(前回の続き)
昨日の夕方、久しぶりにこの病院の周りを二人で歩いていたら、彼は唐突に言った。
「こころのびょうきのびょういんはよるもやってるの?」
また始まった。彼なりに考えるところがあるのだろう。
「そうだね。この病院は24時間やってるよ」
「こころのびょうきはあしたもつづくの?」
「うーん、そうだねえ。心の病気はそんなすぐには治らないからね」
「こころのびょうきはなおらないの?」
「いや、そんな事はないよ。治るけど、時間が掛かる事があるんだ」
この後しばらく「なんで」の応答が続いた。「なんでひとはこころのびょうきになるの?」、「◯◯もこころのびょうきになるの?」などなど。
息子はとても元気な子だけれど、感受性が強く、最近はウクライナ情勢に影響されている。「ろしあぐんが、うくらいなをおそうのがこわい」、「ろしあぐん、なきながらたたかってるよね?」、などと言ったり、夜中に寝言で「◯◯、ろしあにいきたくない」、と言ったり、彼なりに「こころのびょうき」について考える事があるのかもしれない。
彼の「なんで」にいろいろ考えながら答えていて、ふいにある事を思い出した。なぜ忘れていたのか。
「そうだ、◯◯、パパ、言ってなかった事がある」
「なになに?」
「実はねパパ、人の心の病気、治せるんだよ」、
すると彼の表情は急にパッと明るくなり、
「え〜〜〜!!なおせないでしょう!?」
と歓喜に満ちた声で言った。これは彼が嬉しい時にする反応で、例えばおもちゃが壊れた時、「パパ、このおもちゃ、治せるよ」と言うと、「え〜〜!なおせないでしょう!?」と言う風に茶化してくるのだ。
「いや、本当だって。パパ、人の心の病気治せるんだよ。パパ、よくいろんな人とお話してるでしょ?お話しながらこころの病気治せちゃうんだよ」、
と説明したら、納得したようで、
「◯◯は、れいびょうで、こころのびょうきなおせちゃうよ!どうしましたか?はい、もうなおりましたって」
と楽しそうに、いつものように張り合ってきた。彼なら確かに0秒で人の心の病気を治せるかもしれない。
「そうなんだね、0秒でこころの病気治せちゃうなんてすごいね」
「すごいでしょう!」
こんな感じで話していたら気が済んだようで彼は別の話をしはじめた。
「心の病気」の話題はきっとまた出てくるだろう。
ナデシコジャパンの澤さんが娘さんにサッカーを教えるように、自分は息子に臨床心理学や精神医学を教えていく事になるのだろう。どうせなら、運命論的な論調じゃなくて、楽観的で楽しいものを教えていきたいなと、ふと思った。