白雲去来

蜷川正大の日々是口実

お二人の論客の前に、大破轟沈。

2016-01-21 12:50:32 | 日記
一月二十日(水)晴れ。

くだらん話で恐縮だが、昼時、一人でいると一人前だけの料理を作るのが面倒で、インスタントのものを食べる時がある。カップ麺の中では「緑のたぬき」が好きだ。それにネギをたっぷり入れて生卵を落とす。お湯を注ぎ、小さめのお皿でしっかりと蓋をして両手で頬杖をついて待っていると、なぜか、ふふふと幸せな気持ちになる。きっと安上がりな体に出来ているのに違いない。

事務所が寒いので、酔狂亭でストーブをそばに置いての仕事となった。最も仕事と言っても世間様から見たら、ざけんなよ。と叱られそうな、ほとんどが非生産的な事ばかりだ。しかし何となく生きて行くのもコツが必要で、自慢するわけではないが、浪人の道を貫くのもなかなか大変なのである。まさか「狂言切腹」なども出来ないし、さあーて、どうすんべぇか、一杯飲んで考えるかな。ということの繰り返しである。T展社のF社長と似てきちゃうなぁー。困った、困った。

夜は、憂国の企業家松本社長のお誘いで関内の鮨と懐石料理の名店「舎利膳」へ。このお店は、関内でも評判の名店である。またここのオーナーと私は同じ横浜高校の出身。もちろん私が年上であり、いつも「先輩」と立てて頂き恐縮する。しかしながら浪人の身では頻繁に通えるようなお店ではないのが残念である。偶然に地元の有名な方お二人と会いご挨拶をさせて頂いた。お店に五分前に着いたらすでに松本社長と保守の論客として名高い岩田温先生が席を温めていてくれた。岩田先生のことをあまり知らない人のために、ウイキより転載させて頂く。

岩田 温(いわた あつし、1983年(昭和58年)9月10日 - )は日本の大学講師。拓殖大学日本文化研究所客員研究員、拓殖大学客員教授を経て、秀明大学専任講師を経て拓殖大学客員研究員。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了。専攻は政治哲学。特定非営利活動法人日本保守主義研究会代表理事。

という方である。私は岩田先生と酒席を共にするのは二度目。もちろん二回とも松本社長のお世話によるものである。岩田先生の博学に上品な肴と酒とが加わり、とても幸せな気持ちになる。二時間ほど飲んでから、今日中に大阪に帰ると言う岩田先生と別れて、松本社長と一軒転戦。その後に自宅に送って頂き帰宅。いい一日だった。写真は、舎利膳にて。

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振袖火事。

2016-01-21 12:09:17 | 日記
一月十九日(火)晴れ。

「雪の朝は乞食も洗濯」。という言葉がある。最も今では「乞食」が差別用語となるということで「裸で洗濯」と使われているらしい。この言葉の語源は、雪の翌日は裸で洗濯ができるほど暖かい晴天になりやすい。つまり勢力の強い低気圧の後には高気圧となり、晴天になりやすいという「台風一過」と同じような意味とのこと。

確かに天気は良いのだが、風が強く洗濯には適さないかもしれない。寒いと当然ながらストーブなどで暖をとる。ついうっかりと火の元を確認せずに、火事になると言うのがこの時期だ。マンションが多くなった都会では、隣近所に類焼するということが余りなくなった。もちろん消防の努力と発達も類焼を防いでいることは言うまでもない。歳時記を読んでいたら、一六五七年、明暦三年の昨日、火事が発生し、江戸の大半が焼失したとあった。

「八十日間の無降水記録を作った江戸の町は、からからに乾燥し、さながら江戸砂漠の状態を呈してた。しかも朝から北西の風が吹き荒れ、大火発生のお膳立てはすっかりできあがっているところへもってきて、二時をすぎたころ、本郷本妙寺から出火、たちまち湯島に延焼、夕方からの西風にあおられ浅草方面に燃えひろがり、翌十九日には小石川からまた出火、京橋方面に延焼、別の火の手が麹町にあかって山王、芝におよび、江戸の市中は一面の焼け野原となってしまった。死者十万人、江戸城を始め焼け尽くした屋敷八百余町、というスケールの大きな火事で、一名、振袖火事といわれるのは、浅草の商人大増屋の娘おきくが恋わずらいのあげくに死に、その棺に紫ちりめんの振袖をかけて本妙寺へ葬ったことに発する複雑な大火秘話があるからなのだ」

火消しの華やかな働き振りと、江戸っ子の喧嘩は威勢が良くて、それが江戸の見物(みもの)であるということから、「火事と喧嘩は江戸の華」という言葉があるが、上記のような大火の時はそんな言葉はシャレにならない。

午後は、「ギャオ」というPCの無料映画サイトで「一命」というものを見た。生活に困窮した武士が大名屋敷に押し掛けて切腹をする場所を借りるというもの。困った大名は、幾ばくかの金を渡して帰って貰う。これが「狂言切腹」として浪人に流行ったということを題材にしたものだが、中々良かった。武士や武士道などと言う言葉は今では死語となってしまったが、義務教育の中でしっかりと教えて貰いたいものだ。

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目が覚めたら銀世界。

2016-01-21 11:43:17 | 日記
一月十八日(月)雪のちに雨。

目を覚ますと家族が騒いでいる。何かと思ったら雪が積もっているとのこと。雨戸をあけると家の周りは一面の銀世界。どうやら夜中にどかっと雪が降ったらしい。我が家は高台にあるために少しでも雪が積もると出かけるのが難儀になる。私と違って真面目な家族は、バスが遅れると困ると言っていつもより十五分ほど早く自宅を出ていった。

昨年のこの時期ならば、家の裏の工場が更地だったので雪見の酒とシャレるのだが、今では利益至上主義の不動産屋と建売屋によって、我が家のギリギリまで家が建ち、日当たりは悪くなるは、景色を楽しむなんてことは出来なくなった。

ニュースは都心の雪の話題で持ちきりである。大変だなぁーと思っていたら、下の子供から電話があり、「横浜駅にいるが、駅や電車が混んでいて乗れないので戻ってくる」とのこと。もう十時近い。普段ならば自宅から横浜駅まで三十分もあれば行くのに、二時間半もかかっても東横線に乗れないらしい。都会の雪は、ある意味でテロより恐ろしいかもしれない。

夜は、寒いので錦糸町の「223」の特性キムチをたっぷり使って「キムチチゲ」と「豚肉のキムチ炒め」を作ってリハビリの酒。処方箋は久しぶりの「黒霧島」である。

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