人は何を見ているかといえば、見たいものを見ていて、
何を聞いているかというと、聞きたいことを聞いている、
ということは前にも書いたけれど、これは別の言い方をすると、
人は見たくないものは見ているようで見ていないし、
聞きたくないことは聞かない、とも言える。
もちろん無意識の話だ。
今日の話題の、確証バイアスもまた、この原理に基づく
人間の基本的認知の歪みのひとつだ。確証バイアスとは
つまり、人は一度何かを信じると
(信じ始めると、または、信じると決めると)、
それを確証する情報ばかりに注意が行き、
その反証となる情報を軽視する傾向にあるということだ。
たとえば、ある人が、
「ギャルはモラルがなく、マナーが悪い」
と思い込んでいて、その人は一日のうちに10人の
ギャルを見たり、会ったりしたとする。その時に、
実際は3人のモラルのないマナーの悪いギャルと、
7人のそうではないギャルを見ているのに、3人の
モラルのないギャルにばかり気を取られていて、
7人の、マナーのよいギャルのことをほとんど覚えて
いなかったりする。
これは、自分の信念を確証しようとする無意識の
バイアスから来ている。
また、ある人が、
「オヤジの息はくさい」
という偏見を持っていたとする。それで、ある日、
20人の中年男性と会って、そのうち実際に息が
臭かったのはたった5人だったのに、その5人が
10人にも15人にも感じられ、「やっぱり臭い」となる。
もっと個人レベルで、ある男性が、その人の恋人が
「絶対浮気している」と思い始めたとする。
実際には彼女はシロなのに、実際にはなんでもない
しぐさや言動を浮気の証拠として感じ始める。
もちろん、その思い込みを覆すような情報は彼の意識から
自動的にシャットダウンされるようになる。
これもよくあることだけれど、学校の先生が、
ある生徒を、「この子は悪い子!」と思ったとする。
するとどうだろう、その子がどんなにいい事をしても、
そんなものは全然目に入ってこない。その子が「悪い子」
であるのを立証する情報ばかりどんどん取り入れようとする。
無意識的に。
人間の認知は問題だらけだ。この確証バイアスは、
ほかにもいろいろなところで見られる。
「黒人は悪い」とか、「太っている人は怠慢でだらしない」
とか、「中東系は麻薬の売人だ」とか、「精神障害者は危険だ」
とか、「おばさんはずうずうしい」とか・・・
偏見やステレオタイプは、抱いていると、確証バイアスで
どんどん強化されていくし、どんどん広がっていく。
でも、僕たち人間は日常生活の中で、実に多くの
「確証バイアス」をほとんど無意識的に使っている。
人が誰に対しても公平でいるというのは本当に難しい。
あなたの嫌いなある人、あなたの苦手なあの人。
「嫌なやつ」「嫌味なやつ」「自分のことしか考えてない人」
「冷たい人」「退屈な人」「困った人」・・・
もしかしたら、僕たちの知らない、全然違った一面が
あるかも知れない。
「人間は確証バイアスを持っている」と自覚していると、
思わぬ発見があったりして、目からうろこなことがあるかも知れない。
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ということは、大丈夫、とみんなに言われても、わざわざ不安な要素ばかりみつけてきて気に病んでいるような不安神経症の人は 非確証バイアス とでもいうような見方をしてしまうのでしょうか。そんなの大丈夫だよ、と誰もがいうような些細な点も必死で見つけ出してきて悩みに悩みますね。
コメントありがとうございます。もともと人間の脳がこういう傾向にあるので、意識して気をつけないといけませんね。
コメントありがとうございます。そうですね、その不安神経症の人は、別の言い方をすると、「大丈夫じゃんない」という確証がほとんど中核的信念になっていたりするので、大丈夫という周りの意見は頭では分かっていても入ってこないんですよね。みんな、気休めを言ってくれているだけだって思ったりして、そういう意見を無効化してしまいます。
私、現在コーネル大学にて国際農業(途上国の農業)を専門に勉強をしているものです。今回、勝手にですが、こちらの記事を私のブログ内で使用させて頂きました。http://blog.goo.ne.jp/khumo/e/3ad87582f3368a0b6ec81c10a5ce23a7事後報告になってしまい、すみません。非常に参考になる、わかりやすいエントリー記事だったので、ついつい勝手に使用させて頂きました。参考記事にさせて頂いたこと、ご了承頂ければ幸いです。(問題あればすぐに仰ってください。即対応致します。)途上国の現場でも私自身の、そして研究者・フィールドワーカの様々な「思いこみ」については、しばしば批判の的となっております。自分の専門以外の分野の方のお話などは非常に勉強になります。また自分の研究にも様々な示唆があると思っております。これからの記事も楽しみにしております。
コメントありがとうございます。コーネル大学で国際農業専攻、素晴らしいですね!!
リンク、嬉しいです。お役に立てて幸いです。もちろん問題ありません。自分は臨床心理学を専門分野に、客観的にフェアに対象(人、事象)を観察するように散々訓練を受け続けて経験を積んでいるにも関わらずバイアスは必ずあり、そのバイアスが次のバイアスを生んだりするから、その中でどれだけSelf-awareで小さな歪みに敏感になりその都度軌道修正していくか、日々心がけています。khumoさんのブログ、時々拝読させていただきます。これからもよろしくお願いします。
いや、逆に、確証バイアスの権化が占いそのものではないのかと、此処を拝見して思いました。恐ろしや確証バイアス。
はじめまして。コメントありがとうございます。興味深いですね。実際、占いと心理カウンセリングは、共通点も多く、わが国や、韓国では、依然として心理カウンセリングよりも占いのほうが人気だとよく聞きます。いわゆる人気のある占い師は、まずたいてい心理カウンセリングの基本テクニックを持っていますが、心理カウンセリングでも常に問題になってくるジレンマ、Empathy vs Authenticity(共感性 VS {人間関係、自分の気持ちに}本当、正直であること)は、どうやら占いでも問題になってくるようで、常にクライアントにとって気持ちのよい、聞きたいことばかり言っていてもその人のためにはならず、しかし「嘘は常備薬、真実は劇薬」とはよく言ったもので、真実をいくらオブラートに包んだところで、強烈な投影や否認を基本的防衛機制とした人間、とくに自己愛の問題を持った人は、そこで爆発したりします。心理カウンセリングは何度も続くものだからその劇薬を最適なタイミングが来るまで待ち続けられますが、占いはあまりそういうわけにもいかず、そういう方が来た場合の爆発のリスクはずっと高そうですね。一回勝負、というのは本当に難しいものだと思います。でもそのリスクがない占いなら、あなたが仰るように、その意味がなくなってしまうし、特に占いに来られる方はその覚悟はしてきて欲しいですね。
仰るように、実際日本にはカウンセリングという土壌がまだ育っていないし、残念なことに、いわゆるプロと呼ばれる人たち(心理カウンセラー、臨床心理士、精神科医、心療内科医)でも質の良い精神療法を提供できる人が少ない現状ですね。「専門家」が技術も知識もなく、適当なことを言って「これがカウンセリングだ」などというくらいで、一定の基準もないから、誰でも「カウンセラー」と言えてしまうわけで、それは実際すごく危険な状況だと思います。それで本当に困っている人が嫌な思い、ネガティブな経験をして、「やっぱり心理カウンセリングなんて駄目」と結論付ける負のスパイラルが永続化している気がします。とくに生身の人間のこころを相手にする商売、あなたのような自覚と認識のある方、つまり、「自分が何をしているのか」分かってやっている方がもっと多ければ、長い目で見て助けられる人もずっと増えるし、やはりSelf-awarenessは極めて重要なことだと思うのです。Self-awarenessのない提供者と、自分が何を求めているのか分からない消費者の相互作用というのは恐ろしいものです。