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手段からの解放 シリーズ哲学講話

2025年02月22日 | 哲学・宗教・思想
手段からの解放 シリーズ哲学講話

國分功一郎
新潮新書


 前書「目的への抵抗」よりも難解度はぐっと増している。カントの「判断力批判」の紐解きがベースになっている。

 著者によるとカントの「判断力批判」には、人間の「快(die lust)」の四分類の話が出てくるそうである(僕は大学生時代に授業のレポートで「判断力批判」を読まされたのだがもうまったく内容を覚えていない)。
 この四分類というのは「美(das shuhöne)・善(das gute)・崇高(das erhabene)・快適(das angenehme)」と訳されているのだが、カントによるこの定義をビジネスコンサルティングのように縦軸横軸の四象限にすると、きれいに分配はせずに空白の象限がひとつできるそうだ(この手法は「暇と退屈の倫理学」でもやっていたから著者の得意技なのだろう)。
 この空白地帯をカントは「病的なもの(pathologisch)」と記述しているが、実はこの空白地帯こそがいま現代生活にはびこっているというのが本書「手段からの解放」の指摘である。


 難解ではあるけれど、なにしろ僕は前書「目的への抵抗」が直観的にわかってしまったので、自動的にこちらもほぼ見えてしまった。本書のタイトルが「手段からの解放」というのも極めて示唆的である。

 これは「なぜ働いていると本が読めなくなるのか 」を哲学的に紐解いているのである。

 カントの分類において、人間が本来もっていたであろう「快」の中で特殊解のように存在する「病的なもの」の正体は、僕なりに述べると“手段が目的化していることに気づかず、そこにどっぷりはまってドーパミンが出ている状態”なのである。

 「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」で著者の三宅香帆氏は、現代社会は日々の仕事(家事でも学業でも)に全身全霊で入れ込むことを要求し過ぎており、その結果われわれ現代人は、半ば洗脳のように脳みそ回路が改変されてしまい、純粋な読書のための読書、意味がありそうとか何かの役にたちそうとかそういう捕らわれから解放された単に楽しむための読書ができなくなっている、と説いている。

 三宅香帆氏のは仕事と読書の関係においてそこを指摘したわけだが、本書「手段からの解放」は、それを現代社会一般と現代人の生き方そのものに敷衍させたものなのだ。
 前書「目的への抵抗」において著者は、今日の社会は実は盤石性のあやしい目的設定が横行し、その目的達成ためのありとあらゆる手段で埋め尽くされていると看破した。しかし、それがあまりにも当たり前になってしまい、われわれ現代人はその手段をひたすらこなせられていることに対して疑問もわかず、むしろモチベーションとかフロー状態とか言って脳が快楽を味わうようになっちゃっている、というのが本書「手段からの解放」の指摘なのだ。
 ただし、それでは人間の脳みそはどこかで限界を超えてしまうから、として著者はガス抜きとしての「快適」が用意されていて、それがアルコール(ストロング系)とかカフェインであったりする。この脳みその解放の手段について「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」では、スマホとゲーム(パズドラならできる)を指摘している。

 というわけで、「手段からの解放」というのは、何かに入れ込んでいるときは「これは何かのためにやっている」のではなく「やりたいからやっている」ものであり、その「やりたい理由」は外部からの洗脳やお膳立てや水路付けによってできあがったものではなく、「なんだかよくわからないけど自分の中から沸き上がったもの」であれ、という話なのだ。
 もっとも著者は、目的と手段の逆転と手段の流布について現代社会はあまりにも狡猾であり、我々はよほど意識しないとその渦に巻き込まれると悲観的である。三宅香帆氏が「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」を上梓したのも、元朝日新聞記者の稲垣えみ子氏の退社劇も同じ感覚だろう。

 脳がバグる前に、三宅香帆氏は「全身全霊ではなく半身で」、稲垣えみ子氏は「会社依存度を下げよ」と説いていたが、「手段からの解放」という観点からみると、フレディみかこの「他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ 」は生き方のヒントになる気がした。この本はたいへんな名著だと僕は思っているのだが、フレディみかこの主張こそは現代社会で生きていくために「目的に抵抗」して「手段から解放」する方法論であった。他者を理解して共感する「エンパシー」でいま自分が何をするべきかの目的を見極める審美眼を持ちながら、でも他者にほだされて闇落ちしない、つまり誰かの手段に成り下がらないアナーキーさを死守せよ、と説いている。


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