明日の子育てが、より楽しみになりますように。

正解はないですが、一つの考え方として私の体験談や相談を受けてきたことを残していきます。

一文字書き間違えただけで...

2020-05-25 19:15:00 | 日記

一年生の作文。

タイトルは「シンデレラ」。



と書きたかったのだろう。

字の向きを間違えたのか、勘違いか、大変なことに...








シがツに...











「ツンデレラ」...














ワガママお姫様かな?


一生懸命って、何だろう?

2020-05-24 22:37:00 | 日記
高学年の授業をする時に、私の好きな話をして、みんなで考えてもらっています。

ある日の内容です。






一生懸命って何だろう?






「頑張ること!」
「たくさんやること!」
「本気!」


どれも悪くはないね。
辞書には、


命をかけて物事に当たるさま。本気で物事に打ち込むさま。▽「懸命」は命がけでの意。転じて、真剣に物事に当たるさま。


と書いてあった。
けれど、先生は具体的じゃないと思うんだ。
力をつける人や成長する人は、どんなことも具体的にしていると話したね。



先生なりに、具体的にすると、


一生懸命頑張ったは、その時(本番・公式戦)だけでは成り立たないと思うんだ。

というより、上手くいかないと思う。


なぜなら「準備の段階」と「本番」の二つで始めて『一生懸命』になっていくと思う。


だから、準備って大切。
準備は、その人の想いも込められていて、それは人に伝わっていくからね。





とはいえ、今のは先生の考えであって絶対的な正解ではない。
自分なりに「一生懸命とは」を言葉にして紙に書いて提出して帰ろう!




と言うことで授業を始めます!
この授業のために先生は一生懸命準備したし、みんなが理解できるよう伝えていくから、わからなかったら遠慮なく聞いてくれ。



柊先生の言葉を改めて、思い出そう

2020-05-24 22:09:00 | 日記
最近、悲しい出来事がありましたね。
昔にはなかった、今だからこその出来事。

物事には、良い面があれば悪い面も必ずある。
SNSというのは、自由だからこそ気をつけなくてはいけないもの。


そんな時に、思い出したいのは
ドラマ「3年A組〜今から皆さんは人質です〜」です。

以下には、その主人公である柊先生が生徒たちに伝えた言葉を抜粋させていただきました。






お前たちはもう、感情に任せて、過ちを犯せる歳じゃないんだよ。

それが許される歳じゃないんだよ!

考えて!考えて考えて!答えを出すんだよ!

だからもっと、だからもっと!自分の言葉に!自分の行動に!責任を持てよ。

いいか。
お前の他愛のない言葉ひとつで、誰かを救うことができるかもしれない、でもその一方で、傷つく誰かがいるかもしれないってことを忘れるな。

お前の言葉ひとつで!
簡単に!
命を奪えるってことを忘れるな!
いいな!



お前らも絶対忘れるなよ。』





みんなで貶し合う世の中ではなく、
みんなで切磋琢磨し幸せになる世の中になりますように。

こういう時こそ、指導者の力量が問われる

2020-05-23 22:55:00 | 日記
インターハイや甲子園の中止決まり、報道数も増えてきているなーと思っています。

高校生以外にも、小学6年生や中学3年生、大学4年生...それ以外にもここを区切りとしていた人たちにとっては、辛いと思います。




ここで、問われのが「指導者」の力量だと思っています。




選手にとって、指導者は特別です。
長く大変な道を共に乗り越えてきた人の言葉でどれだけ救えるか。

きっと「勝利だけを目指してきた人」と「スポーツを通して人間形成」をしてきた人の言葉は全く違うと思います。



以下は、明徳義塾高校の馬淵監督が選手の言葉の抜粋です。
もし自分が監督のもとにいた選手だったら、この言葉を聞けただけでも救われ未来に向かって進もうと思えます。

一一一一一

馬淵史郎監督が部員に語った言葉は次の通り。




 今、日本高野連の発表で中止が決まった。今大会は102回の回数には入れるらしいが、中止。地方大会も中止だ。

 おまえらが目標にしとった大会がないので、非常に残念でたまらん、俺も。3年生は、選抜も中止になったところで、最後の夏に自分の力を発揮できる大会がなくなったというのは、本当につらい。今の社会情勢から言ったら、おまえらも50%ぐらいは「(大会が)ないんじゃないか」という気持ちは持っていたと思うけど、正式に決まったんで。

 ただ、いつも言っているように、高校野球の目的は「人間づくり」やから。勝つか負けるか分からん。優勝せん限り、どっかには負ける。4千校近いチームの中で1チームだけで、あとのチームは、予選か甲子園に行ってどっかで負けるか、負けて終わるわけだ。

 目標としとったものがなくなるというのは、本当にね、なんとも言えん。一言では残念としか言いようがないけど、それだけでは言葉が足らんと思うんやけど。

 目的は「将来につながるための高校野球」やから。それだけは忘れんなよ。勝った負けた、甲子園に出場できるできない、レギュラーになったなれないと、いろんなことがあるけど、要は、世の中に出て通用するようなことをグラウンドで学ぶのが高校野球なんや。

 大会がなくなったからというんで、自暴自棄になり、目標を失ってふにゃふにゃの人間になったりしたらあかんど。まだまだ将来つながるんやから。

 新しい目標を立てて野球続ける者もおるだろうし、高校3年間で終わって進学して違った道に行く者もおれば、就職する者もおると思う。けど、必ず、今の親元を離れて寮生活をして打ち込んだものが、絶対どこかで生きてくるんやから。

 よその学校に比べたらまだ恵まれていると言ったらおかしいけど、四国大会でチャンピオンになり、神宮大会という全国大会の経験ができたというのは唯一の救いや。胸張っていいと思うけど、新しい目標を設定して、そこに向かってやっていかなならん。

 だから、今の時期で「甲子園がなくなった。はい新チームに切り替えます」というようなことはしない。まだ高知県で大会に代わるようなものも考えてくれているみたいなので、とにかくやれることを最後までやっていく。

 ええか、これでOB気分になって「終わった終わった」じゃないんだぞ。3年生も夏休みまでは、自分の目標に向かってしっかりやって、グラウンドには普通通りの時間に出て、普段通りの練習をやる。

 忘れんなよ。世の中に出ていろんな苦しいことがあった時に、耐えていける精神力をつけるというのが高校野球なんや。こういう苦しい時ほど、人間は試されるんで。甲子園だけがすべてじゃないんやから。人生、甲子園に行けない人間の方が多いんやから。全員が気持ち切り替えてやっていかないと。それでも最後まで同じ仲間とグラウンドでやれたというのが財産やから。10年、20年経って、「あの時、自分らの代は地方大会がなかった。試す場所がなかった」ということが、きっと役に立つ時があるから。

 これで気持ちを切り替えるのは難しいかもしれんが、次のステップにみんなが進んでいくようにしよう。今の状況は命に関わることやから。最近は若い者でも重症になったり命がなくなったりする者もおるんで。他の人にうつしたりする心配もある。

 地方大会がなくなったというのも、移動と審判員の安全(のため)。それと、今は医療態勢が崩壊しかかっているやろ。球場に医者を派遣するだけの余裕がないと言われている。高知県だけじゃない、甲子園もそうや。みんなを守ろうということよ、要するに。コロナから守ろうということで、大会をなくした方がいいんじゃないかということ。そういうとらえ方をせないかんのじゃないかな。

 今、ぱっといい言葉が出てこないけど、自分も高校野球やった人間やから。でも、俺らは負けて、それで高校野球に区切りをつけたんや。それがない分だけ、つらいわな。気持ちはよう分かる。親御さんもそういう気持ちだったと思う。そういう関係者のことも考えたら非常につらい。気持ち切り替えてくれとしかいいようがない。

 頑張ってやれよ、こっからだぞ。こっからが出発点だ。何も終着駅じゃないよ。こっから出発点だ。気持ち切り替えてやっていけよ、ええか。








宿題以外に、何を勉強させれば、いいですか?

2020-05-23 22:15:00 | 日記
最近、一年生の親からよくご相談をいただきます。
ずっと家に居るため、やることがなくなってきたようです。




私がよく伝えていることの中から、
まずは一つ。
 

それは...









「時計」の見方を理解し、「時間」を理解することです。






そんなこと?と思われる方もいるかもしれません。
ただ、毎年半分くらいの子は、よくわかっていないというのが現状です。
2年生でも、よくわかっていない子もいるんです。




なぜ、差が出ているのでしょうか。
答えは簡単です。





時間を入れて話している会話に、どれだけ触れているかです。





例えば、
「もうすぐ、ご飯だよ」と言えば、あと少しと抽象的ですが理解はできます。
「19時になったら、ご飯だよ」と言えば、具体的に理解ができます。
そこに「あと何分で19時になる?」「あと10分!」と話してあげると理解は早くなります。

また、私が授業する時は「15分になったら次のページに行くよー、あと何かな?」「あと3分!」「正解!なので、3分だけ集中しようか!」のように"意識的"にコミュニケーションをとっています。




まずは、意識的に子どもとの会話に「時間」をつけて話してあげてください。
小さい頃から、当たり前にしてあげることで勉強という意識をもたずに時計を身近に感じられるでしょう。


何気ない日常で、子どもたちを伸ばしていきましょ。