目に見えて夏が輝きを失っていった。
大雨が降り注ぎ、台風が何度も樹々を大きく揺らして通り過ぎ、次に地震が北の大地を大きく揺らした。
被害に遭われた方々に心からお見舞いを申し上げる。
ここ、北信州は台風の影響があった。主に農家の果樹が被害を受けた。
収穫直前のリンゴが落ちたり傷付いたりした。
気温も一気に下がった。
夜、庭に出ると秋の虫が鳴いてしみじみとした気分になる。
* * * * *
八月の終わり、かねてから計画していた那須高原への旅をした。
かみさんは那須高原にいわむらかずお絵本美術館があることを知り、連れて行ってくれと数年前から言っていた。
それなら、ついでに那須岳に登ろうと企画した。僕としては日本百名山の那須岳が目的で、美術館の方がついでなのだ。
いわむらかずおの絵本は我が家の子供たちが小さい頃たくさん読んだ。14匹シリーズなどは僕も好きだ。
美術館は小高い丘の上にあった。館内は撮影禁止なので割愛するが、とても懐かしくほっこりする空間だった。
那須高原の鹿の湯近くの民宿で2泊。
民宿の内湯もよかったが、近くに無料で入れる滝の湯と割引で半額の200円で入れる鹿の湯がある。
まずは滝の湯に出かけた。泉質は草津温泉と同じような硫黄系。鄙びた感じの建物もここちよい。
部屋はかなり古びていたが食事はとてもおいしかった。
特にごはんが特筆もので、聞けば会津の方から取り寄せている自慢のコメだという。
この日、何度も温泉に行った。
翌日、那須岳に登った。
かみさんは膝を痛めていてロープウェイで登るという。
一番近くの茶臼岳までが目標だ。
僕は茶臼、朝日、三本槍の三山縦走が那須岳を登ったという条件だと思っているので単独でピストンする。
曇り空だが、夜来の雨は止んでまずまずの天気。
ガスが流れる。
岳1,915mの山頂には那須神社があった。
那須火山帯というのは富士山までも含む広大な火山帯だと中学校で習った。ここがその中心なのだと改めて思った。
かみさんと別れて朝日岳へと足を踏み出す。
茶臼の岩だらけの路を降ると避難小屋が見えた。
ここは、下山路が分岐する交差点。たくさんのパーティが休んでいた。
先の方へ道が細く続いていた。それを見るとどうしてもその先へ行ってみたくなる。
短い挨拶を交わして素通り。
朝日岳へは脇へ逸れて往復する。
清水平は木道が設置されていてさながら尾瀬のよう。多分花の時期には見事なのだろう。
三本槍の名前からなんとなく槍の穂先のようなものが三本あるのだろうと思っていた。
何のことはない。たおやかな草原のような山頂だった。名前の由来は江戸時代に三つの藩が山頂に槍を立て、領地を決めたことから来ているという。
標高1,917mは毎年元日に登る飯綱山と同じだ。
日本百名山は特に完登を目指しているわけではないが、機会があれば登ってみたいと思っている。
信州には百名山に含まれる山がたくさんあり、何回も登っているが、県外はほとんど登っていない。
東北の山、関東の山あたりが手が届く範囲。
それでも百名山に選ばれた以上素晴らしい山ではあるのだろう。いつかは本州の山だけでも登ってみよう。
来た道を戻る途中、清水平あたりで雨になった。
それでも三山縦走がかなったことで満足だ。
かみさんの待つロープウェイ山頂駅には12時20分頃に着いた。3時間20分の短い山旅だった。
午後の残った時間、那須高原に来る途中で見つけた藤城清治美術館に行ってみることにした。
切絵の大家で、この地に美術館があることは知らなかった。
藤城清治さんもいわむらかずおさんもかなり高齢だが、今なお失わない創作意欲には脱帽。
この日の夕食もうまかった。
朝食も満点。
鹿の湯は6個に湯船が分かれていた。
41度、42度、43度、44度、46度、48度。
粋であることを何よりも大事に思い、バカなやせ我慢を好み、負けず嫌いな僕は46度、48度の湯船に入った。入る人は一人二人しかいなかった。
入ろうとすると、湯が揺れると熱いから後にしてくれと爺さんが言う。
そんならやせ我慢してそんなところに入るな、と心の中で言う。
野沢温泉の熱湯とどっこいどっこいだなと思う。
山と温泉が堪能できたこの旅は、この日本列島が災害列島の本性を現す数日前のことだ。
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