※父への手紙から
大人になれなかったイエス
イエスも、騒ぐ子どもを叱る弟子達を戒め、
子どもを何も分かってない無知なものと思っていないか、
それは違う、天国は彼ら(子ども)のようなものだ。
彼らのようにならなければ、 決して天国には行けないと言っています。
それは価値判断のことを言っています。
同時に子どものようになることは、 針の穴を通るぐらい難しいとも。
でも出来ないとは言ってません。
イエスは旅に出てから、死ぬまで、 人間の罪を解くために説いてまわりました。
その罪は価値判断。
アダムとイブから始まった人間の罪をなきものとするために。
しかし、そのイエスを人間は、 ある時は病気を癒す超能力者として、崇め(価値あるものとし)
しかし、最後は嘘うきの頭が狂った者(価値なき者) として磔にしました。
寿命は30才前半です。
イエスが死んだのも人間の罪、価値判断からでした。
2000年前でそれでした。
では今、イエスが生まれたとしたらどうでしょうか。
おそらく、子どもの時代に生きていけなるのではと思ってしまいます。
学校で友達、先生から価値なくものとして、いじめられて、 自殺に追い込まれる。
または、親から価値なきものとして、 虐待を受けて殺されています。
2000年前のように、30代まですらも生きていけなかったのではないか。
それが今です。
イエスが大人になれない世界。
ピュアで純粋なイエスが生きていけない、痛みの世界なのです。
それが現代なのではないでしょうか。
私達はそのことを理解し、この世の末に、 イエスが天寿を全うできる世を作れるのか。この世の一人一人が試されてる。
出来なければ、ただ人の世は終わるだけです。
だから待ったなしなのです。
私が歌をつくれと矯正されているのも(後日は話します)、 そうした世の末だからだと思います。
または父が地獄の淵から帰ってきたのも、 私に哲学を伝えることを神が命じたらです。
父のこの価値を、ご両親や、世間がわかるでしょうか。 父自身もそうなるまでわからなかったことです。
これは神の計画であり、アイデアなのです。
私の価値も家族や世間は分かりません。私にもです。
歌を作るなど私も分からなかった事です。
だから、価値判断というのは最大の罪になり得たのです。
価値判断しない生き方は、難しいですが、 楽園への入り口ではないでしょうか。