本日は4月のそば会。
色々重なり参加者は3人。
3人なら自分も打てる。
そば粉は『縄文』。
2人は二八で打ちたいという。
もうかなりうまく打てる人たちなので十割で打ってみないかと勧めた。
だが、まだ早い、自信がないという。
そこで今回は自分が十割そばを打つことにした。
2人が打った二八と食べ比べてもらうために、1人前ずつ持って帰ってもらった。
『茹で時間は10~15秒。決して茹で過ぎないように!水で冷やした後氷水で締めて腰を出すように。十割は繊細なので雑に扱わないように。茹でたらすぐにたっべる様に。』
細かい注文を出した。
夜、自宅で十割そばを手繰った。(そばをたぐるという表現は粋だな)
人にあげた蕎麦がどんなものか確かめる必要があるからね。
問題なくうまかった。
多分、その辺のそば屋では味わえない。
コシがしっかりとある。
濃厚なそばの香りがある。
家人にも好評だ。
これで不味かったらそれは茹で方の問題。俺の責任ではないからね。
たかが十割。
湯捏ねをすれば簡単に繋がる。
それでは職人の矜持が許さない。
あくまで水捏ねの生一本。
それがそば打ちの心意気というものだ。
されど十割。
簡単に言えばそば打ちの自己満足に過ぎないが、打つにはそれなりの技量が試される。そば打ちには果てしない長い道のりがあるが、一つの到達点でもある。
脳科学者、中野信子さんによれば『脳は多少のリスクのある選択をした方が喜ぶ』という。
繋がらないかもしれない、失敗するのが怖い、『これまで通り安全な二八で』はもう卒業する時期だ。
失敗しよう、取り返しの効く範囲で。前に進もう。春なのだから。
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