一月二十日(水)晴れ。
くだらん話で恐縮だが、昼時、一人でいると一人前だけの料理を作るのが面倒で、インスタントのものを食べる時がある。カップ麺の中では「緑のたぬき」が好きだ。それにネギをたっぷり入れて生卵を落とす。お湯を注ぎ、小さめのお皿でしっかりと蓋をして両手で頬杖をついて待っていると、なぜか、ふふふと幸せな気持ちになる。きっと安上がりな体に出来ているのに違いない。
事務所が寒いので、酔狂亭でストーブをそばに置いての仕事となった。最も仕事と言っても世間様から見たら、ざけんなよ。と叱られそうな、ほとんどが非生産的な事ばかりだ。しかし何となく生きて行くのもコツが必要で、自慢するわけではないが、浪人の道を貫くのもなかなか大変なのである。まさか「狂言切腹」なども出来ないし、さあーて、どうすんべぇか、一杯飲んで考えるかな。ということの繰り返しである。T展社のF社長と似てきちゃうなぁー。困った、困った。
夜は、憂国の企業家松本社長のお誘いで関内の鮨と懐石料理の名店「舎利膳」へ。このお店は、関内でも評判の名店である。またここのオーナーと私は同じ横浜高校の出身。もちろん私が年上であり、いつも「先輩」と立てて頂き恐縮する。しかしながら浪人の身では頻繁に通えるようなお店ではないのが残念である。偶然に地元の有名な方お二人と会いご挨拶をさせて頂いた。お店に五分前に着いたらすでに松本社長と保守の論客として名高い岩田温先生が席を温めていてくれた。岩田先生のことをあまり知らない人のために、ウイキより転載させて頂く。
岩田 温(いわた あつし、1983年(昭和58年)9月10日 - )は日本の大学講師。拓殖大学日本文化研究所客員研究員、拓殖大学客員教授を経て、秀明大学専任講師を経て拓殖大学客員研究員。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了。専攻は政治哲学。特定非営利活動法人日本保守主義研究会代表理事。
という方である。私は岩田先生と酒席を共にするのは二度目。もちろん二回とも松本社長のお世話によるものである。岩田先生の博学に上品な肴と酒とが加わり、とても幸せな気持ちになる。二時間ほど飲んでから、今日中に大阪に帰ると言う岩田先生と別れて、松本社長と一軒転戦。その後に自宅に送って頂き帰宅。いい一日だった。写真は、舎利膳にて。
くだらん話で恐縮だが、昼時、一人でいると一人前だけの料理を作るのが面倒で、インスタントのものを食べる時がある。カップ麺の中では「緑のたぬき」が好きだ。それにネギをたっぷり入れて生卵を落とす。お湯を注ぎ、小さめのお皿でしっかりと蓋をして両手で頬杖をついて待っていると、なぜか、ふふふと幸せな気持ちになる。きっと安上がりな体に出来ているのに違いない。
事務所が寒いので、酔狂亭でストーブをそばに置いての仕事となった。最も仕事と言っても世間様から見たら、ざけんなよ。と叱られそうな、ほとんどが非生産的な事ばかりだ。しかし何となく生きて行くのもコツが必要で、自慢するわけではないが、浪人の道を貫くのもなかなか大変なのである。まさか「狂言切腹」なども出来ないし、さあーて、どうすんべぇか、一杯飲んで考えるかな。ということの繰り返しである。T展社のF社長と似てきちゃうなぁー。困った、困った。
夜は、憂国の企業家松本社長のお誘いで関内の鮨と懐石料理の名店「舎利膳」へ。このお店は、関内でも評判の名店である。またここのオーナーと私は同じ横浜高校の出身。もちろん私が年上であり、いつも「先輩」と立てて頂き恐縮する。しかしながら浪人の身では頻繁に通えるようなお店ではないのが残念である。偶然に地元の有名な方お二人と会いご挨拶をさせて頂いた。お店に五分前に着いたらすでに松本社長と保守の論客として名高い岩田温先生が席を温めていてくれた。岩田先生のことをあまり知らない人のために、ウイキより転載させて頂く。
岩田 温(いわた あつし、1983年(昭和58年)9月10日 - )は日本の大学講師。拓殖大学日本文化研究所客員研究員、拓殖大学客員教授を経て、秀明大学専任講師を経て拓殖大学客員研究員。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了。専攻は政治哲学。特定非営利活動法人日本保守主義研究会代表理事。
という方である。私は岩田先生と酒席を共にするのは二度目。もちろん二回とも松本社長のお世話によるものである。岩田先生の博学に上品な肴と酒とが加わり、とても幸せな気持ちになる。二時間ほど飲んでから、今日中に大阪に帰ると言う岩田先生と別れて、松本社長と一軒転戦。その後に自宅に送って頂き帰宅。いい一日だった。写真は、舎利膳にて。