宮脇俊三の紀行文学を読む
小牟田哲彦
中央公論新社
鉄道紀行作家の宮脇俊三氏が亡くなったのが2003年。ということはもう18年が経っている。にもかかわらず未だ本書のようなものが出てくるのだから感慨深い。著者は中学生時代から宮脇俊三氏の作品を追いかけていたとのことである。本書だけではない。酒井順子氏や原武史氏も「宮脇本」を出している。若いころに現役で続々刊行される宮脇本を読んできた人がいまその思いをつづる局面に来ているのだ。日本国有鉄道も青函連絡船も遠い過去になったが宮脇俊三の世界はいまだ生き続けている。
本ブログでもちょいちょい宮脇俊三は触れている。日本通史の旅、殺意の風景、時刻表昭和史。最長片道切符の旅、乗る旅・読む旅、終着駅などとりあげてみたが、これに限らず彼の本は全部網羅している。ぼくも小学生時代から追いかけてきたのだ。本棚にはいまだに当時の単行本があり、携帯用に文庫本も買い揃え、しかもkindleの電子書籍もおとしてある。雑誌で彼の特集などあれば買うようにしていた。
そんなわけで思い入れだけは人後に落ちないつもりでいたのだが、あらためていろいろな方の宮脇関連本を読むとみんなよく読み込んでいるなあと思う。特に本書の著者である小牟田哲彦氏は血肉のようにしみ込んでいるのがよくわかる。長編や連載ものだけでなく、あちこちの短文雑文まで目を通していて、そこからばっちり引用・参照してくるのだから恐れ入る。
本書で著者が強調しているのが「彼の紀行文学には写真がない」ということだ。写真がないから、その風景描写は文章だけの勝負となる。紀行作家だけに風景をどう描くかは生命線であって、それこそが宮脇文学の特色と言えるわけで本書ではその点の引用や解説が豊富だ。
本書では、その風景描写の巧みさと、それとバランスをとるように徹底的に主観的な感想や感情を控えているところに宮脇文学の特徴をみている。
まったく同感だけど、あえてもうひとつつけるとすると、彼は風景描写にとどまらずとにかく文章が超絶技巧でそれが彼の作風の基盤になっているということだ。語彙力・構成力・緩急のつけ方が今風に言えばモンスター級で、しかもそれがまったくてらいなく、いやみなく、自然体に描かれているので、そのあまりの仕掛けぶりに気が付かないくらいなのである。
中央公論社に入って編集者としてヒット作をいくつも出し、常務取締役にまで出世したのにそこから作家デビューで人気作家になったのだから、うらやましい人生というか天才ってこういうことかと思いたくもなるが、実は彼のその巧みな文章の世界は、壮絶な生みの苦しみに苛まされながら出てきたものだ。
それがわかるのが晩年にまとめられた「乗る旅・読む旅」と、長女の宮脇灯子氏による「父・宮脇俊三への旅」だ。彼の執筆の姿勢と苦悩がここでは暴かれている。優雅な白鳥の舞の水面下、その執筆活動は一日にほんの2,3枚の原稿用紙しか進まず、家族にあたり散らかし(今で言うならDV一歩手前であった)、酒におぼれて最後はアル中になった。
超絶技巧を頼りにするアーティストは作家に限らずこの傾向が強い。強力な体力と集中力を要求されるので長続きできないのである。本書でも「日本通史の旅」の途中から精彩を欠くようになったことを控えめに指摘している。宮脇俊三氏の作家人生は四半世紀に及んだが、今なお人口に膾炙される代表作はほとんどが初期から前期のころのものだ。廃線跡をたどったり架空の鉄道の旅をやってみるなど企画の妙を出して人気は維持していたが、彼の持ち味である文章の冴えはやはり前半に集中していた。本書ではとくに紹介されていないが初期のエッセイ集である「汽車旅12か月」と「終着駅は始発駅」も紹介しておきたい。