聖書には信仰の定義があります。
「信仰とは望んでいる事柄が実現するという確信」
自分は神の存在は確信しているし、自然界に見られる秩序からその存在が偶然によるものではなく創造者がいることを示していると思う。いわゆるインテリジェントデザインを信じています。でも、何故自分は神を身近に感じられないのだろうと思っている。実際、信仰のある人は神を身近に感じていると思けど自分はそう感じていない。聖書に書かれている歴史、奇跡、予言を読んで理解出来るけど、感動や現実性というものを感じられない。
だから、理解はしていても実感出来ないのは心の欠陥があるのではないかとさえ思う事があります。でも、決して自分を偽ってきたわけではなく、自分の信仰と真摯に向き合ってきたつもりです。ただ、心おだやかで、平安に生活したいと望んでいるのに、それ以上の事柄を強いられていると感じているからなのかもしれないです。だから、信仰とは自分が望んでいる事柄ではなく神が望んでいる事柄が実現するのを確信することなんですね。自分の事は後回しです。忍耐と辛抱と自制の日々を過ごしなさいと.......
「見えないものが実在するという証拠」
目に見えない物で存在している物は沢山あります。私たちはそれらの存在を知識で理解し認識して活用しています。
同様に、見えない神が実在する証拠は無限にあるのです。