諸経要鈔
是の法華経は一切諸経の王として尊しと雖も、一切諸経の臣下を失わば詮無し・・・・・
人の頭・尊しと雖も、四肢五体を失わば何かせん。
所詮・王臣一体の妙法蓮華経なれば・・・・・平等にして一乗に通ず。是れ実相の義なり。
譬へば人の黄色を説かんに、黄の一色のみにては、他の色彩との関係を知るに由なし。
所謂、青に非ず、赤に非ず、白に非ず、黒に非ずと説いて黄色を証明するが如く・・・・・
青・赤・白・黒の四色を知ることは黄色を知らんが為の故なり。之の四色を知らずして、
黄色を説かんはこの理あること無し。・・・これ黄色を説くの方便を失へばなり。
人の法華経を説かんも、亦復・是の如し。若し法華経を説かんと欲せば、先ず一切諸経
を見るべし。是れ法華経を見るなり。・・・一切諸経を見ん人は一切の諸法を見、又諸法の
実相を観るの義なり。一切の諸法は豈単・文字の経典のみに求めんや。人事の百般より草・
木・土・石・禽・獸・蟲・魚に及び、国家の興敗・存亡に至り、進んでは宇宙の創生より空竟に
至る、此の態度は是れ解脱の智にして、解脱知見の因地たり。古人の稱する所詮の法身に
通ず。願わくば、我等・一切衆生と共に大乗に住して、如来の経蔵に入らん。 (野澤 大愚)