NPO法人 地域福祉協会

清掃事業  森林事業(植栽・剪定)

Tracey Thorn - Plain Sailing

2017-08-17 | 音楽
Tracey Thorn - Plain Sailing

国家と宗教についての序説。

2017-08-17 | コラム
チンギス・ハンの宗教政策が
いまのところ
最も理想的であろう。

すなわち
国教という形で
一定の宗教を優遇せず

宗教は
すべて自由としたのである。

明治政府は
にわかに出来(しゅったい)した国家神道のなかで
招魂社を改編して靖国神社としたが

その実は
戦勝祈願を主とした神社であり
かっての八幡神社の如き役割を担った。

その観点でいえば
すでに八幡大菩薩の神社は存在するのであり

今現在
みんなで靖国神社に参拝する
客観的意義はない。

そもそも
昭和天皇も現平成天皇も

終戦の日に
靖国神社に参拝されない。

それは
戦犯が合祀されているという事実だけでなく

おそらく
純粋に戦没者を追悼、慰霊するならば

沖縄やペリリュー島や
広島、長崎に行って
渾身の祈りを捧げたほうが良いという

当たり前の認識に基づいた行いであるとご推察する。


終戦の日に
神社、仏閣、教会、シナゴーグ、モスクで
個人的に祈りを捧げることは自由である。


しかし
公僕たる政治家や行政官が

一定の宗教法人を優遇し
公式参拝などというそれ自身意味不明な愚行を為すならば

やはり
東アジアにおいて
日本は孤立し
その稚拙なナショナリズムが嘲笑され
逆にまんまと政治的、経済的駆け引きに利用されるのである。


今現在も
この国に
偏頗な国粋主義やナショナリズム
すなわち近代が反カトリック的な意味で導出した誤謬
が残存し
残滓が生きながらえている事実は

明治以降の日本指導層が
その知的レベルにおいて
全く進歩していないことを表している。


そろそろ
右翼や左翼の偏頗なイデオロギーの
フレームワークから脱却して

純粋に国家と宗教の関係性を
探究するときである。


高橋記(研究テーマ:日本の近代史その愚鈍な歩み)






CHOPIN: Etude in E major, op. 10 no. 3

2017-08-17 | 音楽
CHOPIN: Etude in E major, op. 10 no. 3 "Tristesse"