本日は 今は亡き方の戦争体験 を。
三波春夫氏
兵隊として ソ連と満州の境界線上で 撃ち合っていた。
敗戦も知らされず 敗戦を知ったのは9月に入ってから。
加藤治子氏
雑使婦という 役目で傷痍病院の手伝いをしていた。
高峰秀子氏
千葉 ・館山へ慰問団として出かけ 歌を謡ったりしていたのが
8 月14日。15日。 よく聞こえないラジオで玉音放送を。
それでも 特攻隊の若者たちは 片道切符の飛行機に乗り 敵地辺りへ 飛びたっていった。
敗戦ときいても どうしていいか分からずに
飛び立っていったのだ。
江戸や猫八氏
広島宇品で兵隊としていた。
広島の原子爆弾のあとの 死体を片付ける任務を した。
地獄絵図の 様で 忘れられない。
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