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この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた

2024年11月18日 | SF小説

この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた

(※「新世界より」「復活の日」「渚にて」のネタバレに触れているので注意)

 

ルイス・ダートネル 訳:東郷えりか

河出書房新社

 

 

サバイバル百科事典あるいはサイエンス読み物の名を借りたSF小説とでもいおうか。

つまりは、「大破局」なる人類滅亡後に幸いにも生き延びたものがどうやって生活の糧を得て生き延び、再建していくかというのを、飲料水の確保の仕方、農業の始め方、建材の集め方や作り方、家の建て方、情報の取り方、移動の仕方、薬の調達の仕方など解説していく。

 

ただ、本書の示すような「世界の消え方」にはいくつか条件がある。

つまり、人類は滅亡しても建物とか道路とか文明の利器はしばらくそのままあるということだ。もちろん電気やガスは止まっているが、スーパーには食品がひとまずあるし(散乱しているかもしれないが)、乗り捨てられている乗用車などもある。人類だけがいない。サバイバルのためにはこういう残された文明の再利用からまずは始まるのである。

だから、「ノアの箱舟伝説」のように、大地を大津波が襲っていっさいがっさい流されてしまい、かろうじて高いビルの上にいた人だけが生き残った、とかだとこの条件にはあてはまらない。「地球の長い午後」のように、地球の自転軸にまで影響を与えるような破局も、破滅度がデカすぎてちょっと無理な気もする。「火の鳥未来編」のように核爆弾が世界中で同時多発的に投下されるのも都市が壊滅しすぎてしまい、土壌も汚染されるからダメな気がするし、「風の谷のナウシカ」の「火の七日間」も破壊力が強すぎそうだ。

いっぽうで、少しずつ人口が減って滅亡に瀕するというのも破局の設定としてはよくあるのだが、これも本書にはちょっとあてはまらない気がする。このパターンには貴志祐介の「新世界より」なんかがそうだ。ほかにも「トゥモロー・ワールド」や「世界を変える日に」のように人類に子どもが生まれなくなるというSFもあるが、いずれにせよ人口の減少と同時に都市機能も少しずつシュリンクしていくはずなので、あちこちに残る文明の残骸を再利用を試みるには、すでにもう撤去されてなかったり、仮に放置されていたとしても建材や道路の劣化がひどすぎ、時間が経ちすぎているとみるべきだろう。

 

したがって本書の設定する大破局はわりと条件が狭い。あてはまるとすれば、謎の病原菌が蔓延し、速攻で人がバタバタ死んでいった中、幸運にも隔離された環境にいた人が生き残ったというパターンだろうか。「復活の日」や「渚にて 人類最後の日」などの設定だ(「渚にて」は最後全滅してしまうが)。また、一見全然違うようでいて案外似ているなと思ったのは「火星の人」(映画名は「オデッセイ」)である。

 

つまり、普遍的なサバイバルというか文明の再建を解説する体でありながら、これが成立する条件というのはわりと狭く、その裏側には何か物語がーー「復活の日」や「渚にて」や「火星の人」のようなこういう破局条件に導かれるようなSF的な物語がそこにはあるはずなのである。その破局に至る物語は読者各自の想像にすべて委ねてしまい、ただクールに文明を再興させる方法を解説するという、なかなか高度なテクニックを用いたこれはSF小説なのである。それは「復活の日」にて南極大陸から戻ってきたあなたかもしれないし、「渚にて」でなぜか耐性を身につけたあなたかもしれないし、「火星の人」のように、人類全員が別の星に逃亡したのになぜか地球にひとりおきざりされたあなたかもしれない。その設定はすべてあなたの好みである。なんとわくわくする読み物ではないか。

 


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