DAVID BOWIEが1月10日に肝臓がんで亡くなった。
すぐには信じられなかった。
私にとってボウイはスターと言うよりアイコンだったから、
生身の人間だという実感がずっとなかった。
彼がジギー・スターダストとしてスターになった
70年代のグラム・ロック・シーンは
さすがに私もリアタイで経験できなかった。
意識したのはベルリン3部作あたりで、その頃私は
ニューウェイブで元気なイギリスの音楽シーン沼に落ちていた。
ボウイのその頃の曲は知的で芸術的だったけど少し退屈だった。
70年代も終わる頃、ボウイ初の主演映画「地球に落ちて来た男」を見た。
痩せて神秘的で美しいボウイは特殊メークなしでも人類に見えなかった。
映画で彼に恋した人間の女性(美人で華奢です)が、
たおれたトーマス(ボウイ)をお姫様だっこするシーンがあって、
彼女に自然にすごく感情移入してしまった。
以降、ボウイは私のアイコンになった。
そして初期のグラム・ロックに遡ってベルリン以前の曲を聞いた。
感じたのは、周囲のメジャーな流れにとけ込めない孤独だったと思う。
ところが、もう少し後になって、
よりによってニューウィブのおかげかロックもファッション化した。
80年代はじめに新宿のクラブ「ツバキハウス」の「ロンドンナイト」
で話したオシャレな男子がボウイを好きだと言うので
少し突っ込んで話したかったのに彼はボウイなんてほとんど知らなかった。
皮肉にもそのころボウイのヒット曲にも「ファッション」というのがあり
批判してたのは服装だけじゃなくて流れに従う態度みたいなものだったな。
その曲が含まれていたアルバムでボウイは過去のジギーとしての
スターを自ら葬ってしまい、個人的にはそれは寂しかった。
ボウイの訃報に、アイコンだったころの数曲が頭をめぐったけれども
亡くなったのはアイコンではなくひとりの人間なのだから
過去の曲を懐かしんで悲しみに耽るのは違う気がした。
そこで亡くなる2日前に発売された「BLACKSTAR」買って聞いた。
デジタルで買ったのでミュージックビデオもついてきたけど
見る前に聞いてよかった。
ボウイのヴィジュアルから入って音楽を好きになったのだけど、
初めて音楽を聞いて自分の頭の中に広がる世界の方がビデオよりよかった。
アイコンとしての自分を捨て去ったボウイだけども
新作からはそのアイコンも生身の人間ディヴィッドも感じられた。
そんなことを言われていたのにも気がつかないくらい、興味をなくしてました。
ティン・マシーンの音楽にはひかれなかったのが大きいかなあ。
でもミュージシャンの歴史の中には、自分と感性があわない時期もありますよね。
最新作にまた改めて作品に感動することができて、あれはそういう断片だったと
思えました。
<<闘病生活の気配も感じさせない
まったくです。
2、3年前にイギリスのTVのインタビューで男性アナウンサーに
「ほんとにずっときれいでお若いですね」と言われていたことが印象深かったです。
どうもありがとうございます^^
BowieとBen・・・
意識してませんでしたがアンドロジナスという共通項が?!
<<美しいようで気味が悪い、そしてかわいらしいくて醜いというような私にとってのBowieの存在を最近はベン・ウイショーの中に見る
私にとってボウイは美しい生き物だとずっと思ってましたが、
普通の美男子の基準から見たら傷ついたヒヨコのような不思議な容姿かも。
ベン・ウィショーはおっしゃるとおり完璧ではなく
ものすごく引きつけられるけどちょっとした瞬間に変な顔だったり
それを確認したくて視線をそらせないのです。
ふたりとも、醜い部分もさらけ出して全力でパフォーマンスしますよね。
でも肉眼で見たウィショーさんは、それはキラキラして美しかったですよ!
<<突然この世からいなくなってしまわないで欲しい
いなくなりそうだから、目が離せないのですよね?!
ふと別の次元に行ってしまいそうなんですもん!
実は私も、ブログを書くのにはボウイの最新作を聞かずには書けないので
聞いたものの、書いてからは、聞くと悲しい気持ちがこみ上げて来るし
全身全霊で聞かないとすまないような気がして
心に余裕ができるまでもう少し待って欲しい、という感じです。
<<自分の思う道を自信を持って歩きたい
英国にしても映画にしても私よりはるかに知識や情報がある方が大勢いらっしゃるのにブログを書くにあたり、自分の体験や感想を正直に書くしか、書く意味がないかなと、オリジナルになるには結局自分の中身を出さなくてはいけないのね・・・と単なるブロガーでもそうなりたいと思います。自信はないけど^^;
今後もよろしくお願いします。