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バナッハ-タルスキーの定理が意味するもの

2015-05-13 11:16:21 | 心身宇宙論

バナッハ-タルスキーの定理(面倒なので以下、B-T)は、現代数学が生み出した最も奇怪な定理の1つである。現代数学の定理の多くは、その分野のかなりの知識がないと何を言っているのかサッパリわからないものも多いが、B-Tの場合、それが述べていることは小学生でも理解できるほど平易なものだ。その定理とは

「大きさの異なる球体KとLがある時、Kを適当に有限個に分割し、それを同じ形のまま適当に寄せ集めるとLを作ることができる」

というもの。

この定理によって、例えば半径10の球体を適当に何個かに分割して寄せ集めると、それぞれのピースは元の形のままなのに半径0.01や半径10000の球体が作れてしまう、ということになる。この奇怪さがおわかりいただけるだろうか。

ちなみにこの定理、一見すると空間図形の幾何学的な性質を述べたもののように思えるが、実は集合論と代数学の定理なのだ。

『バナッハ・タルスキーのパラドックス』は、このB-Tについて一般向けに書かれた、優れた解説書である。この本ではB-Tについて、その背景と、そこから見えてくる現在数学が探求しているものの姿が、非常にわかりやすく書かれていて、これ自体が現代数学の入門書にもなっている。

ところで、この本にはB-Tに対するこんな反証が出てくる。

「球体Kをn個に分割して、それを寄せ集めて別の球体Lを作った時、Kの体積は分割されたn個のパーツの体積の和だから、そのn個のパーツが構成する球体Lの体積はKのそれに等しい。
ところが球体KとLは大きさが異なるから、バナッハ-タルスキーの定理が成り立つなら大きさの異なる球体が同じ体積を持つことになり矛盾。よって、この定理は成立しない」

この反証、どこに誤りがあるかわかるだろうか。私は明確にそれを指摘することができなかったが、このブログ記事のテーマとなる部分なので、ここでゼヒ考えてみてほしい。

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さて、答えは出たかな。

古来、人はさまざまなものの面積や体積を求めてきた。その集大成とも言えるものが積分法だ。ところが、実は近代になるまで面積や体積といったものが明確に定義されることはなかった。それを初めて明確に定義することを試みたのがジョルダンで、それを測度論という。そして、ルベーグはそのジョルダンの測度論を更に発展させて、ルベーグ積分を構築した(注1)

測度論そのものは、我々が普通に面積、体積という時の、素朴なイメージから出発している。しかし、それを数学的に抽象化して定義したものが、結果としてB-Tという怪物のような定理を造り出してしまったのだ。

測度論に限らず数学の定義や公理は全てそうなのだが、現実に存在するものをモデルにして作られている。ところが、そこからしばしば怪物的なもの、病的なものが生まれてきてしまう。

それには次の可能性が考えられる。

1.自然に存在する現象そのものに、もともと想像を超えた怪物的なもの、病的なものが内包されている。
2.人間の認識に限界があるせいで、自然に存在する現象の本質を正確に捉えられていない。
3.人間の認識自体は間違っていないが、数学体系=論理体系の限界でその本質を十分なベレルで記述できない。

1なら、これはもうどうしようもないが、実は2であっても3であっても、どうしようもないという点では変わらない(認識のあり方を認識するのも認識だから、仮に認識に限界があっても、それを認識によって認識することはそもそも不可能だし、数学体系=論理体系もどこをどう作り変えたとしても不完全であることからは逃れられない)(注2)


世の中には、瞑想や宗教的体験によって世界の本質を感知しうると考える人もいるようだが、私はそれに懐疑的だ。瞑想や宗教的体験によって得られるのは、どこまでのその人の認識しうる範囲にすぎない。それはこの世界の一部ではあっても本質ではない。なぜなら、B-Tが我々のすぐ隣に思いもよらない奇怪な怪物が潜んでいる可能性を示唆しているのだから。


最後に『バナッハ・タルスキーのパラドックス』について述べておこう。

中身は本文とそこに挿入された囲み記事、そして付録から成っている。本文ではB-Tのアウトラインが簡潔に述べられ、囲み記事はその本文に書かれていることを実際に自分でも検証できるようになっている。そして定理の厳密な証明が巻末に付録として出ている。

定理の証明を読むためには、本文に書かれていることの他に集合論と群論の知識がある程度必要になるが、特別高度な内容ではない。とはいえ全120ページの中の12ページ、つまりこの本全体の10%を読むためには、この本全体を読む時間と労力の約90%が要求される。

それでも、この証明はそれだけの労力と時間をかけても読む価値のあるものだ。証明を辿り、なぜそんな奇怪な定理が成り立つのかがわかった瞬間、歓喜とも寒気とも言えない不思議な感覚が湧き上がってくるのが感じられるだろう。

(注1)一般に我々が高校レベルで習う積分は、リーマン積分と呼ばれるものだ。リーマン積分は概念が直感に沿ったもので理解しやすいが、関数の積分可能性を判定するのが大変な上に積分可能な関数が限定されてしまう、という大きな欠点があった。それを解決するために構築されたのがルベーグ積分で、数学科では測度論と合わせて2年生くらいで習う。

(注2)「それでも3なら、俺らには別にカンケーないね」と思っている人もいるだろうが、今あなたが使っているこのネットはもちろん法律も経済も、人間世界で使われているさまざまなシステムは、全てこの数学体系=論理体系に基づいて作られている、ということを忘れてはいけないよ。

※これは「ブクレコ」に『バナッハ・タルスキーのパラドックス』のレビューとして書いたものを大幅に加筆修正したものである。


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