Sofia and Freya @goo

イギリス映画&ドラマ、英語と異文化(国際結婚の家族の話)、昔いたファッション業界のことなど雑多なほぼ日記

コリン・デクスター

2019-05-19 14:14:00 | モース&ショーン・エヴァンズ
前の記事に書いたように、モース原作本を読んだので原作者のコリン・デクスターについてちょっと調べました。

と言ってもWikiなどをウロウロしただけ。

それでも作者がモースという主人公に自分を重ねたことがわかり面白い(そして膨らむ妄想!)ので、日本語のデクスター資料は探しにくいことだし書いておきます。


まず、デクスターの父親は小さな自動車修理工場とタクシー会社を経営していたとのこと。モースの父親はタクシードライバーだったことにリンクします。

(そういえばモースのドラマにはよく自動車修理工場や中古車店が出てくるような)

英語ではsmall garage and taxi companyなんですが、garageは車庫の意味だけでなく修理工場やはたまたガソリンスタンドまでの意味があり、タクシー経営をしていたとなると少なくとも修理工場もやっていた、smallと言ってもある程度の規模が考えられます。

コリンにはお兄さんがいて、古典学者となりグラマースクール(進学中高)で先生をしていたので、教育熱心な家庭だったようですね。

当のコリンは中学で奨学生の資格を得、16世紀からの歴史のあるその地方で名門の私立校スタンフォード・スクールへ進学します。



こんな荘厳な校舎で絵に描いたような御坊ちゃまに囲まれて、ガレージ屋の息子デクスターは幸せだったのか。

きっとよく少女漫画に出てくるチビで赤ら顔で上の写真に出てくるようなブロンドの金持ち息子にいじめられてたんじゃ。。。(妄想)

それはともかく勉学には励み、ケンブリッジ大で古典学を専攻することになります。

そして彼は大学の前に、王立陸軍通信部隊で兵役(当時まだイギリスは徴兵制度)を務めます!これもモースと同じ!!

そういえば、若モースが射撃の腕をブライトさんに褒められて、モースは軍で経験したからと答えたらサーズデーが「おまえは通信だったよな」ってつぶやいてましたが、日本語字幕にはそれが出てませんでした。なんで?

下のマーキュリーがかわいい紋は、その通信部隊のもの。マーキュリーは神々のメッセンジャー。

    

ケンブリッジでマスターの学位を取りながらレスターのグラマースクールで古典教師アシスタントの職につきました。(1954年)

その後いくつかのグラマースクールで教職を続け、もうアシスタントではなく1959年にseniorの古典教師となります。seniorは長ではないけど平より上位。微妙(笑)1956年にはご結婚も。

ところが!順調に行けば古典教師長に・・・というコースを阻む事態が?!

1966年、難聴を患い教職を断念せねばならなくなりました。あああ、お勉強だけが取り柄だったのに・・・(いえ、クロスワードも得意だけど!)

しかし人生とは奇なるもの。これが原因で転職した先が、オックスフォード試験委員会の上級補佐秘書官/senior assistant secretary というわけのわからない地位の職!

この際役職はわからなくても、ここで彼はモースシリーズが売れて1988年に退職するまで勤務しオックスフォードに住み続けるのです。

ちなみに、その勤務先があったのはバンバリー・ロード沿いで1995年に廃止されましたが、「森を抜ける道」でモースがスナップ写真の背景から事件現場を割り出した先のパーク・タウンという道はその地区にあります。試験委員会22年間の勤務の間に、オックスフォードの街を、その郊外を、デクスターは歩きまわったのでしょうね。

彼が難聴にならなかったら、モースは生まれてなかった!

ところで、最初のモース小説は1975年に初出版されます。

1987年からドラマが始まった主任モースの物語が、話が何年から始まった設定かわからないんですけど、

若モースの物語では、シリーズ6は1969年。

・・・あとたったの6年でショーン・エヴァンズのエンデヴァーがジョン・ソーに生まれ変わるはずもなく、やっぱり主任モースは1987年からの姿、と考えるのが平和ですね。








モース原作「森を抜ける道」

2019-05-18 10:39:00 | モース&ショーン・エヴァンズ
今月で契約が終了となる今の仕事のいいところのひとつは、フロントデスク(よくホテルのレセプションで待機しているスタッフをイメージしていただければ)でヒマがあったことです。

そこにいることが仕事で、ゲストが来ない時は事務をやっていますが、まったりヒマな時もあります。

そこにはPCという、ヒマな時には格好のオモチャとなりしかも訪れるゲストにはさも仕事で忙しそうに見せる装置があり、

最近の私の午後の楽しみはグーグルヴューでオックスフォードをウロウロすることでした。

PC地図を眺めていて思い出したのが、モースシリーズの原作小説によく地図が載っていたことです。

つまり、小説中、登場人物が移動する道や道順が事細かに書かれている・・・ということを思い出し(過去に何冊が読んだ)、ツンドクと化していた中からまた1冊読んでみました。



これはタイトル通りワイタム/Wythamブレニム/Blenheimが事件の要所に出てくる話です。

しかしふたつの森は広大で、ここを犯行の舞台にして場所の詳細をリアルに書くとなると、土地勘がもともとあった上でさらに調べてからでないとできない技。

森となるとグーグルマップもあまり入れない領域で、車が通れるところはストリートヴューで見られるので、作中何度もモースとルイスが入った森の入り口のパブなども見られてオタクファンには嬉しいですが、

1992年出版ですので、著者コリン・デクスターも当時それはできない。笑

オックスフォードに1966年から住んで本作は90年代初めの発表ですのでよほど土地を熟知していたと思われます。

本を読みながらモースのたどるオックスフォード市街の道から森周辺をストリートビューで見るという読み方をしたので、ただでさえ読むのが遅い私の読書、しかも謎が謎を呼ぶモースの物語、1冊読んでぐったり。。。したけどおもしろかった!

モースの長編小説は全13冊あり、これは10冊目。

本作で、事件が起きたら死体を調べる病理学者のマックスが亡くなり、モースは数少ない友人の死に涙し、彼の部下だったローズが登場、マックスの仕事を引き継ぎます。この時のモースの胸の高鳴りとローズもモースに惹かれていた描写に、

すでにドラマ「ルイス」を見たファンとしては感動とともに複雑な心境。

話自体は、モースの文学趣味が私には行き過ぎたプロットでちょっと鼻白んだり、殺人があるともれなく付いてくる金と情欲、特に若くてキレイなスウェーデン美人の心境の描写が、21世紀#MeToo以降に読むと、男性視点だなあ!と何度も思いました。

そのスウェーデン美人やローズを見るモースのいやらしい思考も、ドラマのジョン・ソーだけを知ってると想像もつかないのですが、

はたと、これを立場を逆に自分に変えてみたら、主任モースはちと好みではないけれど、他のイケメンキャストを見る自分の視線か!と思ってみればいたしかたないかなと、思うことは自由だよ、とモースを許します。

実は思うだけでなく、ちらっと美人の膝が触れたことを「偶然ではないと思いたい」思い込み激しい系だったり、ローズと何やら良い感じになる行動派のモースなんですが、これは相手と合意のもとなのだからこれもいたしかたない。

でもこの経緯を知って、のちに「ルイス」でのルイスとローズの関係がものすご〜〜〜く時間がかかったことにすごく納得がいきました!


主任モースの若い頃、みんな若い!左からモース、ルイス、コリン 1980年代と思われ。


2006年〜のルイスとハサウェイと。


2012年〜の若モースと。




ホワイト・クロウ2回目

2019-05-15 00:00:00 | その他の映画・ドラマ・舞台


2回目見てきました。

スゴイ、2回目でも全然良さが損なわれません。

バレエシーンの良さは相変わらず、踊りが見たい人が見たいように撮ってくれてるのだと思います。

パンフを買って読んだら、プロデューサーのガブリエル・ターナも若いころにバレエをやっていて、ファンティーンとヌレエフに会ったこともあるのだそうです。

監督のレイフ・ファインズはバレエには詳しくなかったそうですが、キーロフのバレエ学校とか朝のエルミタージュ美術館とかソ連の、そしてパリのオペラ座なども、ああ、これがあの!と言いたくなるような、美しさとリアルさを兼ね備えた絵を切り取ってバーーーン!と見せてくれるので、バレエシーンも同じなのでしょうね。フレエフがいる風景を見るだけで彼の感動が伝わるように涙が出てしまいました。

ところで1回目でも気づいたことは気づきましたが、バレエやストーリーに目がいって忘れてたことが・・・

それはソ連時代のドイツ人ダンサー、テヤ。

ヌレエフのステージを動画に収め、一緒に見てたひとです。

パリ公演の時に、ホテルでポルーニン演じるユーリが同室だったので、ソ連時代にもダンサーは寮で二人部屋だったのかな?と思ってたのですが、

今日改めてテヤが白いパンツ姿でヌレエフがシーツに包まれてベッドにいる部屋を見たら、ベッドは一つしかない。ということは、壁にロダンの彫刻のような筋肉隆々の男性の絵が貼ってあったので、あれはヌレエフの趣味だよな、とも思ったので、

あの部屋は二人の部屋なんではなく、ヌレエフひとりの部屋で、

彼らは「話しなきゃならないなら友達やめる!」って会話してましたが、その友達ってのは肉体関係もある友達なんだって今日思いました。

パリでもユーリがゴロンと一糸まとわぬ姿でベッドに横たわっていて、その彼を後ろに意識しながら窓の外を眺めるフレエフが印象的だった。ユーリとそういう関係があったかは謎ですが。

バレエだから男性の裸体がゴロゴロとしていても違和感なかったのですが、やはり、美しいユーリの身体といい、美術館での鑑賞といい、ヌレエフの視線の先には美しい男性の身体が。

そうか・・・それで私はこの映画がこんなに好きなのかも。

そしてパリ最後の夜に、ゲンズブールの歌でダンスするカップルたちの中に、女女の組み合わせと男男の組み合わせもいましたが、あれは誰だったのか、暗くてよくわからなかったのですが、あれを見たものヌレエフは西側の自由さをいっそう確信した一因だったのでしょう。








COLIN意味と漢字

2019-05-14 14:46:00 | コリン・モーガン
コリン/Colinってどういう意味かな?とちょっと気になり調べてみました。

アイルランドの名前を解説するページには

The name Colin is pronounced “koh-lin” in Ireland. It comes from the native Irish or Gaelic word “Cailean” or “Coileáin”, meaning “whelp”, “cub”, or “young pup”. So if you know a Colin, tell him Ireland says to grow up!

アイルランドでは「コーリン」と発音します。アイルランド語やゲール語のCaileanとかCoileainから派生しており、「子犬/オオカミの仔」「肉食動物の仔」「子犬」の意。ですのでコリンという人を知っていたら、アイルランドに『大人になれ』と言われてるよと伝えましょう。


とまあ、このように。

フンフン、イメージぴったり、コリン仔犬説、なっとく〜〜〜〜

それでね、英語の意味の「whelp」なんですけど、仔犬やオオカミの仔の他にドラゴンの子供という意味もあり、ググるとわ〜〜〜っとまず仔ドラゴンが出てくるんですよ!

こんなのです。なんともマーリン。


それでその意味を踏まえて「コリン」を漢字にしたらと思いついたんですけど、

「コ」は間違いなく

「リン」は想像上の動物、麒麟の

がイメージかなあって。

で麒麟はもともと中国が原産地で、聖人が登場する前に現れる伝説の動物だそうで、英語訳はユニコーン、またはアルファベット表記だとQirin/Kirinで、これもググると


画像はコチラからお借りしました

とこのような画像が出てくるんです!

ということでColinの漢字表記は「仔麟」で決定ということでよろしいでしょうか。笑

一口にColinと言っても、コリン・ファース、コリン・ファレルと人気俳優や私の義理のお父さんもColinなんですけど、意味からいうと、コリン・モーガンが一番コリンとしての人生を全う中ですね。

ホワイト・クロウ

2019-05-12 20:34:00 | その他の映画・ドラマ・舞台


ルドルフ・ヌレエフの伝記映画「ホワイト・クロウ」を見ました。

ヌレエフとは、ソビエト連邦時代に西側に亡命した伝説のバレエダンサーです。

私がその存在を初めて知ったのは「バレンチノ」という映画で主演していた俳優としてでした。

その後ロンドンはコベントガーデンのオペラハウスでヌレエフの写真パネルを見たんです。もう目が釘付けになってしまいまして。そしてヌレエフの写真集を買ったり調べたりしました。

パリで亡命するもイギリスのロイヤルバレエで当時プリンシパルだった(時代的な言い方をすると文字通りプリマドンナだった)マーゴット・フォンティーンとパートナーを組み、絶大なる人気を誇りアメリカや日本にも公演で訪れた。

彼は「野獣のような」とよく言われ、フォンティーンは逆に上品で本当にプリンセスのようなバレリーナ、しかもパートナーを組んだ時は実は彼女はもう引退を囁かれていたピークを過ぎたと思われていたタイミングだった。

ところがふたりのケミストリーはそれぞれに良い効果となって表れた。このことは映画の中でもオペラ座のベテラン女性ダンサーが言っていた。

「若い男性ダンサー上手く見えるし、年上の女性ダンサーは若く見えるもの。」

その後パリオペラ座バレエ団の芸術監督にもなり、監督しながらも自ら踊り続け、古典の新解釈版も発表。エイズにて没。


とまあざっとこんな程度の知識でした。

そして映画「ホワイト・クロウ」。こちらは、パリで亡命するまでのヌレエフの半生を描いた物語ということで、

そうです、冷戦の時代に西側に来てからの功績は私でも簡単にある程度は知れるくらいになっているけれど、知られざるソ連時代のヌレエフを知ることができる映画です。

つい最近、セルゲイ・ポルーニンの伝記映画も見たところですが、彼も脇役で出演しています。が!ほとんどヌレエフの同級生で寮で同室、ということ以外まったくスポットライトを浴びない役だったんですよ!思い出すと「くるみ割り人形」でもセルゲイの無駄使い!!と私は憤ったんですけど、再び。なぜなの???

で、セルゲイとは時代が違いますけれども、やはりヌレエフも貧しい家庭の出身で、バレエ界に入る=家族と離れ離れ、の図式です。

おそらくソ連時代の一般市民はみんな貧しかったと思われ。。。なんてたって農奴の国ですから。。。

それでキーロフのバレエ団員になっても反抗心の強いヌレエフを諭す時に、当局の監視員が

「君の行いは他の団員や故郷の家族にも影響するよ」って日本の学校の「みんなに迷惑がかかるよ」みたいに言うんですわ!ああ、もうやっぱ日本ってソ連並みの全体主義だわ!と思った瞬間でした。

話を元に戻すと、映画の見どころは、バレエです。

ヌレエフの話を辿りながら、ソ連時代のバレエクラスが大変面白かったです。

お恥ずかしくも、私はロンドン時代にバレエ教室に通い始め、日本に帰ってきてからはワガノワ式のバレエ教室に行き通算9年くらいレッスンの経験がありますので、

キーロフのバレエ学校(確かマンガの「アラベスク」もそうでしたよね?)でのレッスンシーンで

レイフ・ファインズ演じるプーシキン先生が「ではご挨拶から」とピアニストを促し、ピアノに合わせてレベランスから入る美しさ。豪華さ。そしてそれをよ〜く見えるように映したレイフ監督偉い!

「デミプリエ2回とグランプリエ1回ずつ」と先生が言って見目麗しいメイルダンサーたちが一斉にバーレッスンをする様子を見ただけで胸が高鳴ってしまいました。ううう、一流の人たちも私が通ったレッスンと同じことしてる興奮よ。

そして昔のソ連のレッスン着が白いTシャツに黒のタイツとソックス、というのにも萌えます。

はい、レッスンだけで萌えの固まりなんですよ。


それとフレエフ役のダンサー、オルグ・イヴェンコが写真を見たときにはヌレエフと全然違うと思ったのに、映像になるとフッとそっくりに見える時があるんですね。それもなんだかヌレエフがのりうつったような気がしてどきっとしました。

見栄えで言えばポルーニンが演じた金髪のダンサー、ユーリの方が、「きゃっ!ミノロフ先生!」(アラベスク)って感じで華やかですが、ヌレエフは野獣ですから仕方ない。


そして生意気ヌレエフがご指名したプーシキン先生は、物腰の柔らかい穏やかな人物で、スパルタ式とは反対に、生徒を内面から育てるタイプでした。野獣が生徒ですから、先生も力で押さえつけては逆効果なのですね。。。

それはわかるのだけれど、プーシキン先生は怪我をしたフレエフを自宅に住まわせたりしてご贔屓にしたのに、その後奥さんがしゃしゃり出てきてなんだかプーシキン先生はただのふがいない男に見えてきてしまったのが残念でなりません。

他のキャスティング、ロシア人のダンサーたちも昔のバレエの人たちってイメージ通りで美しかったし、

脚本がディヴィッド・ヘアーということで、ヌレエフの幼少時代、キーロフのバレエ生徒時代、今のバレエ団員になった時代を織り交ぜて、全てが絡み合いながら亡命の瞬間までシュッと回収される圧巻さがありました。

見たのが2日前なんですが、昨日、今日と職場で誰もいない時に

「トンベ、パドブレ」「アッサンブレ」と一人久々にジタバタやってみてました。