砂漠の音楽

本と音楽について淡々と思いをぶつけるブログ。

くりかえされる諸行無常、よみがえる山手線一周RTA

2024-11-27 18:02:33 | 日記
疲れました。
疲れたので、短いスパンですがブログを書きます。
ざっくり近況を。


自転車を漕いでいます。
嫁が海外に行く前にお金を出してくれて、クロスバイクを買いました。
東京に来てからほとんど自転車に乗っていなかったので、思ったよりも新鮮で。
当たり前ですが、自転車って速いですね。ポケモンで「じてんしゃ」を手に入れた時の感動がよみがえりました、スーパーにすぐ着くし、活動範囲がにゅっと広がってありがたいです。
先月には近くの湖をぐるっとまわったり、少し遠くの温泉まで行ったりしました。
自転車で通勤しようかなとも思ったのですが、交通量が多いわりに自転車のレーンが確保されていないし、歩道は狭いし、10月に定期買っちゃったばかりだし、だるいし…と実行にうつせていません。

とはいえ。
ちょいちょい自転車に乗っているのもあるのか、今年のビワイチは昨年よりずいぶん楽に感じました。
昨年走ってだいたいの道を把握しているのも大きいですが、それでも2日目は120kmを漕ぎ切ったので。


英会話教室に行きはじめました。
1月に妻のお母さんを連れて海外へ行く都合で、英会話の勉強をしています。家から自転車で15分程度。
英語は得意だと自負していたのですが、しょせん大学受験の遺産。遠い昔の話です。しかも会話となると別に得意なわけではないので、心機一転、勉強しています。

その一環で、通勤時にBBCのPodcastを聞いており。
本当は芸人さんのトークも聴きたいのですが、バランスとりつつ英語を勉強中です。と言いつつも今日はランジャタイの国崎さんのPodcastを聴いてしまいました。くだらないけど、面白かったなあ。とあるロリコンのせいで配信が隔週に減らされてしまったので、早く毎週に復活してくれないかなと願っております。


先週は友人と山手線RTAをしました。
聞けば私が以前RTAをしたのをきっかけに、その1週間後にチャレンジしたみたいで。
お互い、変な人間だねと笑い合いました。

彼は高校の同級生です。
高校2年の頃。夏休みのある夜、「今からコンビニで落ち合おう」という話になり、お互いの中間地点で落ちあうことになりました。
中間地点といっても、お互いの家が離れていて。2人とも15kmくらい歩いて合流しました。
深夜3時頃、コンビニの前でガリガリ君を食べました。何やってんだよって話ですね。
とはいえ、私にとっては立派な青春の1ページです。

今回の山手線1周は本当にきつかったです。
朝8時に新宿からスタートして、今回は反時計まわりで歩きました(新宿→代々木→原宿…有楽町→東京→神田…池袋→目白→高田馬場)。お昼に浜松町で食べた博多うどん、めちゃくちゃ美味しかったな。

タイムは10時間28分26秒、前回より1時間近く更新しました。
しかし最後の追い込みの、池袋から新宿までが本当にきつかったですね。寒いし暗いし、池袋と、新大久保から新宿にかけては人が多くて歩きづらいし。
終わってから彼と飲んだのですが、お互い「疲れたからもう帰りたいよね」という思いを抱いていたため、さっくり解散しました。お疲れ様でした。

最近の寒暖差、腹が立ちます。
ちょっと油断すると暑いし、でも寒い時はめちゃくちゃ寒くなるし。
タール砂漠(インドとパキスタンにまたがる砂漠)くらい心が広い私でも許しがたいです。

俵万智の短歌に『「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ』という句があります。
しかし妻は南半球にいて、向こうは夏なので、寒暖差に対する憎しみを共有できません。
悲しいことです。


くれぐれも頑張って働き過ぎないようにしよう。
仕事はあくまで生活の手段。

しかしながら。
「妻に美味いものを食べさせる」ことを目的として生きてきた私にとって、妻の不在により、人生の目的をいくぶん見失いつつあります。そもそも人生の「目的」が明確に定まるかどうかは別として。
なんかなあ、何かを頑張りたいんだけどなあ…という漠然とした気持ちはあるのですが、自転車を漕いだり山手線1周したり週6日労働したり酒を飲んだりしているうちに、その気持ちも霧散していくのです。儚いね。

儚い、ということで『源氏物語』を読んでいます。角田光代さんの現代語訳です。
10月、奈良の県立美術館に行きました。そのとき、絵本作家のエドワード・ゴーリーが源氏物語を何度か通読していたことを知りました。そのあと平等院鳳凰堂へ寄ったり、学会で名古屋に行ったときに徳川美術館に行ったり、琵琶湖を一周した際に三井寺に寄ったりした際にも、源氏物語に関する展示や特集があって。

そういえば今、大河ドラマで「光る君へ」をやっているんですよね。だからあちこちで特集されているのでしょう。
たまたま、と言えばたまたまなのですが、自分のなかでなんとなく気になって。一度ちゃんと読もうかと思い立ち、読んでいます。

1000年前の作品なので、さすがにネタバレしてもいいですよね。
光源氏の母である桐壺が、とてもスピーディに死んでびっくりしました。
桐壺が死んだことを、光源氏は「3歳なのでまだわからないだろう」と書かれています。
しかし、「死」の概念はわからなくても「不在」は、自分の目の前からいなくなってしまったことわかるのではないか。
3歳の子であれば、愛着対象を失うわけですから、深く傷つくはずです。

よりによってその時の天皇が―桐壺を愛しすぎていたのもあるのでしょうが―自分の悲嘆しか考えてなくて笑いました。お前、自分だけめそめそしてないで子どもと桐壺の母親のケアをせいや!!と思います。桐壺の母親も、ショックが深くしばらくして亡くなってしまいます。

この辺の「愛着対象の喪失」をめぐる筋が、光源氏をめぐる物語の根底にあるのだと感じました。
そういう傷つきを持った彼がどのように、傷を埋めようとするのか。
どのように傷と付き合っていくのか。
まあまだ冒頭しか読んでいないので、これからどうなるか楽しみです。


そんなこんなで。
自分で言うのもなんですが、かなり頑張っている気がします。
ああ~あんまり頑張りたくないのになあ。

仕事を辞めて1年くらいぶらぶらしたいですね。
小笠原、台湾、インド…行きたいところはいっぱいあります。
私の心の広さと同等と言われるタール砂漠も見てみたいです。
あっ、でも砂漠は寒暖差が大きいから、私の憎しみが深く燃え上がってしまうかもしれません。
おのれ寒暖差!!!


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