こうすれば人は動く
著:デール・カーネギー 訳: 田中孝顕
きこ書房
43才のときに管理職を拝命して部下を持ったとき、どうしていいかわからなくて手に取ったのが本書であった。たまたま電子書籍のセール対象か何かだったと記憶する。
僕は学生の頃から長いこと読書を趣味にしていたから、かなり色々な分野の本を漁ってきたけれど、いわゆるビジネス書の類は40代になるまでほとんど手を出してこなかった。毛嫌いしていたと言ってよい。もともと会社とかビジネスとかあまり好きな世界ではなかったのである。もっと高いレイヤーでの人生観・世界観というのを自分は大切にしているのであって、会社での仕事というのは、人生を送る手段の一部として利用するものでしかない、と意固地になっていた。終わらない中二病みたいなものであろう。
しかし、部下というものを持つということは、彼らを指示・指導しなければならない。頭を下げてお願いすることだってあるだろうし、時によっては叱責をしなければならないこともあるだろう。
会社の約束事の上では、人事評価権をもつ管理職とその部下という関係性において、部下は上司の命令に従わなければならないことは百も承知だが、そんな軍隊式の指示系統を蛇蝎視してきた自分が管理職になった瞬間にそれを行使するのは、それこそ人生観に反することだった。
ということは、会社の上下組織だからというのではなくて、ちゃんと一人の人間としての人徳と説得力でもって相手を動かさなければならない。もちろん部下の立場から見れば、自分の直属上司という看板が部下自身を動かしている以上でも以下でもないのは百も承知で、これは僕の独り相撲なのかもしれないが、しぶしぶ動かれるよりは心から動いてもらうほうがよいに決まっている。
しかしどうすればいいのか。自分が平社員だったときの上司の顔をいろいろ思い浮かべても理想と呼べるものがない。誰もかれも威圧的か迎合的かで、この人のような管理職になりたい! というモデルがいなかった。そもそも僕自身が組織とかチーム戦とかが子どもの頃から肌に合わないのであった。したがって部下の連中がこの組織下において何にモチベーションを持つのかわからないのである。
そんな心境のところに、本書は転がり込んできたのであった。
本書は僕の腑にすごく落ちた。本書はひたすら具体的なエピソードの連なりで編集されているのだが(再現ラジオドラマの書き起こし本みたいな体裁)、要するには、人に動いてもらうのに叱責も威圧もカリスマ性も必要ない。要は相手を信用し、相手を信用していることをめいっぱいに言葉と態度で示し、相手がかけてもらうと嬉しい言葉を想像しながら、常に上機嫌でいろということなのである。
実際にこの本の僕における効果は抜群であって、僕の部署(といっても数名の部下がいるだけだが)の部下はかなり積極的に機嫌よく働いてくれた(と信じたい)。1930年代のアメリカを題材にした内容なので時代も場所も異なるはずだが、むしろそれだけに時空を超越した人間性に普遍的な内容であったということだろう。「心理的安全性」なんて言葉は影も形もない時代の話である。
その後、少しはビジネス書や自己啓発書も読んでみるようになったが、その結果わかったことは、いわゆる部下を指導する系のリーダーシップ本はけっきょく本書の範囲を逸脱していないということだ。これこそが古典の持つ凄みであろう。
なお、著者のカーネギー自身にも「人を動かす」という大変に有名な本(3部作のひとつ)があって、そちらも流し読みはしてみたが、この「こうすれば人は動く」のほうがよりとっつきやすい。つまり、偶然にも藁にも縋るつもりで手にした本書はまさに僥倖だったのである。
はじめて本書を読んでから10年近く経っていて僕は相変わらずの万年中間管理職なのだけれど、さいきんスランプ気味でもあって久しぶりに本書をひもといた。ここに書かれていることは今でも遵守しているつもりだったが、全体の言わんとしている雰囲気は覚えていても、細かいひとつひとつの話はほぼ忘却の彼方だった。読前読後で目の前の地平が変わるような読書体験でも、その中身の詳細は10年も経てば忘れてしまうものである。血肉に消化されたのだと思えばいいのだけれど、これをきっかけにむかし心動かされた本の再読の旅をしてみてもいいかもと思っている。