪がその正体。細かな石炭の粉が歩道、車道を問わず降り積もっている。空から降るでもなし、多分トラックか何かの輸送手段が原因?と勝手な憶測。この黒い雪も繁華街の中心近く来ると、いつの間にか消え失せて田舎の街に似つかわしくない沢山の人出である。

 ケットヴィーガー通り からくり人形時計 

 正午に人形達が踊り、大きな鐘の音を響かせるメインストリート「ケットヴィーガー通り」の人形時計の前には、沢山の市民が輪を作って5階建てのビルの屋上を今か今かと見上げている。内陸の寒い冬は、オーバーコート一つとっても実に実用的である。お国振りも反映し、更に自らの命を託するのだから当然と言えばそれまでだが、私もこの身にピッタシのベージュ色のコートがあったのでつい買ってしまった。(このコートは20年経った今でも愛用している。)その後の行程はこのやたらと重い、でも暖かそうなコートを持ち歩く体力のいる行程にとなった。ちなみにこの時期の為替レートは、1ドルが2ドイツマルク、1ドルが205円程度なので、およそ1ドイツマルクは100円程度。


 昼間のメインストリート「ケットヴィーガー通り」

 エッセンの夜はジェスチャーに終始する。

 とある飲み屋に入ると、一見剛のばあさんと可憐な娘と言った感じの二人がにっこり笑って我々を迎える。小さな店だが他に客はいない。水割りまでの注文は何とか済ませたが、さあそれからが大変。ドイツ語しか解しない親子とのコミュニケーションは、ただただジェスチャーのみ。私の学生時代のつたないドイツ語で「どこに住んでるの?」と尋ねたのが間違いのもと。この人はドイツ語が話せると勘違いし、矢継ぎ早のドイツ語が飛んでくる。こりゃ、あかん!とほうほうの体で退散。

 懲りもせず次に入ったのは、「ワールドキャバレー」といういかにも胡散臭そうなお店。我々3人客に3人のホステスが寄って来る。中でもミシェルという客あしらいの上手なホステスが姐御格でドイツ語しか解さない。あとの二人はチェコからの出稼ぎとか。ここでもコミュニケーションはとれず、それではと万国共通の歌を歌い、ストリップティーズの舞台の後は、ダンスに興ずる。スキンシップは適度なコミュニケーションの潤滑剤。身振り手振りで皆をさんざん笑わせたミシェルお姐さん。最後にばらした御歳は、なんと68歳!

 万歳!エッセン




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