ココ・シャネルという生き方
山口路子
KADOKAWA
ココ・シャネルは20世紀の近現代西洋史を語るにおいて欠かせない存在である。NHKスペシャルの「映像の世紀」では、シャネルが第一次世界大戦や第二次世界大戦の関わりの光と影についてもとりあげていて、ナチスドイツのスパイの愛人だったとか、英国チャーチルともつながっていた、とかいまだに議論になっている。
そういった政治外交史にも登場するということはそれだけのVIPポジションに彼女がいたからなのだが、因果関係が逆転するが、シャネルが服飾文化史に果たした功績は、「皆殺しの天使」と形容されるほどに、過去の因習を葬り去るものであった。女性のライフスタイルを根底からひっくり返し、もっというならば女性の社会的ポジションというものを切り替えさせたと言える。近現代西洋史のなかでもなかんずく文化史思想史の上で一種の歴史的転換点でもいうべき作用を果たしたと言っても過言ではない。事実、女性用のスーツやショルダーバッグやリップスティックやパンタロンやイミテーションジュエリー等等はシャネルが発明したものであった。
こういったアイテムの根底にある思想は、社会で闊達に活動する自立した女性というものであった。シャネル以前の女性観には、「社会で闊達に活動する自立した女性」というものはきちんとは存在しなかったとさえいえる。もちろんもやもやっとしたものはあったに違いないが、それを可視化させ、メッセージ化したところがシャネルの功績であった。
もちろん価値観というのは相対的なものであって「そう思わない」という人がいてかまわないし、その価値観の受容はは時代とともに起伏がある。シャネルが屹立させた女性観に対し、当の女性からもそれを望まない声は常に一定層あった。それは現在でさえ、そうであろう。
文化思想という点からシャネルを考えると、ファッションというものが思想を可視化し、人々の行動を切り替えさせる凄い力を持つことの歴史的証明だと思う。つまり、思想は可視化され、物体化されることで初めて広く受容されるということだ。コトバで息巻いているだけではダメなのである。
また、思想なき物体も持続可能性がない。服飾に限らず、出来合いの精神を並べてそれっぽい演出をほどこすデザイン物が多いが、そこに同時代の矛盾や不合理、人々の鬱屈、それを解決させる希望をしっかりくみとったものでなければ、すぐに陳腐化し、消費されて終わる。
消費され交代していく「モード」ではなく不滅普遍の「スタイル」を意識し、それをいかに可視化させるかを貫いていたシャネルであるが、この点でいうと、スティーブ・ジョブスは、シャネルだったんだなと思い至る。