つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

ミスをしないことを前提にしてはいけないと思う

2014年06月04日 | 世の中で起こったこと

公立高校の採点ミスが問題になっている。

15歳の多感な年ごろの人生を決める初めての大きな試練に、こういう間違いがあってはならないと思う。

思うが、人がやっていることだもの、どこかでミスがあるという前提のもとに今後の対応を見据えるべきではないだろうか?

本当は「合格」だったのに採点ミスで「不合格」になったお子さんがいる ということは、

本当は「不合格」だったのに採点ミスで「合格」になったお子さんもいる ということではないかな?

 

人生ってこういうこともある  

「悪意としか思えない行為」を乗り越えるのに、どれだけの時間が必要かもわかってあえて

大人な意見を提示してみる。

 

わが子の高校受験を振り返って感じるのは、

その学校に願書を出して試験を受けたお子さんは、誰が入学してもおかしくない力を持っているということ。

一番上と一番下を比べたら10点も20点も違うだろうが、箸にも棒にも引っかからないほどの力がないお子さんはいないだろう。

その日の調子にもよるだろうし、勢いにもよる、誰が入ってもおかしくないはずだ。

ボーダーラインに何人が並ぶんだろう? 

取った当日点も同じ、内申点も同じとなったら、どうやって選抜するのだろう?

「この子を育ててみたい」という高校側の意思ではないだろうか?

昔々私が通った私立高校ではまことしやかに、

階段の上から答案用紙を落とし、下までたどり着いたものからとっていくといわれていた。

学校のあるある話だろうが、それくらいのほうが反対にあきらめがつく。

採点ミスはあってはならないが、新聞が報道しているものはちょっと方向が違うように感じている。

子どもがまっすぐに育つことが一番で、あえて言うなら、そんな間違いを犯した学校が、

途中入学した子どものケアが十分にできるのだろうか?

どちらの学校で育ててもらうのがいいか、どちらがどうとも言えないのではないかな?

 

旦那に

「答案を本人に返して、自分で採点して、納得のいかない子は異議を申し立てるのはどう?

異議申立期間みたいなのを設けて、それ過ぎたらもう文句は言わないて、

将棋みたいにすればいいじゃない?」

将棋には反則がいくつかあるが、本人がその場で審判に申し立てないといけない。

終わってからああだこうだといっても、終わった対局が覆ることはない。

それと同じにしたらいいと提案したら、鼻で笑われた。

 

どうも私のいうことは突拍子もないことが多いようで、

教員免許がない先生が教え続けていたというニュースにも、

「お医者さんのように、額縁に入れて入口に掲げておけばいいじゃない?」

と言ったら、長男に即却下された。

理由は出身大学で保護者がバカにするというもので、まあありそうだなと思い全うな反論と納得した。

 

また旦那が言うには「東京でこうなら北海道なんてこんな数では済まないよ」

そうだろうなあ・・・・・・

間違いは起こさないようにする…それは当たり前として、起こらないということが前提ではなく、

間違いはあると考えてそれにどう誠実に対応するか、多感な年ごろの子どもたちが学ぶいい機会ではないかな?

 

とはいえ、もう我が家に高校受験をする子はいないから、

こういうことに反応するのも今だけなんだろうなあ・・・・・。

 

 

 

コメント (2)
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