井上しんごブログ

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真吾の福音書 大人になれなかったイエス

2022年06月17日 | 枝光地域

※父への手紙から

大人になれなかったイエス

イエスも、騒ぐ子どもを叱る弟子達を戒め、
 
子どもを何も分かってない無知なものと思っていないか、
 
それは違う、天国は彼ら(子ども)のようなものだ。
 
彼らのようにならなければ、決して天国には行けないと言っています。
 
それは価値判断のことを言っています。
同時に子どものようになることは、針の穴を通るぐらい難しいとも。
 
でも出来ないとは言ってません。
 
イエスは旅に出てから、死ぬまで、人間の罪を解くために説いてまわりました。
 
その罪は価値判断。
 
アダムとイブから始まった人間の罪をなきものとするために。
 
しかし、そのイエスを人間は、ある時は病気を癒す超能力者として、崇め(価値あるものとし)
 
しかし、最後は嘘うきの頭が狂った者(価値なき者)として磔にしました。
 
寿命は30才前半です。
 
イエスが死んだのも人間の罪、価値判断からでした。
 
2000年前でそれでした。
 
では今、イエスが生まれたとしたらどうでしょうか。
 
おそらく、子どもの時代に生きていけなるのではと思ってしまいます。
 
学校で友達、先生から価値なくものとして、いじめられて、自殺に追い込まれる。
 
または、親から価値なきものとして、虐待を受けて殺されています。
 
2000年前のように、30代まですらも生きていけなかったのではないか。
 
それが今です。
イエスが大人になれない世界。
 
ピュアで純粋なイエスが生きていけない、痛みの世界なのです。
 
それが現代なのではないでしょうか。
 
私達はそのことを理解し、この世の末に、イエスが天寿を全うできる世を作れるのか。この世の一人一人が試されてる。
 
出来なければ、ただ人の世は終わるだけです。
だから待ったなしなのです。
 
私が歌をつくれと矯正されているのも(後日は話します)、そうした世の末だからだと思います。
 
または父が地獄の淵から帰ってきたのも、私に哲学を伝えることを神が命じたらです。
 
父のこの価値を、ご両親や、世間がわかるでしょうか。父自身もそうなるまでわからなかったことです。
 
これは神の計画であり、アイデアなのです。
 
私の価値も家族や世間は分かりません。私にもです。
 
歌を作るなど私も分からなかった事です。
 
だから、価値判断というのは最大の罪になり得たのです。
 
価値判断しない生き方は、難しいですが、楽園への入り口ではないでしょうか。

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