神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

神足・リッテル・中村弥六

2023-12-05 19:01:53 | 勝記日記

 まだ10年にはならないが、コロナが蔓延する前、谷中霊園へ通ったことがある。その理由は、一つはヘルマン・リッテルの碑文(写真)を自分の目で読み取るため、もう一つは神足の同窓生・同僚の墓地を見るためだった。 

 ヘルマン・リッテルについては、リッテル・リットル・リッターなどでネット検索すると一応のことはわかる。しかし、きちんと知るには塚原徳道『明治化学の開拓者』(三省堂新書)に拠るのがよい。自分も塚原氏の研究を手掛かりにいろいろ調べ、『薬壺(やっこ)』(神奈川県薬剤師会会誌)に「ヘルマン・リッテル余聞」と題して2018年11・12月号から19年9・10月号まで6回連載で書く機会を得た。しかし、これはネットで公開されていないので、国会図書館とか、大きな図書館・薬剤師会に行かないと見られない。やや不便なので、後日、機会をみて内容紹介をしたいと考えている。なお、リッテルというと谷中の碑が有名だが、この碑文自体の検討が必要と思う。また、リッテルの墓地は横浜外人墓地18区15にある。

 前後したが、リッテルは明治7年12月25日天然痘に罹りなくなる。谷中のこの碑は翌8年10月10日落成した。

 つぎに神足の関係では、手元のメモに田寺鐘一・佐藤三吉・板屋久三郎・服部正光・川崎近義・中村弥六・松原新之助の名がある。田寺・板屋は在学中に死亡。田寺については甲3号2側に立派な碑(写真)がある。服部と川崎はまだ不明。松原は水産技師として帝室林野管理局の嘱託にもなり1916年2月に死亡。佐藤は、神足勝浩の母静子の手術をした医師で、『佐藤三吉先生傳』(非買品)がある。

 中村弥六(写真)については『林業回顧録』(大日本山林会)や『中村弥六物語』(森下正夫、高遠町図書館、1997年)があり、ご存じのかたも多いと思われるが、2著で触れられていない神足との関係の最初のところに限って少し書いておきたい。

 明治6年から書き始められた神足の日記を見ると、神足と中村はまだ互いに行き来する関係になかった。最初に出て来るのは皆で王子に行った際の椿事としてである。

 「6年3月1日 晴 休日 朝8時頃より、川村〔圭三〕・関〔澄三〕・安東〔清人〕・村岡〔範為馳〕・和田〔維四郎〕・橋爪〔源太郎〕・小木〔貞正:加賀乙彦の祖父〕・松崎〔廉〕・大塚〔義一郎〕・高橋三郎・大前〔信太郎〕・中村〔弥六〕と共に王子に遠行し、扇谷に於て午食し、快談放言。豪胆なる中村、能く飲み、克く食ふ。帰路、中村、酒酔の為め歩行に艱み、中途より人力車に乗り、小木、衛りて帰舎す。中村、途中帽子を落す。余等大に驚く。・・・」

 中村の気質がよくわかる一場面だが、神足との関係はまだなにもない。その後も明治6年は一度も出てこない。翌年1月30日に神足が渡辺廉吉を訪ねて行くと、そこに中村も来ていた。しかし、それだけである。変わるのはその後である。

 このころ、神足たちが所属した鉱山学科(ドイツ語)は廃止が決まって、学生は化学・医学・英語へと転科ないし退学をせまられた。そこで神足は「もとより余が目度とする処の者は測量科なるか故に、今更に之を変して他科に従事するの意なく、如何にもして初望を達せんと欲す。よりて退校と決す」と決めて、翌年10月15日には学舎を離れ、下宿生活を始める。

 神足は熊本へ帰郷の気持ちもあったようだが、友人・知人・先輩たちと身の振り方を相談しつつ滞京していた。その中で、12月13日、きっかけは不明だが、中村を訪う。ここから行き来が始まる。決定的なのはリッテルの命日の12月25日である。

 「12月25日 晴 午前九時比、中村氏来る。・・・十時前より中村氏と同道、谷中天王寺に到り、先師リッテル氏一週年に付、倶に花木を捧け掃除して、十一時過雁鍋に到り午餐す。中村氏と対座談。当世の言に及ひ慷慨歎息す。論大に合す。奇なる哉、在校中幾んと三歳の久を経ると雖とも、未た一回も熟論せさるか故か、互に意を合するを悟らざりき。悔ゆへし々々。近日の鬱屈忽ち霰れて、正気堂々たるの本心に回るを得たり。・・・。

 ここから神足と中村の交わりが本格的となった。この後は『御料局測量課長 神足勝記日記』(日本林業調査会(J-FIC))に残したのでご覧いただきたい。

 昭和4年7月10日、中村の訃報を受け取った神足は、「氏は同窓中最も懇親にして、倶に国事に悲憤慷慨せる知友なりし。嗟々」と悼んでいる。

 最後に一言。中村が皇室財産の設定で提言したことがしばしば取り上げられるが、その後の選定委員としての役割ほか、具体的にはまだ何もわかっていない。提言したとか委員だったという状況証拠だけでは何も言わないのと同じなのだと思う。

 

 

 


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